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戀する痛み 6
オレは苛々(いらいら)しながら靴を脱いで、ドカドカと廊下を歩いて、閉まっているリビングのドアを開け放った。
許可も連絡もなしに、家に上がり込んでいたのは、思った通り、オレの父親だった。
仕立ての良いオーダーメイドの濃いグレーのチョークストライプで、ダブルのジャケットに、同じズボンをはいて、白いシャツに青いネクタイをきっちりと締めた状態で、悠然(ゆうぜん)とした態度で座っていた。
勝手にソファに鎮座(ちんざ)したまま、ちらりとこちらに視線を向けて、
「おや。ずいぶん早かったな」
と低い声で淡々と言い放った。
『暇なのか?』と言外に言ってきたその言葉に、オレは苛々しながら切り返した。
「部下が優秀なんでね。余計な雑用がほぼないんですよ」
オレはリビングに足を踏み入れると、ずかずかとそいつの目の前まで歩いて。
苛々した表情を隠すことなく、仁王立ちで見下ろした。
「何しに来たんですか?」
きつい口調で問い詰めた。
そいつ・・・親父は口髭を蓄えた顔を、愉(たの)しそうに歪めると、
「忠告だ」
と口唇を横に引いて、嗤(わら)う。
その答えに更に苛々したオレは、目の前に立ったまま、腕を組んできつく睨みつけた。
「は?何の?」
「そんなこともわからないのか?」
心底呆れたような表情を、小馬鹿にしたようにひょいと肩を竦(すく)める仕草に、更にイライラが募(つの)る。
思わず軽く舌打ちしてしまった。
「っち・・・あんたの考えてることなんかわかるかよ」
「だからお前は浅慮(せんりょ)で視野が狭いんだ、何度言ったらわかる?」
「うるさい。そんなこと言いに来たんなら、とっとと帰れ」
「あの若僧(わかぞう)と早急に別れるように」
「え・・・?」
若僧って・・・薫のことだよな?
「なんで・・・」
誰にも悟られないように慎重にしていたのに・・・なんでこいつが知っている?
驚いて体を硬直させているオレを見て、親父はいつものように上から目線で、鼻で笑った。
「そのくらい、すぐに調べはつく。・・・全く。お前は何をしてるんだ・・・」
「あんたには関係ない・・・!」
強く睨(にら)みつけて声を荒げると、親父は更に嬉しそうに、愉悦(ゆえつ)に浸った顔で、意地悪い笑顔を浮かべた。
獲物を弄(いた)ぶって遊ぶ、最悪な趣味だ。
「とにかくすぐに別れるように。お前には今度見合いをしてもらう」
「はあ?!お見合い?!」
「そうだ。ちゃんとした家柄のご令嬢だ。あんな一般家庭の小僧とは比べ物にならない」
『あんな一般家庭』
怒りが一気に脳味噌を駆け巡る。
その普通の『一般家庭』すら、オレはもつことができなかった。
オレがどれだけ、普通の暮らしを望んでいたか!
普通に父親と母親がいて、普通に一緒に食卓を囲むような、何でも話しあって時には喧嘩して、一緒に笑って泣いてくれる、そんな『一般家庭』が欲しくて欲しくて・・・。
それすら与えてはくれなかったくせに、何を偉そうにっ!!
薫の家は理想的だ。オレが望んだ家庭そのものだった。
両親と兄弟と姉妹と、みんなが仲良くて、お互いを好きで。
嘘をついたり騙したり、そんな負の要素を一切感じさせない。
ときには喧嘩してもすぐに仲直りして。
優しくて温かくて、嘘も欺瞞(ぎまん)もなくて、ただただお互いの信頼と愛情が溢れている。
あんな家で、育ちたかった。
あんな両親の間に生まれたかった。
薫の家に初めて訪問した時に感じたのは、それだけだった。
薫の『家族』になりたいと思った。
そして薫のご両親もそう望んでくれていると知って、本当に嬉しかった。
あのご両親の子供に生まれたから、育てられたから、薫は素直で純粋で誰よりも綺麗なままで・・・。
オレとは何もかもが正反対。
オレは、こんな親父から生まれた。
地位や世間体や、権力と金にしか執着していない。
こんな父親から、生まれた。
変えようのない現実。
変えられないなら。
踏み潰すしかない。
「薫とは別れない。オレにとって『たった一人』の人だ。初めて『家族』になりたいと思った人だ」
「青臭い・・・」
「あんたに何と言われようと、オレは薫が好きだ。別れるつもりはない!」
「ったく・・・あいつはどんな教育したんだ・・・」
親父の言う『あいつ』が、母親であることはすぐにわかった。
わかったからと言って、その発言を許せるほど、オレは大人じゃなかった。
「あんたに母さんを非難できる権利なんかねえだろう!!」
「そうだな、失言だった。すまない」
「・・・・・・っっ!」
妙に素直に謝られて、思わず言葉を飲み込む。
オレは苛々が最高潮に達して、親父から顔をそらせて、腕を組んできつく握り締めて、眉根を強く寄せたまま。
後に続ける言葉を見つけられずにいた。
そんなオレをみて、親父はいつもの無表情のまま。
すっくとソファから立ち上がった。
「今日はこれで失礼する」
「え・・・あ・・・」
「若僧とは早急に別れるように。見合いの日程は追って報(しら)せる」
「だから・・・!!」
抗議のために口を開くオレを無視して、親父はオレの脇をすっ・・・と通り過ぎると、真っ直ぐ玄関へと行き、そのまま外へと出ていった。
ああ・・・いつもそうだ。
ああやって、オレのことも、母さんのことも無視して、引っ掻き回して、従えて・・・。
本当に・・・何であいつなんか好きなんだよ・・・何でオレを産んだんだよ・・・。
小さい頃から抱いていた、ここ数年は封印していた罵倒(ばとう)を、母親に対して吐きだしていた。
何でオレなんか・・・。
あいつがあんな奴だって、わかってただろう?
母さんとオレを捨てて、平然としていられる奴だぞ?
母さんが死んだのをこれ幸いと言った感じで、いきなり現れて後継者になれとか、めちゃくちゃなこと言う奴だぞ。
なんで・・・なんで産んだんだよ?
絶対に言ってはいけない言葉。
そんなことを言ったら母さんが悲しむと、わかっていたから、絶対に言わなかった。
封印して、閉じ込めて、二度と考えないようにしていたのに。
ダメだ・・・やっぱりあいつに会うと・・・ダメだ。
あいつがとっくに帰った部屋の中で、オレは突っ立ったまま、自分の体を抱きしめた。
薫に会いたかった。
薫を抱きしめて、甘い匂いを嗅いで、柔らかい体を抱きしめて。
少し高い声を聞いて。熱い吐息を、オレを好きだと言う口唇に触れて。
溺れたかった。
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