47 / 89

第47話 藩主の仮面⑧

 煙が晴れる頃には、男の姿は消えていた。こほ、と咳をしながら、幻乃はざっと辺りを確認する。  落ちているのは死体だけ。斬られた商人たちと、暴れ回っていた他領の武士たち、そして、爆発に巻き込まれたのだろう町人たちが、半壊した建物の下で炎に炙られていた。  他に敵が潜んでいる気配もなければ、増援が来る様子もない。カンカンと忙しなく叩かれる半鐘の音を聞きながら、幻乃は刀を振って血を払う。  じきに火消しも来るだろうが、火が回る前に避難した方がよさそうだ。逃げ遅れた者がいるのなら、人手を集めて助けなければ。そう思いつつ踵を返したその時、不自然なほどに周囲の空気が静まり返っていることに、ようやく幻乃は気が付いた。    やかましく鳴らされる鐘の音が、奇妙なほどに大きく響く。  誰一人として、口を開く者はいなかった。  親は子を抱き、夫は妻の前に立ち、少女たちは怯えるように身を寄せ合う。  誰も彼もが、息をひそめてこちらを見ていた。息の音ひとつ立てれば殺されるとばかりに、恐怖に顔を引きつらせながら、まっすぐに。  辻斬りは排除した。何をそうも怯えているのかと内心で首を傾げながらも、幻乃は身に染み付いた動きで刀を鞘に納める。チン、と納刀する音が響くと、それだけで町人たちは体をびくつかせた。 (猛獣にでもなった気分だ)    お鶴たちは大丈夫だっただろうか。身を隠すようにと言った通り、三人とも物陰に身を潜めているらしい。身にまとわりつく居心地の悪い視線を感じながらも、ゆっくりと幻乃は歩を進めていく。  街角の酒屋の前には、人ひとり分ほどの大きさを持つタヌキの置物が置かれている。でっぷりと太った置物の背に隠れるようにして、身を寄せ合う娘たちの姿が見えた。  大丈夫でしたか、と声を掛ける直前で、「ひっ」と引きつった声が聞こえた。がくがくと震えて、立つこともできぬ様子のおりんが、必死で幻乃から距離を取ろうと身を縮こまらせていた。 「お、お許し、くだ、さい……っ」    哀れなほどに怯え切っているせいで、おりんの呼吸は乱れ切り、唇の色が紫色に変わっていた。息の吸い過ぎだ。倒れそうになるおりんに、幻乃が咄嗟に手を伸ばした瞬間、彼女は堪えきれなくなったかのように涙をこぼした。  化け物でも見るような、恐怖に染まった瞳。見開かれた瞳には、血に濡れた己の姿が映っていた。  その目を見て、おりんが、周りの町人が怯えていたのは、あの武士たちではないのだと悟る。   (ああ、俺が怖いのか)

ともだちにシェアしよう!