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第13話 宴の朝

 宴の支度で、邸《やしき》の中は慌ただしい。  ルーウェはやることがなくて、よりいっそう、所在ない。ルーウェにやることと言えば、せいぜい、招待客のリスト作成とアーセールに、国内の貴族たちの勢力等について教えることだが、それもすぐ終わってしまった。  衣装も問題ない、晩餐の際に饗される食事や、飲み物、会場の飾りなどは、すべてルサルカが手配している。ルーウェの目から見ても、問題ない設《しつら》えであった。  ルーウェに出来ることと言えば、当日、取り乱さずに第二王子たちの前に立って、やり過ごすことだけだ。 (宴が終わったら、少しは、……家のことをやらせて貰えるように、お願いしないと)  せめて、少しでも役に立たないと。今は、何の役にも立っていない。むしろ、迷惑を掛けているのだろうと、ルーウェは思っている。アーセールは優しいから何も言わないが、面倒ごとは沢山在るはずだ。  ともあれ、宴の席までは、おとなしくしているしかなかった。  アーセールも忙しいらしく、閨で一緒に休むのだけしか出来なかった。殆ど、会話もない。一人で休んでいるところに、あとからアーセールが入ってくるだけだ。あてがわれた部屋にも寝室はある。そちらを使えば良いのだが、どうしても、ここに来てしまう。アーセールは、ルーウェがここにいるから、仕方がなくここに来ているのだろう。本当ならば、一人で静かに休みたいのかも知れない。けれど、ルーウェは、一人で休みたくなかった。  宴の日は、朝から閨に沢山の侍女たちがやってきて、身支度を調え始めた。 「……アーセール様のお召し物は、ルーウェ様の瞳の色ですから、お二人並ばれたときに、本当に良く合いますね」  輿入れの時は、長い衣に裳裾という、なんとも女性的な格好で嫁いできたが、今日は、男子の礼装だ。色違いの揃いで作っている。アーセールの胸には、今まで将軍であることを示す立派なエメラルドの徽章が付けられていたが、それは、白銀で作られた砂獅のブローチになっていた。ルーウェには、王子であることを示す、白百合と剣の徽章が付けられている。王子という身分があって良かった、とルーウェは少しだけ思った。アーセールの砂獅ほど立派なものではないが、少しは見栄えがする。 「お二人とも、良くお似合いになります」 「本当に」 「せっかくですから、このお姿を肖像に残しておかれたほうがよろしいかもしれまませんね。アーセール様は、これから、年を重ねる一方ですから」  ルサルカが軽口を叩く。その目元には濃い隈が浮かんでいて、何日も寝ずに支度をしたのがうかがえる。 「そうだな。肖像は欲しいな。出来れば……その、持ち歩くことが出来る物も……」 「ご自身の肖像画を?」  ルサルカが怪訝そうな顔をする。 「俺のではない……。ルーウェの……肖像が欲しいかなと、思ったのだ。戦に出るときなどは……」  長い間離ればなれになるから、ということばが飲み込まれたようで、ルーウェは、胸が熱くなる。 (私と、一緒に居たいと……言ってくれている、のだろうか)  それならば、嬉しい。ルーウェも(私も欲しい)と言おうとしたところだったが、ルサルカが盛大な溜息を吐いたので、言葉に出来なかった。 「はぁっ……アーセール様。もう、戦場には出ないのですよ? 隠居なさったではありませんか。若隠居というか、楽隠居というか……ここから先は、老いて朽ちていくのを待つだけなのですよ?」 「主に向かって、ずいぶんな言い草だな」 「事実ですよ。まあ……ルーウェ様がお美しいから、お姿を止めておきたいというのはよく解りますが」  こほん、とルサルカは小さく咳払いをする。 「ともかく、肖像画はお作りになると良いと思います。日取りを見てから、絵師を呼ぶことにします」 「ああ、たのむ」 「まずは、宴ですよ! 失敗は許されませんからね。本日は、戦場と心得てください。解りましたね!」  いつになく気の入ったルサルカの声がこだまし、使用人たちが声を揃えて「はいっ」と返事をした。ルーウェとアーセールは、顔を見合わせて、思わずわらってしまった。  時間が無いというので、軽くつまめる程度の食事がいつでも控え室に用意されることになっているらしい。 「疲れたら、一度ここへ下がれば良いですからね」  アーセールはやけに心配しているので、ルーウェは自分の頬を揉む。顔は、固い。 「一人で下がらないようにだけ気をつけますが、ここへはあまり来ないようにします」  控え室は、他からは見えづらい。アーセールが、大広間にいたら、ここのことは解らない。それならば、アーセールの側に居た方が良い。 「あとは……皇帝陛下が、ずっと大広間においでになるとは思えませんから、皇帝陛下の為の控え室を作りました。こちらには、お近づきになりませぬよう」 「解りました」  皇帝陛下、という言葉を聞いただけで、胸が、異様に早くなる。ゆっくり、呼吸をして、気を落ち着かせるが、想像しただけで、この調子では、実際に会ったときにどうなるか、先が思いやられる。 (せめて、失態をしないように……迷惑を掛けないように……)  そう思えば思うほど、追い詰められていくような、息苦しさを味わう。戦に出て、いまから生死を賭けて戦うより、楽だろうと思うのに、身体は、ままならない。 「ルーウェ」  アーセールが、ぎゅっとルーウェの手を握りしめた。暖かくて、大きな手だ。 「アーセール?」 「……俺がついています。不安なときは、俺の手を取って」 「でも、……おかしくないですか?」 「新婚なんですから、別に構わないでしょう?」  事もなげに、アーセールは言う。『新婚』という言葉に、少し、ルーウェの胸の奥が引きつれたように痛んだ。 (でも、あなたは、それを、私には求めないのに……?)  対外的には、仲睦まじい『伴侶同士』を演じていれば良いと言うことだろうか。そして、このまま、ずっと―――このままで居ると言うことだろうか。 「あの……、アーセール」 「なんです?」  アーセールの優しい瞳を見つめていると、ルーウェは、何も言えなくなってしまう。いま、与えて貰っている、このぬくくて柔い優しさまで失いたくない。ルーウェは、自分の弱さを痛感しながら、作り笑いを浮かべた。 「……ありがとうございます、あなたのおかげで、心強いです」  当たり障りのない言葉を唇に載せて、微笑む。  アーセールは、少しだけ困ったような顔をして、微笑み返してくれた。その、心の中が知りたかったし、知りたくなかった。

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