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第8話 ルーウェの事情

 緊張していたという言葉は、本当だったらしい。  ルーウェは、用意された小皿の殆どを食べた。 「特に気に入ったものは?」 「この、甘いパンがとても美味しかったです」  ルーウェは、バターがふんだんに使われ、ドライフルーツとナッツがたっぷりと入れられたフルーツケーキを差した。 「では、それを用意させましょう。それに、それに合うものも。意外に、それと一緒に、鶏の塩づけにしたのを薄切りにした物が合うんです」  フルーツケーキは、たっぷりと火酒を吸わせれば、かなり日持ちがする。それで、戦場に持っていく品にもなっていた。それで、この食べ方を、戦場でやっていた。 「そう、なんですか」 「ええ、意外な組み合わせだけど、結構美味しいですよ……さて、今日は、邸を案内致しますよ」 「でも、ご公務は?」 「はは、将軍を辞してしまったので、今は無職です。けれど、戦場で得た褒賞と、年金がありますからね。今の暮らしを、百年続けていても、おそらく枯渇しないくらいの財産はあります」 「そうなんですか?」 「そうなんですよ。今まで、戦働きで疲れました。ですから、ここからは、隠居です」  戦は――それ以外に、功を上げる術を知らなかったから、そこを目指しただけだ。今は、おかげで、独立して自分の邸を持つことも出来た。貴族の三男坊にしては、中々の人生だ。  通常、貴族は長男が家督を継承する。次男はその、予備。三男は、おまけという扱いだ。実家で実兄の世話になるか、他家と繋がるか。それしか道はない。けれど、出世して独立することが出来た。父親の四番目の妻の邸を継承することも出来た。そして、今は、王子を伴侶に迎え、駙馬殿下となった。 「隠居ですか?」 「一生、ここでのんびり」  アーセールは微苦笑する。ルーウェは驚いたようだったが、「私は、ここで、何をすれば良いのでしょう」と、戸惑いを口にする。  愛玩され弄ばれる―――性的な奴隷のような扱いを覚悟してここへ来たのだろうから、おそらく、戸惑っているのだろう。 「俺も、今から何をしようかと考えているところです。大抵、隠居した貴族は、投資とか投機に手を出して大損をして、身分を売るでしょう? 幸い、俺には、そういうことはしなくてもいいだけの財産があるわけですし」 「確かに、大損をした貴族の話は、よく聞きますね」 「ですから、俺も、自分のすることを探しているところです。ただ、さしあたっては、あなたと……少し、親しくなれたらとは、思います」  ルーウェが、顔を伏せた。恥ずかしそうにして居るのが解る。 「私も、あなたと、もっと親しくなりたいです」 「ならば良かった」  ほっとした。ルーウェが、親しくするつもりがあるのならば、ここから長く続いていく生活が少し明るいものになるだろう。  元々、女主人の邸だったので、この邸は、大して広くはない。けれど、十分な部屋数と、設備は備えている。宴会を催して貴族を呼ぶのが好きだった女主人の好みに添った大広間は高い天井に、水晶で作られた豪勢な照明が差し込んできた太陽の光をあちこちに乱反射させていたが、夜には、蝋燭の光を十分に拡散させるのだろうと想像出来た。  アーセール自身は、宴席を持ったことは一度もないが、今回は、結婚の披露をする必要がある。 「もともと、この邸は、父の四番目の妻である、俺の義母のものでした」 「四番目……?」 「一応、男ばかりの三兄弟ですが、全員母親が違います。俺の母親は死別ですが、以外はすべて、単なる離婚だそうで」  ルーウェが、なんと言って良いのか解らないような、微妙な顔をした。 「あなたが、前皇后の子息であることはうかがいました」  前皇后は、病を得て崩御された。その際、皇帝の愛人であった、ランゲロング男爵夫人マルスリーヌが皇后に冊立された。皇太子は前皇后の子息。第二王子は、現皇后の子息。当然、確執が生まれる。 「あの……」 「はい?」 「私の生母は、前皇后陛下ではありません……私の生母は、身分の低い、ヴァイゲル国の舞姫です。私が幼い頃に亡くなりましたので、前皇后陛下が私を、実子としてお迎えくださっただけで……アーセール。これは、我が国の社交界では、秘密にもなっていないことです。あなたは、少し、政治に疎すぎるのでは……? 私の、噂話も知らなかったくらいですし……」  心配そうな顔をして、ルーウェがアーセールを見上げる。その顔をみて、アーセールは、単純に(可愛いな)と思ってしまったが、慌てて、否定する。 「疎い、ですかね?」 「はい。相当……。これまでは、武働きで良かったのでしょうけれど、もう、引退されたのでしたら、せめて、くだらない争いに巻き込まれないように、お気を付け下さいまし」 「そうか……それで、あなたのお名前は、ヴァイゲル語なのか」 「はい。前皇后陛下が、そう、おつけくださいました」  ルーウェが笑顔で言うので、おそらく、前皇后陛下の庇護があった頃は、形見の狭い思いをしていなかったに違いない。現皇后陛下になってから、おそらく、前皇后陛下の関係者は風当たりが強くなったのだろう。  皇太子は、東宮として特別の予算が割かれているし、所領もあるだろうから、特に、不自由な思いはしなかっただろうが、ルーウェの手元の事情が良くなかったのは、そういう事情があるのだろう。 「アーセール」 「はい?」 「私は、あなたを守る為に、あなたに、私の知る皇宮の事情についてお教えします。私を、あなたの相談役として、置いてください」  伴侶、では駄目なのか、とは聞くことが出来なかった。  何かの役にたたなければならない、というのが、ルーウェには脅迫概念のように染みついているように思える。 「助かります。です、私の相談役ということで」  けれど、アーセールはルーウェの提案に、乗った。ルーウェが、小さく、ホッと吐息したのを見て、これで良かったのだ、とは思ったが、なんとなく、腑に落ちない部分もあるような気がした。

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