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第49話 藩主の仮面⑩

 死体を確認し、壊された店を見て回っていた武士たちは、返り血に染まった幻乃に目を止めた。   「ただ飯ぐらいの余所者ではないか。この死体、あの男がやったのか?」 「あやつ、直澄さまの小姓ではなかったのか。もっと美人をつければいいだろうにとは思っていたが……」 「内輪揉めではなかろうな。身元も知れぬ余所者を、ああもおそばに置くこと自体、どうかと思っていたのだ。これまでこんなことは一度もなかったぞ! あの者が招き寄せた害意ではないのか」 「……前から気になっていたのだ。あれは、榊の者だ。あの男、戦場で見かけた覚えがある。思えばここ数月というもの、こそこそと町も歩き回っておったし……」  雲行きが怪しくなってきた。目配せをした三条の武士たちは、じりじりと円を作るようにして幻乃を囲み出す。武士たちの姿が先ほどの惨状を思い起こさせるのか、おりんが恐慌したように泣き出した。 「もういや。いやあ……っ! 家に帰して!」 「おりんちゃん。大丈夫だから……!」    泣き喚くおりんを守るように抱きしめながら、お鶴と彦丸は困惑したように顔を見合わせた。敵意をむき出しにしている武士たちを見渡して、意を決したようにお鶴が口を開く。 「あの! 何か誤解してませんか? 幻乃さんは……!」 「小娘が口を出すな。それとも、その余所者の仲間なのか?」 「ひ……っ」  ぎろりと睨まれ、お鶴が怯えたように身を竦めた。顔を顰めた彦丸が、聞いていられないとばかりに拳を振り上げ、前に一歩踏み出す。 「さっきから聞いていれば、居合わせただけの者をさらし上げ、女子どもを威圧するのがお侍さんのやることかね! 全部終わった後に来ておいて偉そうに……! 間に合わなかったなら間に合わなかったで、ほかにやることがあるじゃろうが!」 「先生のお話は、あとでお聞きしましょう。我々はそこの男に用がある。話を聞かせてもらおうか、余所者」    話を聞くという割には、全員がすでに鯉口を斬っていた。肩をすくめて、幻乃は男たちを取りまとめているらしき武士と目を合わせる。 「穏便ではないですね」  「悪く思うな。貴様が真実榊の者だというなら、放っておくわけにはいかん。直澄さまの留守を預かっておきながら、死体だけを見つけたと報告するわけにもいかんのでな」    わけも分からないまま他領の辻斬りたちの死体を見つけましたと言うよりは、幻乃を内通者に仕立て上げ、討ち取ったと報告する方が、彼らにとっては都合が良いのだろう。元々、真っ当な家臣である彼らにしてみれば、家臣でもない幻乃が直澄の隣で大きな顔をしていること自体、反感しか抱かなかったはずだ。 「そんな勝手なことって!」 「いい加減にせえよ、お主ら――!」  堪えかねたようにお鶴たちが声を上げる。 「いいんです。ありがとう」    なおも口を開こうとする彦丸とお鶴に、幻乃はそっと微笑みかけた。 「どの道、ずっとここにいられるとは思っていませんでした。直澄さんにご挨拶ができないのは残念ですが、潮時というものでしょう」  刀の柄に手を掛ける。向かい合う男たちが、さっと表情を険しくした。 「……抵抗せぬならば、命までは取らぬぞ」 「おや、お優しいことで。俺だったら取りますけどね。得体の知れない輩を、主のそばに置いておきたくはないでしょう? 閨の中まで入りこんでいるとなれば、特にね」 「厚顔無恥も甚だしい! 凡庸な男の身で、よくも恥ずかしげもなく言えたものだ。どんな手管で直澄さまに取り入った? 直澄さまが三条を留守にする日取りを流したのは、貴様ではないのか」 「自分で手引きして、自分で斬り捨てるんですか? 大した自作自演だ」 「そうして成果を上げて、直澄さまに取り入るつもりだったのではないのか」     言いながら、そうに違いないと男たちは声を上げた。榊藩といい三条藩といい、どうして自分は、こうも敵意を買ってしまうのだろう。呪われている。 「町人の皆さんとは、それなりに仲良くなれるんですけどねえ……。同業者だと、何か感じるところがあるんでしょうか」 「ごちゃごちゃと……! この人数差で勝てると思うのか、愚か者」 「さて、どうでしょう? やるならさっさとやりましょう。口で語るより、こっちで語る方が早いでしょう?」  刀を抜いて、身を低く構える。応えるように抜刀した武士たちを眺めて、幻乃は獰猛に笑った。   「ふふ。あはは! 今日は本当にいい日ですね。――斬りがいがありそうだ」 「気が触れているのか。異常者め……!」     殺意を向けられ、刀の切っ先を向けられて初めて、深く息ができる気がした。周りが幻乃をどう見ようが、知ったことではない。どう足掻こうとも、己はこういう風にしか生きられないのだと、強く実感する。  刀を両手で強く握り込む。地を蹴ろうとしたその瞬間――。 「全員動くな」    涼やかな声が、場の全員を支配した。

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