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第45話 藩主の仮面⑥

 意気揚々と地を蹴って、一番近くにいた武士へと切り掛かる。男は驚いたように目を見開いたが、即座に反応し、幻乃の刀を正面から受け止めた。にい、と幻乃は歯を剥いて笑う。 (反応が良い。当たりだ)  死ぬのが目に見えている自殺行為を馬鹿真面目にこなしに来るような武士たちなのだ。腕に覚えがある連中だろうとは思っていたが、期待以上だった。楽しめそうだ、と幻乃はうきうきと刀を振る。   「貴様、何者だ!」 「こちらの台詞ですね。随分と派手に暴れていらっしゃるよう――で!」  反撃する間を与えずに、幻乃は攻め続ける。はじめは凌げていた男も、二度目で体勢を崩し、三度目は、とうとう幻乃の刀を受け止めることが叶わなくなった。  剣先が男の柔らかい肉を捉える。男が顔を顰めた次の瞬間、骨もろとも断ち切る感触が幻乃の手に伝わってきた。うわ言を呟くように、男の唇が最後に声なき言葉を紡ぐ。主人の名前か、あるいは愛する家族の名だろうか。なんとも美しい最期ではないか。男が剣の道で積み重ねた年月を思って、幻乃はぶるりと身震いする。  斬られていたのは幻乃だったかもしれない。けれど生き残ったのは何も持たない幻乃であって、死の際にあってさえ誰かを想った彼ではないのだ。残酷で無情で、強さだけがすべての一瞬は、だからこそ美しく愛おしい。  心が躍る。生きていると実感できる。幻乃は込み上げる衝動のまま、唇を笑みの形に歪めた。  頬に飛んだ生温かい血を感じながらも、幻乃は足を止めない。背後で刀を振り上げていた別の男を、振り返りざまに切り捨てる。  二人切られてようやく、残りの武士全員が幻乃を脅威と認めたらしい。町人を追うのをやめた男たちは、さっと目配せをする。 「三条の家臣か。来るのが早い……!」 「有力な商人どもは殺したはずだ。十分だろう。引き上げるぞ」 「――おっと。それは困ります」    耳聡く男たちの会話を聞き取った幻乃は、牽制代わりにクナイを投げつつ、逃げ道を塞ぐように通りの真ん中に陣取ってみせる。 「藩主の留守を狙って町を荒らしておいて、事が済んだら逃げるだなんて、虫が良すぎやしませんか?」  警戒も露わに身構える男たちは、しかし、幻乃の言葉に何の反応も示さなかった。 (やっぱり。知っていて攻めてきたのか)    直澄はここ数日というもの、屋敷を開けていた。他所の藩との交渉に出掛けているのか、はたまた先ほど聞いたばかりの縁談の話でも進めているのか知らないが、主が不在となれば、不測の事態への対処は往々にして遅れるものだ。辻斬りじみた挑発行為を仕掛けるにはお誂え向きだったことだろう。  直澄はどんな顔をするだろう。  留守に好き勝手されたことを怒るだろうか。お優しい藩主の仮面を被って、失われた命を嘆いてみせるのだろうか。どんな報復に出るのだろう。  さて、生かすのがいいか、殺すのがいいか。  別に幻乃は直澄の家臣ではないのだから、直澄のために働く義理はないけれど――。    ――戦闘も謀略も色ごとも、いつだって余裕綽々で、嫌味な笑みを崩しもしない、名高い『狐』。    いつか耳元で囁かれた賛辞を思い出し、幻乃は刀を握り直す。  あの強く美しい男に、そこまでの評価を受けているのだ。現場に居合わせておいて逃がしましたと口にするのは、幻乃の矜持が許さない。 「逃がしませんよ。所属と目的を吐いて、全員ここで死んでください」 「……若造が。大口を叩くな!」

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