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 夏の夜。街灯がまばゆく光をはなつ。見果てぬ闇の遠くまで、人口の星々が輝く。  自転車のライトが、直緒(なお)の行く手を青白く照らしだす。  前輪の回転を利用して発電する仕組みのそれは、蝉の鳴き声のような摩擦音を響かせていた。  ペダルが重いのは摩擦発電のせいだけではない。 「蝉を捕まえに行った先で、羽化しようとする蝉を見つけるんだ」  直緒の耳もとで、独白のように呟く(あきら)の声が聞こえた。 「どうして土壇場でシーンを増やすんだ」  直緒は晶の体重を踏みしめ、自転車を漕ぐ。 「だって。夜に蝉取りに行ったらさ、羽化してる蝉がいるもんだろ。そこをスルーして『夜の蝉取り』はおかしい」 「物語を作るのは晶なんだから。こう、いい感じに……」 「誤魔化せっていうのか! ほんっとに、なんも分かってない!!」 「おい! 暴れるな! ごめんって!」  晶が振り子のように揺れるのに抵抗して、直緒はぐらつきながら必死にハンドルを右へ左へと切った。 ◇◇◇  駐輪禁止の看板を、申し訳程度に避けて自転車をとめる。 「持ってかれないかな」  そう、直緒が不安を漏らすと、 「ま、大丈夫だろ」  と、晶はあっけらかんに放った。  階段を下った先には広い公園があった。  晶は大きな滑り台やブランコには目もくれず、青い桜の木へと向かった。  直緒は置いていかれないように、ノスタルジーに蓋をした。  春には淡いピンク色に染まる桜の木は、夏の暮れには青々と緑を茂らせていた。  その一つ一つを、晶が懐中電灯で照らしてゆく。直緒は目を皿にして、殻を破る前の蝉が張り付いてないか注視した。  けれど、思い描いたような光景は都合よく広がってはいないもので、正解を求める内に公園の奥までたどり着いてしまっていた。  そこにいたのは蝉の幼虫でもなんでもなく、ベンチにふんぞりかえり空の一点を見つめる小太りの中年オヤジだけだった。直緒はここらが潮時に思えた。 「満足した?」 「うー」  晶は顔をぶちゃむくれに(しか)めながら(うな)った。  晶がちっとも満足なんてしてないことは明白だった。直緒はもういくら探し回っても、お目当ては見れないような気がした。  それでも真夜中に麦わら帽子を被った晶を見ていると、「帰ろう」と切り出すのは忍びなく思えた。かと言って、公園をもう一周する気にはなれなかった。暑さのせいか眠気のせいかもはや分からないが、気だるくて仕方がないのだ。 「ちょっと休憩しない? ほら、そこに自販機あるし」  そう、直緒が妥協案を述べると、晶は不服そうに眉を八の字にして直緒を一瞥(いちべつ)した。  晶は一瞬悩むような間を置いて、 「………オレンジジュース、あるかな?」  と、自販機に視線を注ぎながら言った。 ◇◇◇  ベンチに座って缶を開ける。  二人とも同じアイスコーヒーを選んだ。  青い塗装の自販機にはオレンジジュースはおろか、その代打となるジュースすらなかったらしい。  レストランで注文に迷った時や、どっちでもよくて迷った時、晶は直緒と同じものを選ぶ。直緒も晶にならって、自分が迷った時は晶と同じものを選ぶようになった。  なんとなく気になり、直緒は首は動かさずに視線だけ横にやってオヤジの挙動を確認した。十分に距離はとっているが、危うげな雰囲気を感じずにはいられない。  オヤジはワンカップを一息にあおると、空を見上げてまた動かなくなった。夜中に公園で呑んだくれるオヤジに、直緒は潰れたカエルを見たような嫌悪感を覚えた。 「あーあ……。思ったよりいねぇーのな。蝉の幼虫って」  晶は大仰(おおぎょう)にため息をつくと、麦わら帽子を脱いで自身の膝に置いた。  晶は汗ばんだ額に張り付く前髪を、指で細くつまんで整えだす。  その動作に自然、視線が惹かれる。  晶の指がしなやかに動く。前髪を整えるのに満足すると、額から首筋へ、鎖骨の辺りにたどり着く。その動きを目で追った先、晶の白い鎖骨に赤い跡……… 「……ん?」 「あ? なに?」  晶が怪訝(けげん)そうに直緒の方を向くと、街灯の青白い明かりがそこを鮮烈に照らしだす。 「は!?」  キ、キスマーク…………!?

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