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戀する痛み 21

悪いことしてるわけじゃないのに。堂々としていればいいのに。 悠貴さんの恋人はボクなのに・・・! でも、でも、あの人の振り返った勢いがものすごかったから、びっくりしちゃったのもある。 柱に隠れて呼吸と心臓を整えていたら、不意に、 「何かご用ですか?」 と、鈴を転がすような綺麗な高音の、それでも知性を感じさせる凛とした響きを持った声が、斜め後ろから聞こえてきた。 「・・・・・・・・・っっ!!!」 びっくりしすぎて悲鳴をあげそうになった口を押さえて、ボクは声の方を振り返った。 さっきまで車の横にいたはずの彼女が、にっこりと満面の笑みを湛(たた)えて、ボクを真っ直ぐ見つめて佇んでいた。 背筋をしゃんと伸ばして、両手でハンドバックを体の前で持って、控えめな態度でひっそりと、美しく微笑んでいるその様は、まさに深窓の令嬢そのものだった。 ボクは何も言えずに口を押さえたまま、見つかってしまった言い訳を頭の中で、ぐるぐると考えて考えて、でもやっぱり何も言えず・・・。 そんな様子のボクを見て、彼女はふいっ・・・と小首を傾げて見つめる。 「もしかして・・・悠貴さんに付き纏(まと)っている人って、貴方ですか?」 「へ?」 耳に心地よい美しい声が紡いだ言葉が衝撃的すぎて、ボクは素っ頓狂(とんきょう)な声をあげてしまった。 そんなボクを見て、楽しそうに嬉しそうに微笑んで、黒い大きな瞳を細めた。 獲物を捕らえた、肉食獣の表情。 「悠貴さんのお父様・・・理事長から伺いました。悠貴さんに付き纏っている方がいらっしゃるけれども、気しなくてよろしいと。あの、もうやめていただいても宜しいですか?」 「え・・・?は?」 「悠貴さんは私と結婚いたしますので。これ以上付き纏っても、仕方ないのではないでしょうか」 純粋に心底そう思っているという口調で、優しい穏やかな口調で言う。 でも、黒曜石のような美しい瞳の奥底に、獲物を嬲るような光があることを、ボクは見逃さなかった。 ああ・・・・・・宣戦布告と牽制(けんせい)か・・・理事長の名前まで出してね・・・。 それに、悠貴さんを『悠貴さん』って呼んでいるのが、気に食わない。 それは・・・その呼び方はボクだけのものなのに!! 「・・・結婚は・・・悠貴さんも望んでるんですか?」 「もちろんです」 「・・・っ!悠貴さんが、ちゃんと、言葉にして、言ったんですか?」 意固地になった感じで、思わず声をあげてしまった。 彼女はちょっとびっくりしたように目を見開いて、それから、本当に不思議そうに何度も瞬きを繰り返して、ボクの顔を覗(のぞ)き込むように見てきた。 「当たり前じゃないですか。私と結婚したら私の家の援助も受けられますし、今後彼が望む医師活動を全て提供できますもの。私と結婚することでメリットしかありませんわ」 「それは・・・そうかもしれないけど・・・」 「では訊きますけれども、貴方は彼に何かメリットを与えることができますか?」 「・・・っ!」 メリット・・・そんなの・・・そんなもの無いよ! この人はそんなことわかっていて、わかっていてわざと敢えて訊いている。 ご令嬢にしてはだいぶ性格が悪い・・・! ボクと彼女の間を、冷たい風が吹き抜けて行った。 そっと視線をずらす。 悠貴さんはまだ電話をしているようで、こちらに背中を向けたまま、電話を耳に当てているのが見える。 悠貴さんはどう思っているんだろう・・・? ボクみたいな一般庶民と付き合ってもメリットなんか何もないの・・・わかっていて、それでも好きと言ってくれたはず。 だから大丈夫・・・絶対に・・・きっと・・・。 そもそも結婚とか、そういうのって、メリットがあるからとかそういうことで決めるものじゃないと思う。 一緒にいて嬉しいとか、安心するとか、相手を支えたいとか守りたいとか・・・・・・あとは、本当に単純に好きで好きでどうしようもなくて、ただただ一緒にいたいっていう、ただそれだけじゃ・・・ダメなの? ボクは、悠貴さんが好きなだけ。 ただただ、それだけ。 それの、何が悪いの? ボクは大きく息を吐き出して、目の前に立っている彼女を、きつく睨みつけた。 彼女のほうが背丈がボクよりも少しだけ高いので、下から睨みあげる感じになってしまう。 背が高そうに見えるのは、履いている黒いハイヒールのせいだし! ハイヒール脱げば、ボクよりも背が低いはず! 真っ黒な強い瞳を見返して、ボクは負けじと口を開く。 手に汗がにじんできているのがわかって、ボクは手を握ったり開いたりを繰り返した。 「ボクは・・・メリットとかそういうことじゃなくて・・・!!」 「私は子供を産みます」 「へ?」 何とか反撃しようとするボクを遮(さえぎ)るように、いきなりそんなことを言われて。 想定外の言葉に声が裏返ってしまった。 びっくりしてきょとんとしてしまったボクを、彼女は勝ち誇ったように婉然(えんぜん)と微笑んで、憐(あわれ)んだような瞳で見てくる。 「私は悠貴さんの子供を産みます。彼の良き妻になり、子供の良き母親になりますわ。彼が望む『家族』を私は作ります」 「・・・・・・あ・・・う・・・」 「貴方に、できるんですか?」 「・・・・・・っ!」 「貴方に作れるんですか?」 『できるのか?』だって・・・『作れるのか?』って・・・・・・そんなの当たり前じゃん。 そんなの、そんなの。 できるわけないじゃん!!! ボクは男だから子供なんか生めない! どう足掻(あが)いたって、妊娠しないし! どんなに中で出してもらったって、絶対に子供なんかできないよ。 できないですよ?それがなにか? 子供を産んだらえらいの? 子供を産まなかったらクズなの? そんなの・・・そんなこと・・・!! お前ごときに言われたくねぇんだわ。 裕福なご家庭に生まれて、美人でスタイル良くて、頭も良くて、そんな人に言われたくない。 お前ごときにボクの気持ちや苦しみなんてわからない。 お前ごときの物差しでボクを推し測んな。 そんな気持ちが一気に心を駆け抜けて、思わず泣いて怒鳴り散らしたくなった。 でも、できなかった。 それは・・・悠貴さんは、『お父さん』になりたいんだろうなって・・・。 きっと、子供が、家族が欲しいんじゃないかなって・・・思った。 悠貴さんはお母様が大好きだし、父親のことだって結局嫌いになりきれてないし・・・。 ずっとずっと、『家族』を求めている人だから。 『家族』を作りたいと、望んでいる人だから。 ボクは黙るしかなかった。 何も言えない。言えるわけがない。 何を言えと言うの? ボクに何ができると言うの? 何も言うことができずに俯(うつむ)いているボクに、彼女は追い討ちをかける。 そっと近づいてきて、耳元でそっと囁かれる。 耳に心地よい鈴とした、澄んだ美しい声が、残酷だった。 「貴方は家族に『なれ』ても、家族を『作る』ことはできないでしょう?」 一瞬、呼吸が止まった。 ボクが考えていたことを、言い当てられたことに、びっくりした。 反射的に顔を上げると、彼女はボクを真っ直ぐ見つめたまま、楽しそうに嬉しそうに口元を歪めて、黒曜石の瞳は冷徹な光を湛(たた)えて、歪(いびつ)な笑顔を浮かべる。 「消えてください」 「・・・・・・っ!」 「私たちの前から、消えてください」 冷たい、凍えた声。 そんな声で、こんなひどい言葉を紡いでいる。 それでも、天使のような美しい顔(かんばせ)は、心底楽しそうに。 嗤(わら)っていた。 その笑顔を見た瞬間。 ボクは踵(きびす)を返して、背中を向けて病棟への入り口目がけて、走った。 悪魔のような笑顔。 天使のような美貌で、あんな笑顔ができる。 怖さも、あった。 怖いから逃げたくて、走ってしまった。 病棟への自動ドアをくぐり抜けて、ボクは医局へ向かって走る。 「貴方は家族に『なれ』ても、家族を『作る』ことはできないでしょう?」 あの言葉が、脳みそを駆け回って、蹂躙(じゅうりん)して、食い散らかしている。 心も思考も理性も、全部全部、ぐっちゃぐちゃに踏みつけられて、壊される。 ああ・・・そうだよ・・・。 ボクは家族を『作れ』ないよ・・・。 貴女の言う通りだよ。 ボクは悠貴さんが一番欲しいものを、一番求めているものを。 一生涯、絶対に、あげることができない。 努力したところで報われない。 手術したところで無理。 何をどうしたって、絶対的にできない。 ボクは悠貴さんに家族を作ってあげることが、できない。 ボクが男だから。 子供を産める体じゃないから。 そんなことで・・・たったそれだけのことで、ボクは。 ボクは。

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