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第44話 藩主の仮面⑤

 断末魔はひとつでは終わらない。立て続けに響く凄惨な声は、慣れぬ者が聞けば一生を悪夢に悩まされるだろう、恐ろしい響きを帯びていた。逃げ惑う町民たちの悲鳴と混乱が、辺り一体に伝染するように広がっていく。  周囲の恐慌に流されるように駆け出そうとしたお鶴とおりんを、幻乃はそっと手のひらで制止した。 「通りの皆さんは、周りを見る余裕もないようです。あの中に混ざる方が危ないですよ」 「でも――!」 「避難するなら、店の中へ。近くにいてくれれば、守れますから」    その言葉に、お鶴たちは幻乃が刀を持つ武士であることを思い出したらしい。わずかながら、娘たちの目に冷静さが戻ってくる。  土埃の向こう側に目を凝らすと、閃く刃が複数見えた。 「辻斬り――でしょうか。このご時世に、珍しいことだ」  幻乃が呟く間にも、またひとり、誰かが凶刃に倒れていく。血の海に沈んだ男がびくびくと痙攣する様を見て、おりんは恐怖に堪えきれなくなったらしい。小さく悲鳴を上げると、へなへなと腰を抜かして座り込んだ。慌てたようにお鶴と彦丸が手を伸ばすが、おりんは血の気の引いた顔をして、唇を震わせるばかりだった。 「おりんちゃん! しっかりして!」 「ご、ごめ、ごめん、なさい……足が……」 「奴ら、こっちに向かってきとるぞ。ほら、つかまりなさい。早く中へ……!」    お鶴と彦丸が二人がかりでおりんの両脇を支えたそのとき、人々の怒声と悲鳴をかき消すように、爆音が響いた。 「ひいぃ!」 「なんだ、この音は!」    鼓膜を殴りつけるような轟音に、町人たちは怯えきった様子で背を丸める。血の匂いに混ざって、つんと鼻を刺すような火薬と煙の匂いが漂ってきた。   「……爆薬?」    びりびりと震える空気に眉を顰めつつ、幻乃は彦丸たちを背に庇うように、一歩前に踏み出す。 先の爆発で半壊した建物からは、炎が燃え広がる兆候が見えていた。早いところ消し止めなければ、被害は広がるばかりだろう。  惨状を作り出した武士は全部で五人。男たちの袴の小紋には、いずれも見覚えがあった。ひとりは榊藩の者で、残りは榊藩と親交のあった藩――いずれも、旧幕府側の者だ。幻乃は片眉をぴくりと上げて、口の中だけでぼそりと呟く。 「おやおや……。何が目的で潜り込んできたのやら」  攻め入りにしては人数が少なすぎるが、単なる辻斬りにしては、誰も彼もが不自然なほど覚悟の決まった顔をしていた。まるで、命を捨てに来たかのようだ。  強い者を斬るのは楽しいけれど、抵抗ひとつろくにできない商人を手にかけたところで、何の意味があるというのだろう。どういう意図があるにせよ、敵方の心理は、幻乃には一生理解できそうにない。 「狙われたのは、きっと越後屋さんです」    幻乃の独り言が聞こえたかのように、震える指でお鶴が通りの奥を指し示す。   「外国の物を仕入れるようになってから、たちの悪い人たちに嫌がらせをされるようになったって言ってました。あの人たちがさっきから斬っているのも、商家の方ばかりです。……大通りの店は大体、越後屋さんにお世話になってます。全部、壊すつもりなのかも」  か細い声で、お鶴が呟いた。青ざめながらも、冷静に状況を見極めようとする気概のある少女は、この先歳を重ねれば、さぞや立派な商人になることだろう。身を寄せ合う少女たちに視線を向けて、幻乃は安心させるように微笑みかける。 「なら、待っていても状況が悪くなるだけですね。物陰に隠れていてください」 「まさか、出ていくおつもりですか? 危ないですよ!」 「大丈夫ですよ。これ以上町を壊されたら困るでしょう? 店がなければ、買い付けひとつできません。せっかく慣れぬ早起きまでしたのに、無駄になってしまいます」  怯える娘たちが気の毒に思えて、あえて普段通りに茶化して言えば、幻乃の意図を汲んだように、お鶴はぎこちなく微笑んだ。 「……幻乃さんったら、困った人ですね。お買い物なら、後でうちにも寄っていってくださいな。お安くしますから」 「おや、それはありがたい」 「怪我をしないでくださいね。せっかく治ったのにまた寝込んだら、直澄さまも悲しまれますよ」 「気をつけます」  言いながら鯉口を切った幻乃を横目で見て、不安そうに彦丸が顔を引き攣らせる。   「幻乃さん、本当にあの人数を相手にできるのかい。屋敷から人が来るのを待った方が良いんじゃないのかい」 「待つだけ被害が広がります。それに、せっかくの機会なのに、人に譲るなんてもったいないじゃないですか」 「はあ?」    彦丸の素っ頓狂な声を背に、幻乃は走り出した。

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