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第50話 藩主の仮面⑪

 刃を恐れる様子ひとつなく、堂々と場に踏み入ってきたのは、三条藩の主たる直澄だった。  旅装のままであるところを見るに、たった今戻ってきたところなのだろう。戸惑うように剣先を泳がせる男たちを一瞥して、直澄は鋭く命じる。   「双方刀を納めよ」    その声を聞くや否や、武士たちは弾けるような動きで刀を納め、一斉に膝をついた。  数秒迷った後で、幻乃も彼らに倣って直澄の前に跪く。   「お、お屋形さま。お帰りなさいませ。予定よりも早いお戻りでございましたな……!」 「なんだ。戻らぬ方が良かったか? 何やら邪魔をしたようだが」 「いえ……! 決して、そのようなことは……!」  慌てて弁解する家臣をからかうように、直澄は「冗談だ」と微笑した。その柔らかな表情に、家臣たちは目に見えて安堵する。先ほどまで漂っていた一触即発の空気は、あっという間に霧散していった。   「予定よりも早く会談が済んだものでな。戻ってみれば、町の様子がおかしかったものだから、先行した」  その言葉に背後を見れば、焦り切った顔で駆け寄ってくる男たちが見えた。  何が起きているかも分からぬ場所に、真っ先に走り出す主人を持った家臣の心情はいかばかりか。遅れて辿り着いた直澄の臣下たちは、血の海と壊れた家屋を目にして、ただでさえ疲れの滲んだ顔をさらに青くする。 「な、なんじゃこりゃ……!」と慌てふためく様といったら、はたで見ている幻乃の心には同情しか浮かばなかった。  一方の直澄といえば、目を回している家老たちの顔には目もくれず、辺りを見渡しながら臣下に声を掛けている。 「襲撃か」 「は……、はい。そのようで……。情けない話ではございますが、我々もつい先ほど、駆けつけたところでございます。お屋形さまの留守にこのような凶行を許してしまったこと、まこと、申し訳なく……!」 「お前たちの責任ではない。誰がこのような残虐な行為を予想できるものか。亡くなった者たちには気の毒だが、町すべてを焼かれる前に止められたことを、せめてもの幸いと思うべきだろう」 「は。……ですが、この者は……」  言葉を濁した男の目には、隠そうともしない幻乃への敵意が滲んでいた。ひとつ頷いた直澄は、一太刀で葬られた他領の武士たちを一瞥した後で、短く幻乃に問いかける。 「止めたのはお前か、幻乃」 「はい。たまたま居合わせたもので、やむを得ず手出しいたしました。……差し出がましい真似をいたしました」 「そうか。お前のように腕の立つ者をとして迎えられたことを、幸運に思う。――よくやった」  あえて周囲に聞かせるように、直澄はゆっくりと賛辞の言葉を口にした。  俯けた顔が、なんとも言えない居心地の悪さで引きつるのが分かる。寝食を世話になってはいるし、誰とも知れぬ相手を与えられるがままに斬ってはいるので、完全な嘘ではない。かといって直澄のために働いたわけでもないし、正式に食客として迎えられた覚えもないが。  けれど、幻乃は元々直澄の手の者だと宣言してしまえば、争いの火種がひとつ減るのも確かだった。直澄が食客だと言う相手を、家臣たちが証拠もなしに糾弾するわけにはいかないからだ。  ちらりと見上げれば、直澄は腹の読めない穏やかな笑みを浮かべて、言葉を待つように幻乃を見つめていた。   (食えないお方だ)

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