6 / 20

戀する痛み 6

オレは苛々(いらいら)しながら靴を脱いで、ドカドカと廊下を歩いて、閉まっているリビングのドアを開け放った。 許可も連絡もなしに、家に上がり込んでいたのは、思った通り、オレの父親だった。 仕立ての良いオーダーメイドの濃いグレーのチョークストライプで、ダブルのジャケットに、同じズボンをはいて、白いシャツに青いネクタイをきっちりと締めた状態で、悠然(ゆうぜん)とした態度で座っていた。 勝手にソファに鎮座(ちんざ)したまま、ちらりとこちらに視線を向けて、 「おや。ずいぶん早かったな」 と低い声で淡々と言い放った。 『暇なのか?』と言外に言ってきたその言葉に、オレは苛々しながら切り返した。 「部下が優秀なんでね。余計な雑用がほぼないんですよ」 オレはリビングに足を踏み入れると、ずかずかとそいつの目の前まで歩いて。 苛々した表情を隠すことなく、仁王立ちで見下ろした。 「何しに来たんですか?」 きつい口調で問い詰めた。 そいつ・・・親父は口髭を蓄えた顔を、愉(たの)しそうに歪めると、 「忠告だ」 と口唇を横に引いて、嗤(わら)う。 その答えに更に苛々したオレは、目の前に立ったまま、腕を組んできつく睨みつけた。 「は?何の?」 「そんなこともわからないのか?」 心底呆れたような表情を、小馬鹿にしたようにひょいと肩を竦(すく)める仕草に、更にイライラが募(つの)る。 思わず軽く舌打ちしてしまった。 「っち・・・あんたの考えてることなんかわかるかよ」 「だからお前は浅慮(せんりょ)で視野が狭いんだ、何度言ったらわかる?」 「うるさい。そんなこと言いに来たんなら、とっとと帰れ」 「あの若僧(わかぞう)と早急に別れるように」 「え・・・?」 若僧って・・・薫のことだよな? 「なんで・・・」 誰にも悟られないように慎重にしていたのに・・・なんでこいつが知っている? 驚いて体を硬直させているオレを見て、親父はいつものように上から目線で、鼻で笑った。 「そのくらい、すぐに調べはつく。・・・全く。お前は何をしてるんだ・・・」 「あんたには関係ない・・・!」 強く睨(にら)みつけて声を荒げると、親父は更に嬉しそうに、愉悦(ゆえつ)に浸った顔で、意地悪い笑顔を浮かべた。 獲物を弄(いた)ぶって遊ぶ、最悪な趣味だ。 「とにかくすぐに別れるように。お前には今度見合いをしてもらう」 「はあ?!お見合い?!」 「そうだ。ちゃんとした家柄のご令嬢だ。あんな一般家庭の小僧とは比べ物にならない」 『あんな一般家庭』 怒りが一気に脳味噌を駆け巡る。 その普通の『一般家庭』すら、オレはもつことができなかった。 オレがどれだけ、普通の暮らしを望んでいたか! 普通に父親と母親がいて、普通に一緒に食卓を囲むような、何でも話しあって時には喧嘩して、一緒に笑って泣いてくれる、そんな『一般家庭』が欲しくて欲しくて・・・。 それすら与えてはくれなかったくせに、何を偉そうにっ!! 薫の家は理想的だ。オレが望んだ家庭そのものだった。 両親と兄弟と姉妹と、みんなが仲良くて、お互いを好きで。 嘘をついたり騙したり、そんな負の要素を一切感じさせない。 ときには喧嘩してもすぐに仲直りして。 優しくて温かくて、嘘も欺瞞(ぎまん)もなくて、ただただお互いの信頼と愛情が溢れている。 あんな家で、育ちたかった。 あんな両親の間に生まれたかった。 薫の家に初めて訪問した時に感じたのは、それだけだった。 薫の『家族』になりたいと思った。 そして薫のご両親もそう望んでくれていると知って、本当に嬉しかった。 あのご両親の子供に生まれたから、育てられたから、薫は素直で純粋で誰よりも綺麗なままで・・・。 オレとは何もかもが正反対。 オレは、こんな親父から生まれた。 地位や世間体や、権力と金にしか執着していない。 こんな父親から、生まれた。 変えようのない現実。 変えられないなら。 踏み潰すしかない。 「薫とは別れない。オレにとって『たった一人』の人だ。初めて『家族』になりたいと思った人だ」 「青臭い・・・」 「あんたに何と言われようと、オレは薫が好きだ。別れるつもりはない!」 「ったく・・・あいつはどんな教育したんだ・・・」 親父の言う『あいつ』が、母親であることはすぐにわかった。 わかったからと言って、その発言を許せるほど、オレは大人じゃなかった。 「あんたに母さんを非難できる権利なんかねえだろう!!」 「そうだな、失言だった。すまない」 「・・・・・・っっ!」 妙に素直に謝られて、思わず言葉を飲み込む。 オレは苛々が最高潮に達して、親父から顔をそらせて、腕を組んできつく握り締めて、眉根を強く寄せたまま。 後に続ける言葉を見つけられずにいた。 そんなオレをみて、親父はいつもの無表情のまま。 すっくとソファから立ち上がった。 「今日はこれで失礼する」 「え・・・あ・・・」 「若僧とは早急に別れるように。見合いの日程は追って報(しら)せる」 「だから・・・!!」 抗議のために口を開くオレを無視して、親父はオレの脇をすっ・・・と通り過ぎると、真っ直ぐ玄関へと行き、そのまま外へと出ていった。 ああ・・・いつもそうだ。 ああやって、オレのことも、母さんのことも無視して、引っ掻き回して、従えて・・・。 本当に・・・何であいつなんか好きなんだよ・・・何でオレを産んだんだよ・・・。 小さい頃から抱いていた、ここ数年は封印していた罵倒(ばとう)を、母親に対して吐きだしていた。 何でオレなんか・・・。 あいつがあんな奴だって、わかってただろう? 母さんとオレを捨てて、平然としていられる奴だぞ? 母さんが死んだのをこれ幸いと言った感じで、いきなり現れて後継者になれとか、めちゃくちゃなこと言う奴だぞ。 なんで・・・なんで産んだんだよ? 絶対に言ってはいけない言葉。 そんなことを言ったら母さんが悲しむと、わかっていたから、絶対に言わなかった。 封印して、閉じ込めて、二度と考えないようにしていたのに。 ダメだ・・・やっぱりあいつに会うと・・・ダメだ。 あいつがとっくに帰った部屋の中で、オレは突っ立ったまま、自分の体を抱きしめた。 薫に会いたかった。 薫を抱きしめて、甘い匂いを嗅いで、柔らかい体を抱きしめて。 少し高い声を聞いて。熱い吐息を、オレを好きだと言う口唇に触れて。 溺れたかった。

ともだちにシェアしよう!