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戀する痛み 4

* 「隣いいか?」 不意に声をかけられて、ボクは食べていたうどんを咀嚼(そしゃく)するのを忘れてしまった。 午前中の喧騒(けんそう)をこなして、午後2時を過ぎた頃に、やっとお昼ご飯を食べようと食堂に一人で来て、あまり食欲もなかったから温かいうどんを啜(すす)っていた時だった。 よく知っている大好きな低い声に、びっくりして顔をあげる。 顔を上げて視界に入ってきたのは、長めの黒髪を後ろで一つに結んで、濃いグレーのシャツに青いネクタイを締めて、その上から白衣を着た、悠貴さんの凛(りん)とした姿だった。 一応毎日病院で顔を合わせてはいるけど、なんだか久しぶりに会う感じの悠貴さんに、心臓が跳ねるのを感じる。 口の中に残っていたうどんを飲み下す。 悠貴さんはボクの答えを聞く前に、隣の空いた席にお昼ご飯のサバの味噌煮定食が乗ったお盆を置くと、すっと椅子をひいて座った。 体温が伝わってきそうな距離に、悠貴さんがいてくれるのが久しぶりで、何だか少し緊張してしまう。 食堂には人はそれなりにいたけれど、混雑しているわけではなく、むしろ空席が目立つ時間帯だった。それでもこうしてボクを見つけて隣に来てくれて、嬉しいけれども、誰かに変に思われないか、少し心配になった。 悠貴さんがこんな風に昼食をとるのを見るのが久しぶりで、ボクはうどんを無駄に箸で突きながら、隣に座った悠貴さんの横顔を見つめた。 「少し落ち着いたんですか?」 「ああ、少しな。・・・なかなか会えなくて、ごめん」 「いえ・・・しょうがないですから・・・大丈夫です」 「もう少し落ち着いたら、何処かに一緒に行こう」 周りに聞こえないように小さい声でそう言って、悠貴さんは、ボクを真っ直ぐ見つめて微笑んでくれた。 もともと端正な男らしい整った顔立ちの悠貴さんが、こんな風に優しく微笑むと、心臓が苦しくなるくらいドキドキするから。 ボク以外の誰にもこんな表情を見せないで欲しいと、思ってしまう。 こんな表情見せられたら、みんな悠貴さんのこと好きになっちゃうじゃん・・・自分がいわゆるイケメンだってこと、自覚して欲しい。 ・・・というか、自覚しているからこそ、わざとしてるのかも・・・? ボクはにわかにドキドキし始めた心臓を感じながら、悠貴さんから顔をそらしてうどんに向き直った。 ずーっと無駄にうどんを突きながら、何か話さなきゃ、何か話さなきゃって思って。 つい、思わず、口をついて言葉が出てしまっていた。 「あの・・・悠貴さんのお父さん・・・理事長って」 「うん?」 悠貴さんの声色が低く、くぐもった。 あまり良い感情がこもっていない声。 この話題はしたくないという、悠貴さんの声色に気づいたのに、ボクは止めることができずに、いらないことを口走ってしまった。 「その・・・医師会の人でしたよね?」 「・・・ああ・・・わりと上の地位にいたはずだ」 「ですよね・・・」 悠貴さんはお茶碗を持って、箸でサバを一口サイズに切って口に運ぶ。 少し苛々したように眉根を寄せて、軽く溜息をついた。 「それがどうした?」 「いえ・・・その・・・気に入らない人を追い出すとか・・・」 「まあ、あいつなら簡単にできるだろうな。日本の何処の病院でも働けなくするくらい訳ないな。離島やど田舎の個人病院とかなら大丈夫かもしれないが」 「やっぱり・・・」 やっぱりそうなんだ・・・。 ボクが悠貴さんと別れなかったら、ボクは医師を続けられないんだろうな・・・。 いや待ってもしかして、もしかしたら・・・悠貴さんが医師を続けられなくなる・・・? 背筋がぞっとした。 そんなことは絶対にあっちゃいけない。 ボクだったらまだしも、悠貴さんがそんなことになっちゃ、絶対にダメ。 だって、悠貴さんは、悠貴さんの技術は絶対に脳外科に必要で、多くの患者様の命を繋ぐもので。 だから、悠貴さんが医師を続けられなくなるとか・・・絶対にダメ。 もちろんボクだって、ボクも追い出されたくない。 でも、あの人は。ボクと悠貴さんが別れることを望んでいる。 もしも別れなかったら・・・この恐怖が現実になるかもしれない・・・。 でも、別れたくない。 ずっとずっと、一緒にいたい。 初めて実った恋。心の底から愛している人。 離れたくない。 どうしよう・・・どうしたらいいんだろう・・・。 「薫?それがどうしたんだ?」 悠貴さんがご飯を食べるのを中断して、心配そうにボクの顔を覗き込む。 端整な顔立ちの、切れ長の瞳が目の前に見えて、ボクは反射的に顔をそらせて立ち上がった。 「いえ、その・・・午後の業務があるんで、先に行きますね!」 無理に笑顔を作って、ボクは半分くらい残っているうどんをお盆ごと持ち上げて、悠貴さんに作り笑いをして席を離れてしまった。 悠貴さんが何か言いたそうにしているのを、気づかないふりして、逃げてしまった。 ボクはお盆を食堂の端にある台へと持って行く。 残ったうどんを捨てて、丼をお盆を所定の位置に置くと、悠貴さんの視線を背中に感じながら、急いで廊下へと出てしまった。 本当は、昨夜のことを悠貴さんに言ったほうがいいのかな・・・。 でもどうしたらいいのか、あの人の言葉を、どこまで伝えれば、どこまで本気にしたらいいのかわからない。 でも、本当は、心の奥底ではわかっていた。 あの人は本気だと。全部全部、本気だと。 ただボクが信じたくなかっただけ。 実の親子なんだから、悠貴さんを医学界から追い出すとか、そんな。 そんなひどいことするわけないと、できるわけないと、思いたかった。 信じたくなかった。 そんなことはしないと、信じたかった。

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