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第42話 藩主の仮面③

「いくら彦先生がお優しいからって、そこまでご厚意に甘えるわけにもいきませんよ。それに……俺はもうずっと刀だけで生きてきたものですから、今さら他の生き方はできません」 「嫌になることはねえんですかい。怖いと思うことは?」 「ないですね。自分より強い誰かに斬られて終わるのなら、剣士の端くれとして、本望ですよ」 「はあ、そういうものですか。でも、それだってあと何年かしたら――」  そこで、言い淀むように青吹屋は目を泳がせた。いつも歯切れの良いこの店主にしては珍しい。首を傾げつつ、幻乃は話の先を促した。 「何年かしたら、なんでしょう?」 「ああ、いえ……。まだ、噂ですがね。新政府は、お侍さんから刀を取り上げようって腹だと耳にしたもので」 「……刀を?」  無意識に、幻乃は腰に差した刀の柄に触れていた。  幻乃は物心ついたときからずっと、刀を振ってきた。刀を持たぬ自分は、自分ではない。それくらい、刀は幻乃と深く結びついているものだ。取り上げる、という言葉の響きだけで、ぞわりと神経を逆撫でされるような心地がした。 「それは……、困りますね」    幻乃はどんな顔をしていたというのだろう。青吹屋はぎょっとしたように目を見開いて、忙しなく視線を泳がせ始めた。 「ほ、本当かどうかは分かりませんよ。まさか軍や町奉行からも武器を取り上げるってことはあるめえし、どこまで対象になるのかも分かりませんから……。でも、人斬りみたいなおっかねえお方たちもこれでいなくなると思うと、悪いことばかりじゃないんじゃねえかと思うんです」 「そう、ですね。人斬りなんて、いないに越したことはない」  どの口が言うのかと内心自嘲しながら、幻乃は淡々と相槌を打つ。   「これからの平和な時代には、特に。血気盛んな者たちなんて、害にしかならないでしょうね」 「ええ、ええ。その通りです。……あっ! も、もちろん、幻乃さんみてえな真っ当なお侍さんは違いますよ! でもねえ、危ねえやつが危ねえことをできねえように武器を取り上げておくっていうのは、いい考えだと思います。お侍さんたちは身の振り方に悩むかもしれませんが、私らみたいな非力な人間からしたら、その方が安心できるってのも、本当なんです。……幻乃さんはまだお若い。これから先の人生も長いでしょう。これからお国がどう変わるにせよ、手に職つけといて、損はねえと思いますよ」 「……そうですね。おっしゃる通りです。俺も、身の振り方を考えないといけませんね」  相槌こそ打ったものの、その言葉の空虚さと言ったら、幻乃自身どころか青吹屋にまで伝わってしまうほどだったのだろう。ますます顔色を悪くして、青吹屋は身を縮こまらせてしまった。 「そのう……気を悪くしちまったかな。申し訳ねえ。年寄りのお節介と思って、聞き流してくだせえ」 「いいえ、とんでもない。面白いお話、ありがとうございました。それでは、俺はこれで」  おどおどと幻乃の顔色を窺う青吹屋に軽く頭を下げて、幻乃は店を後にした。     「……毎度あり」    店先の暖簾(のれん)をくぐっていく幻乃の背を見送って、青吹屋は深く息を吐く。揉み手には、冷たい汗が滲んでいた。しばしその場に立ちすくんだ後で、青吹屋は思い出したように手汗を拭う。 「おっかねえ。優しく見えても、お武家さまはやっぱり、お武家さまだな」    廃刀令の話を出したときの、あの温度のない眼光と言ったら、生きた心地がしなかった。 「余所者だって言ってたしなあ……。堅気じゃ、ねえのかもな。ああ、嫌だ嫌だ」  刀も無礼討ちもない平和な世の中が、早く来てほしいものである。  青吹屋はもう一度ため息をついて、店の奥へと戻っていった。

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