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第26話 食えない人
「ルーウェに愛想を尽かされた?」
皇太子が、素っ頓狂な声を上げてから、身体を折り曲げて、くっくっと笑った。
「それが本当だったら、なかなか、君は見所があるな」
「なんですか、それは……」
アーセールは、愉快そうにしている皇太子を見て(意外に、食えない人かも知れない)と評価をあらたにする。
「かんがえてみると良い。あれは、誰にも顧みられなかった。だれも救いの手を差し伸べてくれなかった。だから、せっかく見つけた安住の地で、安定した立場を求めるだろう。だから、きっと、君の役に立ちたいというはずだ」
当たっていたので、黙るしかなかった。
「その、あれが、君と喧嘩をしたんだから、あれは、相当、君に甘えてるんだよ。強く言っても、君は見捨てない。そう、判断したんだろう」
果実酒を、もう一口皇太子は飲む。そのまま。一気に飲み干した。
「……それならば、良いのですが」
「あれは、野良猫みたいなものかな? ちゃんと、家に入れて愛してやればちゃんと懐くだろうよ」
「野良猫にお詳しいんですね」
「飼っていた」
意味ありげに微笑む皇太子の飼っていたという『野良猫』については、深く追求しないことにした。
(この人に関わると、ろくなことにならない気がする……)
早く、ルーウェが来ないものか。困り果てて、アーセールは使用人に目配せした。
「お呼びでしょうか」
「ああ、俺の分のグラスを持ってきて貰えると助かる。それと、ルーウェが湯殿から戻っていたら、客人が来ていると伝言して欲しい」
「畏まりました」
うやうやしく礼をしてから、使用人は去って行く。アーセールにグラスを持ってきたので、それに果実酒を注いで、皇太子のグラスにも注いだ。
新しいグラスは、警戒するだろう。そう、判断したのを、皇太子は理解したらしく、にんまりと笑っている。
(試されているようだな……)
「正直な所、君は国民から人気があるのだ」
「はあ」
アーセールにその実感はない。もし、国民から人気があるというのなら、昨日の酒場で誰か気がついても良いのではないだろうか。姫君と騎士と言われたことを思いだすと、少しおかしな気分になる。
「君を担ぎ出して、兵でも出されたら、こちらには勝ち目はなかった。本当に、助かった」
「第八王子殿下と結婚をするということが、即、あなたの臣方になると言うことに繋がりますかね? ルーウェは……第二王子殿下に、良いようにされていたのに?」
「それはそれ。陣営としては、こちらのはずだ。だが、オレールは、おそらく、ルーウェも自陣に引き入れたかっただろうね。それも阻止してくれたのだから、私は、君に礼を言っても言い足りないくらいだよ」
オレールというのは第二王子の名だ。
「ついでに言っておくと、君がルーウェと結婚すると言い出さなければ、オレールと、ルーウェの悪縁も切れなかった。一生言いなりになって過ごしただろう。君が、ルーウェに付いて、オレールが纏めていた縁談を蹴り飛ばしてくれたおかげで、君は正式にオレールと、敵対したんだ。あれは、私には全く思いつかない神の一手だった」
「悪魔のではなく?」
「さあね。どちらが正しいかは、我々ではなく歴史が決めるだろう。しかし、私は、悪政をするつもりはないし、受けた恩はきっちり返すつもりだ。ついでに、敵対した人間への粛正も、しっかり行う。金勘定が好きな人間でね」
からからと笑っているが、言っている言葉は実に殺伐としている。顔が引きつるのを感じながら、アーセールは一刻も早くルーウェが来てくれることを心から祈った。
「……ああ、そうそう。君らの『夫婦生活』についても大筋把握しているよ。なぜ、手を出さない? あれの過去を気にしているのならば、全く逆効果だろう? 名実ともに、我が義弟に成ってくれることを、心から祈っているのだよ」
「あなたの、手のものが……我が邸に?」
「どの貴族も、そういうことはしているだろう?」
にこり、と実に美しい微笑みで、皇太子は肯定する。それが、恐ろしかった。
「俺は、そういうことはしていませんよ」
「そう。だから、君は信用出来るんだよ」
何を言い返しても、この人には勝てる気がしない。アーセールは、そう認識した。酒を呑み、カナッペに手を伸ばす皇太子を見て、チラチラと使用人が不安そうな顔をしているのが解った。一体、何だろうと思ったが、そういえば、夕食の支度をしていない。食事は食べないとルーウェが言っていたはずだった。
「殿下」
「なんだ?」
「ご夕食は如何なさいますか? 用意させますが」
アーセールが問うと、使用人が、ホッとした表情になった。心配事は、これで正しかったらしい。
「……いや、新婚旅行の夕食を邪魔したら、のちのちまで恨まれるだろうから、止めておくことにするよ」
「左様ですか」
なんとも腑に落ちない気分になった時、ふんわりとした花の香りを感じた。薔薇に似た甘い香りだ。何かと思って入り口を見ると、ルーウェの姿があった。湯上がりなのだろう。すこし、いつもよりぼんやりした感じがする。
「久しぶりだな。ルーウェ」
「殿下、お待たせ致しました……お酒と軽食を召し上がっていたのですか?」
「ああ。ここは、警戒する必要がない。だろう?」
「そうですが」
腑に落ちないような顔をして、ルーウェはアーセールの隣に座る。甘い香りがいっそう強くなった。
「いつもお使いの香油とは違うような」
「湯殿に、沢山の芍薬が浮かんでいました。なので、香りが移ったのでしょう。ここは、そういう入浴方法なのですね」
「いや、新婚者だから、家人たちが気を遣ったのではないか? 普通、湯に花を浮かべることはしないだろうが」
さらりと言った皇太子の言葉を聞いたルーウェの頬が、ぽっと赤くなった。そういえば、さっきまで喧嘩をしていたはずなのに、ルーウェは当然のように隣に座った。そのことに気がついたアーセールは、胸がじんわり温かくなっていくのを感じていた。
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