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第46話 藩主の仮面⑦

 残る剣士は大男がひとりと、壮年の男がひとり。そして、やや距離を空けて、榊藩の小紋を纏ったざんばら髪の男が、戸惑うように幻乃を見つめていた。  雄たけびを上げて切りかかってくる大男の一閃を受け流し、返す刀で斬り上げる。けれど、腹をかっ捌くはずだった幻乃の一撃は、寸でのところで届かない。大男の力任せの蹴りを跳ぶようにかわした幻乃は、代わりのように、逆手に握り直した刀で背後の剣士を突き刺した。くぐもった声を聞きながら、落ちてくる刀をひょいと避けて、幻乃は笑う。 「あは。……あはは!」  強い。決死の覚悟で来るものは皆、太刀筋に執念が感じられて良い。なんて贅沢な時間だろう。今日はいい一日だなあ、と晴れやかな気持ちになる。 「狂人め。何がおかしい」 「え? だって、楽しくはありませんか」 「何を――っ」  大男が口を開くと同時に、瞬時に幻乃は距離を詰める。こちらをじっと見つめていた大男からすれば、幻乃が一瞬消えたように見えたことだろう。視線が逸れた隙を逃さずに、幻乃はくるりと刀を回すように握り直して、大男の首を一太刀で刎ねた。 「こんなに強い方々と、命の取り合いができるなんて……! 久しぶりで、涙が出そうです」    直澄と出かける夜の散歩も悪くはないが、やはり斬り合いはこうでなくては。  本気で命を賭けている者たちと向き合って、生きるか死ぬかの瀬戸際に立ってこそ、一瞬の重みが際立つというものだ。 「お話する間もありませんでしたね。あなたには、話していただかなくては」  最後に残ったひとりに刀を向けて、にこやかに幻乃は話しかける。強張った顔をしたざんばら髪の剣士は、覚悟を決めたように刀を抜いた。ためらうように何度か口を開閉した後で、ざんばら髪の剣士は幻乃に向かってくる。舌なめずりをしながら迎え撃とうとしたところで、感じ取った違和感に、幻乃は眉を顰めた。 「……?」  殺気がないのだ。  振り下ろされた刀を受け止める。まるで力のこもっていない太刀筋だった。立ち姿からはそれなりに腕が立ちそうに見えたのに、と内心で首を傾げたその時、囁くようにざんばら髪の剣士が口を開いた。 「生きていたのか。『狐』」    稽古でもするかのように打ち合いながら、幻乃は男の声に耳を傾ける。目の前の男自体には興味も関心もなかったが、ほっとしたようにこちらを見る目が気になったのだ。敵意や恐れを向けられることは多くとも、戦場で幻乃に親しみを持って接してくるものは多くはない。何より、柔らかなその声音に、どこか聞き覚えがある気がしたのだ。   「……知り合いでしたか?」 「戦狂いの『狐』には借りがある。あんたほどの人が、なぜこんなところで油を売っている?」 「あなたには関係ないでしょう」  鍔迫り合いになった拍子に、男はぐっと身を乗り出した。鼻先がぶつかりそうなほど近くで、ざんばら髪の剣士は、幻乃の目をのぞき込みながらそっと囁く。 「平和な世はさぞ生きづらかろうな、『狐』。だから今、そんな風に笑ってる。斬り合いは楽しいよな。あんたは戦場で生きる人。血に濡れてそんな風に笑う人なんて、あんたくらいだ」 「……何?」  「女でもできたか。それとも、主を乗り換えた?」 「……」 「無理だよ、『狐』。あんたには、今さら常人のふりなんてできない。周りがあんたをどう見るかなんて、とっくに知ってるだろう?」    きぃん、と一際大きな音を立てて刀を打ち合わせて、男は飛びのくように距離を取る。声を出さないまま、男は唇を動かした。 「明日の夜、ここで待つ」  唇を読みながら、幻乃は眉根を寄せる。   「新時代に少しでも違和感があるのなら、来るといい」  待て、と言う間もなく、男は幻乃に向けて何かを放り投げる。  反射的に切り捨てて、吹き出した白い煙に、幻乃は顔を歪めて舌打ちをした。真っ白に遮られた視界の中で、声が響く。 「待っている。俊一さまへの忠義を、ともに果たそう。『狐』」  耳を優しく撫でるような声。ああ、と幻乃は嘆息する。 (俊一さまの声に、よく似ている)

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