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第34話 不協和音
「ルーウェ!?」
思いもよらない行動に出たルーウェに、アーセールは、呆気にとられた。一体、何を言うのか、わからなかった。
「アーセール。一生のお願いです。兄上を助けてください」
「ちょっと……頭を上げてください……」
顔を上げたルーウェは、思い詰めたような顔をしていた。
「もし、皇太子殿下を救ってくださるのでしたら、もし、私に力を貸してくれるのならば、この身を好きにして貰って構いません。どのような屈辱的な行為でも喜んで受け入れますし、私を、どこかへ売り飛ばしても構いません」
息が、出来なかった。
ルーウェが、こんな申し出をすることも、腹立たしいが、ルーウェがアーセールを、こういう、愚劣な行いをする人間だと思っていることに、衝撃をうけた。
だが、どう、言い訳をしても、もはや、ルーウェの認識は、くつがえらないだろう。そのことに絶望を覚えつつ、アーセールは言う。胸の中は、様々な感情が嵐のように渦巻いていた。怒りなのか、絶望なのか。その激情を押さえつけるために、ことさら冷静になって、アーセールは言う。
「そのような取引は無用です」
感情のない声だった。
「けれど、私が差し出せるものなど……」
こんなものしかないのです。そう呟くルーウェの瞳から、大粒の真珠のような、涙がこぼれ落ちる。
「お願いですから、どうか、兄上を……」
「あの方と、俺は、血で契約しました。あの方の危機ならば、俺は何をおいても行かなければならない。血の約定は、あなたの申し出より重い」
ルーウェを立たせてやると、不思議そうな顔をして、アーセールを見ていた。
「それと」
言うべきか迷ったが、アーセールも言わずにはいられなかった。
「あなたにとって、俺は、あの第二王子と同じかそれ以上に愚劣な存在と映っているのでしょうが、約束は守ります。
あなたの方こそ、もはや私と関わる必要はないでしょう。私と皇太子殿下は、個人的な約定で結ばれていますので、あなたは無関係だ。
我々は、離婚したほうがお互いに利がありそうですね」
淡々と告げたアーセールの言葉を聞いて、ルーウェは呆然と立ち尽くした。一度は涙が止まっていたが、ラベンダー色の瞳から、涙がとめどなく流れる。
「な、ぜ……」
「あなたは、いまや財産も所領も持ち、王子の身分も失っていません。その上、若く美しい。私のような無職の人間に関わっているより良いでしょう」
ルーウェの涙は止まらなかった。それを見て、胸は痛む。
(だが、仕方がないだろう? ……この人にとって、俺は、やはり第二王子と同類の人間のクズみたいなものなんだ)
それならば、離れたほうが良い。これ以上、一緒にいても傷つけあうだけだ。
「俺は、北の国境に向かいます。あなたは、どこへなりとも」
踵を返して背を向ける。二度と振り返らないつもりだった。振り返ってしまったら、戻ってしまう。それをアーセールはよく解っていた。
扉に手をかけた瞬間だった。
「待ってください!」
ルーウェがアーセールの腕に抱きついてきたのだった。
「……なんですか?」
「どこへなりともというなら、あなたと行きます」
「殿下……」
カッとルーウェの顔が赤くなった。
「そんな呼び方をしないでください!」
「しかし……」
ルーウェは必死に抱きついてくる。振りほどこうにも、出来ないほどに。
「兄上を助けに行くのでしょう? なら、私も参ります」
「あなたは、足手まといです」
冷静に言い切ったアーセールの言葉を聞いたルーウェが悔しそうに呻く。
「足手まといになるなら、途中で捨てていってください」
「俺は、皇太子殿下から、第八王子殿下の御身を任されました。殿下の御身をお守りしなければならないのです。ですが、北の国境までの間、俺はお守りできません」
「私の身を守れというなら、あなたのそばが一番安全でしょう」
平行線だ。アーセールもルーウェも、引くつもりはない。視線が絡んで火花を散らす。ルーウェは、強情だったし、アーセールから離れるつもりがなさそうだった。ルーウェのぬくもりを腕に感じながら、アーセールは溜息を吐く。
「敵陣に突っ込むようなものです」
「もとより、承知しています」
何を言っても、無駄だ。ルーウェは、「お願いですから」と繰り返している。
「……今日の深夜に出ますよ」
結局、折れたのはアーセールだった。
皇太子の従者らしき少年に食料を持たせて、邸の外へ出す。ただ、今から北へ向かうと告げると、一緒に行くというので、連れて行くことにした。少年が、万が一、刺客に襲われるのを考えて、食料以外のものでもたせたものはない。
アーセールは、北への支度を整えて、そのあとは仮眠をとった。
(今日の夜は暗いと良いな)
月に照らされて明るいと、第二王子にバレるだろう。こっそり、抜け出す必要があった。邸には身代わりを立て、使用人として外へ出る。
馬は少年……サティスが、郊外の森の入口に、手配してくれることになっていた。
(ルーウェは、途中で、音を上げて帰ってくれればいいが……)
だが、おそらくルーウェは、最後まで意地を張り通すだろうというのも、アーセールはよくわかっていた。
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