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第16話 茶会での対峙
「しばし家族水入らずの時間をもちたいものだな、アーセール」
「では、場所を移しましょう。隣国から取寄せた茶を用意しております」
「それは楽しみだ」
皇帝陛下は、はは、と声を上げて笑う。ルーウェは、一気に緊張する。指先が冷たく冷えていくのを感じていると、「ルーウェ」と耳もとに呼びかけられて、ハッと我に返った。
「アーセール」
「何があっても、かならずお守りします。俺では頼りないかもしれないですが、信じてください」
アーセールが真剣な眼差しをしていうので、思わずルーウェは笑ってしまう。
「救国の将軍閣下が、頼りないだなんて!」
「運が良かっただけですよ。あと、死にたくなかっただけだ」
「運を引き寄せるのも、実力でしょう? 歴史が証明していると思います」
アーセールが一つ引いてしまった『不運』があるのだとしたら、それは、ルーウェを伴侶に迎えるはめになったことだと、ルーウェは思う。
「なるほど」アーセールは小さく、なにかを納得したようにひとりごちてから、にこっとわらった。照れたような、少年のようなあどけない笑みだった。「なら、やっぱり、俺は運が良いんですね。あなたと一緒になることができた」
思わぬ言葉を受けて、ルーウェは、うまい返答も出来なかった。
皇帝陛下と第二王子、第三王子は、日当たりの良い応接室にとおした。すでにそこは、茶の支度が整えられている。
ルーウェの母親の出身国であるヴァイゲル国から取寄せた紅茶に、指で摘んで食べることが出来る軽食や、菓子の類が山ほど用意されているので、賑やかしい。
「珍しい茶だな」
「はい、ヴァイゲル国から取寄せたものです」
「ふむ……あれも、こういったものを好んでいたな」
あれ、というのはルーウェの実母だろう。実母であるラウラは、舞姫だった。ルーウェが幼い頃に亡くなったが、ルーウェは、母と皇帝陛下が親しげにしているところなど、見たことはない。
「そうでしたか」
「これは、そなたの好みか?」
皇帝陛下がルーウェに問う。
「いいえ……」
いままで、ルーウェは好みというのを考えたことはなかった。自分の嗜好で、なにかを求めたことはない。
「ふむ。アーセール。そなたが支度をしたのか?」
「ええ」
「ふむ。なるほどなあ」
皇帝は、一体、なにを考えているのか、よくわからない。ルーウェには想像も付かないような深慮があるのだろうが、どうにも、読めない。
ルーウェが戸惑いつつ薄く笑った時、皇帝の侍従が、そっと寄って、皇帝に耳打ちする。
「……そうか」とだけ告げて、皇帝はたち上がる。第二王子たちも腰が浮いたが「いや、少々席を外す」とだけ告げて、部屋を出た。
「このようなところまで、なにか、火急のご用でしょうか」
アーセールが首を捻る。今、皇帝と、第二王子、第三王子がこのアーセール邸にいる。国の重鎮が集っているといって過言ではない。それに、大広間で歓談しているはずの招待客たちも、貴族たちだ。
「さあ、解りませんが」
ルーウェも、不審に思ったが、確かめる術はない。
「父上は、お忙しい方だ。このようなことは、しばしばある。……ところで、上手くやっているようじゃないか、アーセール」
第二王子が、アーセールに呼びかける。
「はい、おかげさまで……」
「ああ、ルシールが、激怒していて、機嫌を取るのが大変だったよ」
ルシールは、第二王女だ。なぜ、その、第二王女の名が出てくるのだろうか、とルーウェが首をかしげると、アーセールが、決まり悪いような表情になった。
「おや、我が義弟殿は、我が弟に、告げていなかったのか? ……ルーウェ。アーセールは、元々、ルシールと結婚するはずだったのだ。あの時、お前ではなく、ルシールに求婚する予定だってのに……なにを血迷ったか」
心臓が、ぎゅっと捕まれたような感覚。息が、出来なくなった。
(姉上と……、アーセールが……?)
第二王女ルシールは、美女として名高い。あちこちから縁談が来ているのは知っているが、まだ、嫁ぎ先が決まっていないはずだった。驚いて、アーセールを見ると、アーセールは、やはり、決まり悪いような表情をして、目を伏せる。
(ああ、真実なんだ……)
足下から、力が抜けていく。椅子に座っているだけで、力が抜けていくようだった。目の前が、暗い。
「あの時、求婚されるのが解っていたから、ルシールは、特別に誂えたドレスを着ていて……部屋に戻ってから、ドレスを引き裂いていたよ。まあ、やっと落ち着いたがね」
「それは……大変、失礼いたしました。両殿下には、心からお詫び申し上げます」
「全く、事前にいってくれれば、ルーウェの件は、なんとかしたのに」
「はっ?」
アーセールが、素っ頓狂な声を上げる。戸惑うアーセールの前で、第二王子は、酷薄な笑みを浮かべていた。
「アーセール。お前も、どこかで噂を聞きつけて、これを買ってみたかったんだろう? ……これは、どんなことでもするし、何でも言うことを聞くぞ。もう、試しただろうが、よく仕込んだから、具合は良いだろう?」
クックッと喉を鳴らして、第二王子が笑う。
気が、遠くなった。血の気が引いて、指先が冷たい。
「……ルシールと結婚したとして、それを買うことが出来るように、手配してやれたのに。全く、強欲だな、一人で使い倒したかったのか?」
目の前が、暗くなる。アーセールの前で、こういう言葉を、言われたくなかった。唇を噛んで、なんとか、気を失わないように、堪える。その、ルーウェの身体を、アーセールがぎゅっと抱き寄せた。暖かで力強い胸の中にいると、気分が落ち着いていく。今、この瞬間、ルーウェの為にだけ存在している逞しい腕は、とても、優しくて暖かかった。
そして、ルーウェの肩を抱いたまま立ち上がると、目の前にあったカップを手に取って、その中身を勢いよく第二王子にぶちまけた。
「はっ……?」
頭から紅茶をかぶった第二王子は、我が身に起きたことが信じられないという顔をして、濡れた衣装と、アーセールを交互に見ている。
「ルサルカっ!」
アーセールは今の行動を詫びる訳でもなく、自身の秘書官を呼んだ。
「はい、お呼びでしょうか」
「ああ、第二王子殿下と第三王子殿下が、お帰りになるそうだ。……そしてこの二人には、今後、当家への立ち入りを禁止させて頂く」
「な、なんだとっ! 私を、誰だと思っているんだ! このような無礼が……っ」
「無礼を働いたのは、あなたのほうだ。俺の伴侶に対する度しがたい侮辱の数々は許しがたいが、あなたの立場を考えて、決闘を申し込まずに済ませることとした」
「はっ? け、決闘っ?」
「当たり前だ。伴侶を侮辱されたものは、伴侶の代わりに決闘を申し出ることが出来る。紅茶ではなく、手袋が良かったのならば、今からでも、投げて差し上げる。ただ、俺は退役したとは雖も、戦場で血しぶきを自ら切り開いて地位を築いた、たたき上げの武官です。血まみれの殺人狂、血に飢えた悪鬼、紅蓮の死神などという、《《名誉ある》》二つ名で呼ばれることもありますことを、ゆめゆめお忘れなきよう」
淡々と、アーセールは告げる。視線は、第二王子から一瞬も外れない。
(私の為に、……第二王子と、敵対を……?)
そんなことを、することはない、と思ったが、ルーウェは声を出すことも出来なかった。アーセールが肩を抱く力は、酷く、力強かった。
「くっ……っ」
悔しそうな、第二王子の声が部屋に響き渡る。
対峙する二人の緊張を解いたのは、「そこまで」という、声だった。声の主は、皇帝であった。とっさに、アーセールと第二王子は礼を取る。
「……アーセール。面白い《《余興》》であった。ふむ……そうだ。ルーウェ、そなたに、結婚の祝いをやっておらなんだ。これを受け取るが良い」
侍従が、うやうやしく紫色の絹布に包まれた薄くて、四角いものを持ってきた。
「これを」
「はい、ありがたき幸せでございます」
それを受け取って、ルーウェはすぐに布を取った。額縁、であった。絵が額装されているのだが、よく解らない。子供の手形が、ぺたんと押してあるだけの、古びた絵だった。絵なのか、すらよく解らない。
「これは……?」
「うむ。皇太子の手形だ。五ヶ月のころであったか。中々、貴重な品だ」
どう、反応して良いか解らなかったが、頭から紅茶を浴びた第二王子が、「はははは!」と身体を折り曲げて、笑い始めたので、ろくな品物ではないのだろうというのは、想像出来た。
「……兄上の、手形……っ!」
「うむ。中々、良く取れているだろう。ルーウェ。これは、家宝として、大切にするように」
皇帝は、真剣な顔をしている。なのでルーウェも、真摯な気持ちで、それを受け取った。たいしたことのない品物なのかも知れないが、皇帝から賜ることが出来た数少ない贈り物だ。大切にしていこう、と心に決める。
「はい、大切に致します」
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