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第48話 藩主の仮面⑨
「……おりんちゃん。幻乃さんは、助けてくれたのよ」
おりんの態度を非難するようにお鶴がたしなめるが、そのお鶴の声もまた、震え、強張る気配を隠せていなかった。
ぽたりと何かが滴り落ちる。なんとなしに手を上げれば、真っ赤な血に染まった己の手が見えた。相手が複数だったこともあり、返り血を避けるだけの余裕はなかった。全身が血に濡れていることに、遅れて気が付く。なるほど、これでは怯えられるのも当然だろう。
「……鬼」
お鶴の声など耳に入らぬ様子で、喘ぐようにおりんが言った。震える指で幻乃を指して、彼女は幼子のように顔を歪める。
「ひ、人を、殺して……笑ってた。鬼よ……!」
――周りがあんたをどう見るかなんて、とっくに知ってるだろう?
おりんの涙声に重なるように、ざんばら髪の剣士の優しげな声が聞こえた気がした。
(そうか。そうだった)
幻乃が曲がりなりにも普通に生きることができていたのは、俊一が幻乃を使ってくれたからだ。戦場で自由に息ができるように、周囲に排斥されぬように、主人が優しく上手に幻乃を飼いならしてくれた。常人に混ざって生きられるように、人当たりの良い言葉と所作を仕込んでくれた。
ここに来てからだって、人を斬るときにはいつも、直澄がそばにいた。同じように斬り合いを楽しむ人が隣にいたから、自分の考えがどれほど他者にとっては受け入れがたいものなのか、きっと幻乃は、忘れかけていた。
「……怪我はしとらんのかい、幻乃さん」
気遣うように声を掛けてくれる彦丸の顔もまた、青ざめていた。いくら血を見慣れた医者とはいえ、人が人を斬り殺すところを目の当たりにする機会は多くはないのだろう。恐怖の気配が、瞳の奥に潜んでいる。
「あ、そ、そうですよ。血が……!」
慌てたように駆け寄ろうとするお鶴を、そっと幻乃は手で制した。気遣いはありがたいが、がくがくと震える少女の手を見ているだけで、気の毒になってくる。
「汚れます。近づかないで」
「でも」
「俺の血ではないですから」
「……っ、あ、そっか……、そうですよね。なら、良かった……んですよね」
「どうでしょう。聞き出す前に全員斬ってしまいましたから、良くはないかもしれません」
ぽたり、とまたひとつ、己のものではない血が頬を伝って、顎先から滴り落ちていく。地面に染みこんでいく赤黒い血を眺めていたそのとき、何人もの足音が背後から聞こえてきた。
駆けつけてきたのは、刀を帯びた武士たちだった。知らせを受けて走って来たらしい直澄の家臣たちが、訝しげに辺りを見渡している。
「――おい、あれは……」
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