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戀する痛み 3

そんなことを考えていたら、低くて耳に心地よい、悠貴さんに似た声が聞こえてきた。 「乗りたまえ」 「え・・・?」 きょとんとしていると、運転席からいかにも運転手という出立(いでたち)の、スーツに白い手袋をした男性が降りてきて、初老の男性とは反対側のドアを開けた。 予想もしていない展開に茫然(ぼうぜん)としたまま動けないでいると、 「早くしたまえ。無駄な時間は使いたくない」 「???」 命令することに慣れた、苛々(いらいら)した口調に、少し怒気を孕(はら)んだ声に、思わず体が動いていた。 不機嫌になった時の悠貴さんの言い方に、そっくりだった。 もしかして・・・お父さん・・・? 車の後ろを通って、運転手さんが開けてくれたドアから、車内に滑り込む。 今まで座ったこともないような、分厚いクッションの椅子と背もたれに、相当な高級車だな、とか考えていたら、ドアが閉められて運転手さんが乗り込み、車は静かに動き出した。 思わず乗っちゃったけど・・・大丈夫だよね? 悠貴さんのお父さん・・・うちの病院の理事長だよね? 深く考えずに、理事長が醸し(かも)出す威圧と、悠貴さんの声と口調に似ていると言う理由だけで車に乗ってしまったことに、今更ながら焦(あせ)って危機感を感じていた。 お互いにしばらく無言で、車が移動して最寄り駅を通過して街の中を走って行くのを、窓越しに見ながら少し不安になっていたら、理事長が徐(おもむろ)に口を開いた。 「・・・あれと、別れなさい」 「え?」 急に発せられた声と、その内容にびっくりして振り返ると、理事長は切れ長の悠貴さんに似ている目で、ボクを鋭く見据(す)えていた。 「あれにはそれなりの家の娘さんをあてがう予定だ。そして私の後を継いでもらう。それには、君は邪魔だ」 「・・・ボク達のこと、知ってるんですか?」 「当たり前だ。最近あれの様子が変わったから、調べたら、まさか男とそんな仲になっているとはな・・・」 「・・・」 『まさか男と』 その言葉が頭の中をぐるぐる回る。 真正面から否定されて、嫌悪を向けられたことに、気が付く。 こんな風に否定されることが、想像以上にショックなんだと、今初めて知った。 他人から見たら、ましてや親世代からして見たら、そういう感覚なのは当たり前なんだろうな。 うちの親が大歓迎だったから、世間一般の感覚、忘れてた。 そうだよね・・・うちの親みたいに、あんな風に喜んで歓迎してくれるわけ・・・ないよね・・・。 理事長は、真っ直ぐ前を向いたまま、ボクには一瞥(一瞥)もくれずに話し続ける。 厳しいその横顔が、それでも悠貴さんに少し似ていて、悠貴さんに似た声で紡がれる言葉が、心を抉(えぐ)り取って行く。 「全く男同士なんて気持ちの悪い・・・あれは何を考えるんだ・・・。とにかく、あれと早急に別れるように。わかっていると思うが、あれも君も、どうとでも出来る権力(ちから)が私にはある」 「・・・どういう意味ですか?」 わかっていても敢(あ)えて訊(き)いてみる。 理事長は、一瞬イラっとしたように眉根を寄せて、口髭(ひげ)ごとボクを馬鹿にしたように微笑んで、ボクをちらっと横目で見た。 「医学界から追い出すことなんか簡単だと、言っているんだ」 「でしょうね・・・」 ボクは精一杯の虚勢を張って、負けじと鼻で笑ってみせた。 大病院の理事長で。日本医師会のメンバーでもある人だ。 ボクのことも、悠貴さんのことも、どうとでもできることぐらい、知っている。 わかっていても、それでも。 好きなんだから仕方ない。 どうしようもなく、悠貴さんが好き。 だから・・・負けたくない! ボクの虚勢をわかっているのだろう。理事長は、眉一つ動かさずに淡々と攻め立てる。 「わかっているなら話しは早い。早急に別れるように。それが、君のためにもなる」 ボクは理事長の言葉を聞くだけで、返答はしなかった。 したくなかった。 イエスもノーも、言いたくなかった。 無言のまま車は夜の街を駆け抜けて、幾つもの街灯を追い抜いて、車が緩やかに止まった。 窓の外に視線を送ると、ボクの家の前に到着していた。 ボクの家までちゃんと調べあげてたんだ・・・さすがですね。 見慣れた家を視界の端に確認して、ボクは車のドアの取手に手をかけた。 「送ってくださって有り難う御座います」 「ふん・・・」 「二つだけ、言いたいことがあります。一つは、悠貴さんと別れるつもりはありません。きっと悠貴さんも同じ気持ちです」 「ばかな!」 ボクはその言葉を無視してドアを開けると体を移動させて、外に降り立った。 ドアを閉めるために窓のさっしに手を当てる。 ボクは中にいるその人を、きつく睨みつけながら、少し大きめの声で言った。 「あと、悠貴さんのこと『あれ』と呼ぶのはやめて下さい。ちゃんと名前があります。悠貴さんにも、お母様に対しても、ものすごく失礼だと思います」 「・・・っっ!」 「失礼します」 何かを言いたそうにした瞬間、ボクはその鼻先で、ドアを思いっきり力強く閉めてやった。 そのまま体を翻(ひるがえ)して、自宅に向かって歩き出すと、すぐに車が発車して行く音が聞こえてきた。 ちらっと視線を送ると、大きな車体が先の信号を左折していくのが見えた。 ボクは家の門扉に手をかけて、そのまま寄りかかって、深く深呼吸を繰り返した。 「緊張した・・・」 悠貴さんのお父さんに・・・ましてや理事長に、あんな口きいちゃった。 本当はダメなんだろう。 社会人として、我慢しなきゃいけなかったんだろう。 でも、ボクは、悠貴さんの恋人として、どうしても見過ごせなかった。 別れろって言われるのは、仕方ないと思う。 男同士だから、親からしてみたら、そう思うのは仕方ないことだと、まだ理解できる。 でも、悠貴さんを『あれ』と呼ぶのだけは、我慢できなかった。 悠貴さんのお母様が一生懸命考えてつけた名前なのに。 たとえ一時(いっとき)でも愛した女性との子供なのに。 自分の子供なのに、なんで・・・。 本当に、悠貴さんが言ってた通り、悠貴さんが長男だから後継ぎにしたいだけで、愛情なんかないんじゃないかって、思ってしまう。 ボクは冷たい門扉(もんぴ)をきつく握りしめた。 「大丈夫・・・きっと、大丈夫・・・」 冬の冷たい風が、一瞬だけ強く、強く駆け抜けていった。

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