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第19話 皇太子からの結婚祝い

 ルーウェが『役に立ちたい』と言うたび、アーセールは、胸が苦しくなる。彼の半生を考えれば当然のことかも知れないし、ルーウェは、自分の居場所を見つけようとするのに必死なのだろうが、アーセールは痛々しくて、見ていられない。  第二王女との結婚のことも、第二王子の暴言のことも、ルーウェは責めなかった。あのまま、果実酒を飲みながら、宴席の出来事を振り返っている間に、ルーウェは眠ってしまったので、彼の身体を抱き上げて、寝室へ向かった。いつもの閨ではなく、ルーウェの寝室の寝台だ。ここでは、ルーウェは夜を過ごしたことはなかったはずだ。輿入れからずっと、一緒に寝ていたのだ。  閨の寝台よりも、小さな寝台は、如何にルーウェが華奢でも男二人が横になると、少し窮屈だった。アーセールはルーウェを腕に抱いて、そっと、額に口づける。  大抵、閨にいてもルーウェの報が先に寝てしまう。寝てしまったルーウェの額に口づけるのは、アーセールの毎日の楽しみになっていた。  そして、銀色の髪を優しく指で梳く。アーセールの髪よりも、細くて、つややかな髪だ。今までも美しかったが、アーセールに嫁いでからは、もっと美しくなったと思っている。今までよりも、十分に、手入れをしているからだろう。  たとえば月光を紡いで糸を作ったら、こんな彩になるのではないだろうか。 「……ゆっくり休んで……」  もう一度、今度は頬に口づけを落としてみた。酔っているせいか、頬は、少し、熱かった。  ルーウェの部屋で休んだのは初めてだったので、ルサルカが意味ありげな視線を向けてきたが、とくに何も言わなかった。二人が親密な時間を過ごしたのではないことは、一目瞭然だったからだ。ただ、主二人が、妙に気恥ずかしそうにしているのに呆れたような表情ではあった。 「……朝食は、こちらにお持ち致しましょう。それと、皇太子殿下からのお祝いに懐いては、どうぞ、目録をご確認くださいませ。速やかに」  速やかに、というところをルサルカは強調した。 「皇太子殿下は、大分、祝いを弾んでくださったようですね」 「すこし、驚きました。そりと、私の住んでいたところに近付くことが出来なかったというのは、初めて知りましたので驚いています」 「ええ。……皇帝陛下の思し召しでしょうかね」  意図が、よく解らないが、おそらく、そういうことなのだろう。皇帝陛下には、おそらく、アーセールやルーウェには見えない物が見えている。それは、間違いない。 「けれど、気に掛けてくださって、沢山の贈り物を頂いたのでしたら、嬉しいです」  過去、庇護されなかったことについて、ルーウェは一度も恨み言を盛らしたことはない。少しくらい、過去を恨んでも良いのではないかとアーセールは思うが、大切なのは、現在だ。過去を、見なくて済むなら、見ない方が良いのだろう。  ルサルカが朝食よりも先に持ち込んだ目録には、様々な品々が並んでいた。目録は立派な装丁がされた薄い書籍のような形をしていた。そこには、皇太子の印章が刻印されている。東宮府からの正式な目録であった。 「な、んですか、これは……」  ルーウェのほうが呆れて絶句している。無理もないことだった。 『五歳の誕生日祝いとして書物。六歳の誕生日祝いとして生地を一揃え。七歳の誕生日祝いとして銀の地金。八歳の誕生日祝いとして……』  などとずらずらと列挙されている。肝心の結婚祝いに到達するまで、五枚も頁を繰る必要があった。 「殿下から、一言添えてありますね……これは、もともと、殿下が、その時々にご用意くださったもののようですね。東宮府からの出庫が、当時の年月になっています」 「え……っ?」 「東宮府は、あなたに贈り物をする用意があったのに、途中で止められて、東宮府へもどされたのでしょう」  なぜ、そこまでルーウェを酷く扱うのだろうか。アーセールは首を捻る。そもそも、現皇后の子息たちとは雖も、皇帝陛下の公娼時代に生まれた第二王子たちは、みな、公娼であったランゲロング男爵夫人の私生児である。それが、皇室に入った瞬間に、皇帝の子供として認定されただけで、現皇室において、皇帝の実子―――王子として生まれてきたのは皇太子と、第八王子の二人だけのはずだった。 「兄上が、ずっと気を配ってくださっていたことが解っただけでも、嬉しいです。様々な品より、そのことのほうが、私にとっては嬉しい」 「ええ。まあ、あとは、品物も凄いのですけれどもね……」  二十歳の誕生日には、東宮府より所領の一部を賜っている。農場の経営権、菜園の経営権まであるし、正式な場所で着用する装束一式に、数々の装飾品。  結婚の祝いとしては、やはり郊外の農場に、織物の工房、地方の領地などがあった。 「これは、一体、幾らになるのやら……どう、返礼の品を考えれば良いか……」 「返礼……」 「ん? ちょっと、これを見てくれ」  アーセールは、目録の最後の紙が少し厚いことに気がついた。 「紙が、少し、厚い?」 「ああ……ちょっと、剥がしてみよう」  慎重に、紙を剥がしていく。 ゆっくりと気をつけて剥がしていくと、きれいに紙が二枚になった。そこには、数字の羅列が書かれている。 「何の数字でしようか、兄上が……わざわざ……?」 「ルーウェ。これは、軍の暗号だ……俺の使える暗号の中で、一番高度な暗号のはず」  数字を用いた暗号は、軍の中で全部で十二種類在る。アーセールが使用出来るのはそのうちの十種類。最上位の暗号は元帥だけが使うことが出来る。その中でも、最も高度な暗号だった。 「乱数表と対照して、計算し直せば、今日中には復号できると思う」 「私にも、教えて貰えませんか?」 「……これは、済みません。機密です。本当は、俺が使うのも、出来ないはず……というか、俺が辞職したあと、乱数表が改訂されていると思いますので、皇太子殿下は、昔の乱数表を使ってこの暗号を書いたと思われます」  ルーウェの顔が曇る。こればかりは、仕方がない。 「あなたを信用していないと言うわけではなく、国家の機密に関わることゆえ、お許しください」 「すみません。そうですね……」  理解はしてもらっただろうが、それでも、正論で申し出を断った心苦しさはある。 「兄上が、わざわざ、暗号を……その上、過分な贈り物まで……」  地方の領地。レルクト。立地は、王都から馬を走らせて一日。国境が近いわけでもない、山岳地帯を抱える、穏やかな土地だったはずだ。 「あっ」 「どうしたんですか?」 「このレルクトという土地ですが、あなたの所領になったことですし、一度、行ってみませんか? ……ここは、たしか、浴場が有名なのです。湯治場があるはずです。俺は、世話になったことはありませんでしたが」  あれ、とアーセールは少し引っかかった。つまり、軍の湯治場がある場所だった。一般の湯治場と、貴族用の湯治場、皇室の湯治場、そして軍の湯治場があるはずだった。 「湯治、ですか?」 「まあ、我々には必要ないとは思いますが……新婚旅行ということで」  ぽっ、とルーウェの顔が赤くなった。嬉しいらしい。それは解った。  

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