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第69話 春死なむ②

「榊さま。この戦いの目的は何ですか?」 「知れたこと。新時代などというくだらぬまやかしに傾倒する愚か者どもを、叩き潰すことだ」 「でしたら、事はすでに我々だけの問題ではありません。腰の重い幕府軍全体を動かすためには、大義名分が必要なのではありませんか。『先に手を出したのは向こう側だ』と。そうお考えになったからこそ、榊さまは三条を挑発するため、先の襲撃を命じたのでは?」 「知らぬな。浪人どもが勝手にやったことだ」  冬馬が小さく舌打ちをした。捨て石扱いどころか、彼らは真実捨て石だったらしい。  揉み手で商品を売り込む商人のように、幻乃はしたり顔で「なるほど」と頷いてみせる。 「そしてお次は、こちらにお集まりの皆さまが勝手に討ち入りを果たして、前線に出ることもしない方々のために命を散らすと。いやはや、皆様の旧幕府への忠義には頭が下がります。大恩ある主人のためならいざ知らず、姿ひとつ見せぬお方のために死線に赴くと言うのですから」  俺にはとても真似できません。そう言って嘲るように口角を上げた瞬間、俊次が唾を飛ばしながら立ち上がる。 「貴様、何が言いたい!」 「どうせ命を賭けるなら、有意義な賭けに使いませぬか、ということです。これは我々単独の企みではなく、正統なる将軍の名のもとで下される天誅なのだと、そう言ってしまえばいいのです。我々が先陣を切れば、三条に兵を送る他藩は手薄になりましょう。全体で見れば厳しい戦いであったとしても、個々の勝ち戦に乗らぬ者は、少ないのではありませぬか」 「……同盟軍を唆せと言うのか。巻き込めるだけ巻き込んで、争いを起こせと?」 「それは、榊さまがお決めになることです。ですが、混沌が広がれば広がっただけ、番狂わせも起きやすくなるのが常というもの。例えば二大勢力の相打ち。例えば将軍の事故。――そうなったとき、この国を治められるのは、勇猛たるお力を持ったお方だとは思いませぬか? 考えようによってはこれは、上に立つべきお方が力を示すための、これ以上ない好機なのです」  とびきりの秘密を教えてやるというように、耳触りの良い言葉を選んで幻乃は囁く。  次男として生まれた俊次は、常に俊一の後ろで生きてきた。彼が権力へ並々ならぬ執着を抱いていることは、榊藩に仕える者たちの間では周知の事実だ。  ぎらりと俊次が目を輝かせる。   「……よかろう。狐の甘言に乗るのは業腹ではあるが、試す価値はある。旧幕府の者どもが勝てばそれでよし。三条藩が勝つにしても、あの若造が弱ったところを叩くには、都合が良かろうな」 「ええ」  直澄を侮る言葉に、ぴくりと頬が引きつりそうになる。こんな崩壊寸前の家の当主如きが、何を以てあの男を測るのか。笑いたくなる気持ちを抑え込みつつ、幻乃は試すように問いかける。   「いかがでしょう。手土産には足りませぬか?」 「十分だ。情報が真実正しければな」  ぎろりと幻乃を睨んだ榊は、次の瞬間、荒々しい動作で抜刀すると、その刀を幻乃の首筋に突きつけた。   「――問おうか、幻乃」  巻き込み斬られた髪が数本、ぱらぱらと首筋に落ちていく。しかし幻乃は笑みをたたえたまま、一歩たりとも退かなかった。 「貴様の主君は誰だ。何のために刀を振るう?」 「分かりきったことをお聞きになる。俺の主君はだけですとも」  月光に照らされる俊次の刀には、見覚えがあった。特徴的な刃紋を見間違えるはずもない。かつての幻乃の主君・俊一の刀そのものだ。   (俊一さまの刀を使ったところで、あのお方になれるわけではないというのに)    込み上げる笑いもそのままに、幻乃はゆっくりと視線を動かす。刃紋から柄、刀を握る拳を眺めた後で、最後に険しく吊り上がった俊次の瞳をしっかりと見据えた。  臣下想いで聡明だった兄・俊一とは対照的に、短慮で荒々しい弟・俊次は、幻乃をして、仕えるくらいなら野垂れ死ぬ方がマシだと思わせる無能な男だ。  けれど、その無能も今だけは都合がいい。   「刀を振るう理由も、変わりません。自らの信じる正義のために。それだけです」  強い者が生き、弱い者が死ぬ。心震える一瞬を味わうために、腕を磨いて刀を振るう。どれほど時代が変わろうと、誰に間違っていると謗られようと、それが幻乃にとって唯一絶対の生きる指針だ。 「皆さまとて、同じでございましょう? それぞれ譲れぬ理由があってここにいるのだと思いましたが、違いましたか?」    緊迫した空気の中、周囲は息を呑んで俊次と幻乃を見つめていた。彼らの視線をものともせず、幻乃は飄々と笑みを深めてみせる。  やがて、俊次はゆっくりと刀を下ろした。 「いいだろう。働いてもらうぞ」  ――かかった。  狐のようだと称される細い目をさらに細めて、幻乃は満足げに喉を鳴らした。

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