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第39話 決定事項

「もしや、アーセール将軍の奥方様では!?」  砂埃をもくもくと上げながら、物凄い勢いで馬を走らせていた男たちが、ルーウェたちの姿を見つけて声を掛けてきたのは、西の領地に入る寸前のことだった。  男たちは皆、一様に、日に焼けて、痩せている。防具なども満足なものではない。一瞬、山賊かと思うような出で立ちだ。  ルーウェは、正直に言うか迷っていたが、一人の男が「ああ、一生結婚できないと思っていたのに、こんな美しい奥方様をお迎えだなんて、本当に良かった」など、さめざめと泣いているのを見て、これは、本物のアーセールの元部下たちだと確信した。 「あなた方は、アーセールに言われてここへ?」 「はいっ! 西のご領地にいらっしゃる奥方様をお守りするよう……」  男の顔が急に引きつって、言葉が途切れた。ルーウェの手が、身体が、小刻みに震える。腹の底が熱い。目の前が、赤く明滅するのを感じていた。いまだかつてないほどの、激しい怒りだ。 「な……んで、あの人は自分勝手にっ!!」  思わず叫ぶルーウェを見て、駆けつけたアーセールの部下たちが、一歩、後退する。 「将軍は、かなり、塞ぎ込んでおられて……」 「いざとなれば、お救いする方がご無事なら、死ぬ覚悟で……」  などと口々に寄せられるアーセールの情報をきいているうちに、怒りが頂点に達した。 「北へ参ります」  静かに、ルーウェは言う。声は、いつもよりもかなり低い。地獄の底から響いてくるような声だった。 「あなた方は、西へ。私と従者を伴っているように偽装してください……私の外套を纏っていればなんとかなります」 「ちょっ…、お待ち下さいっ!! 将軍に、怒られます」 「今の私もかなり、怒っています。あなた方には塁は及ばぬようにしますよ」  ルーウェは、あくまでもしずかな口調だった。にこやかに微笑んではいるが、背後に真っ赤な怒りの炎を背負っている。  鎮火するのは無理そうだった。 「あ、ルーウェ様。俺も、あの人に勝手にされて、ちょ~っと腹がたつからさ、一発、平手打ちにしてこないと気が済まない。だから、一緒に行く」  傍らでサティスが手を挙げる。サティスはサティスで、皇太子に遠ざけられたうらみがあるようだった。  ルーウェと、サティスは手を握る。あつい握手の瞬間を、アーセールの部下たちは、引きつった面持ちで見ていたが、「せめて、何人か護衛をおつけください」と申し出て、折れたのだった。  西の領地から一転北を目指すことになったルーウェだったが、現在、基地の国境で戦闘になったとか、王都やレルクトまで、その他の土地でなにか変事があったと言うことは聞こえて来なかった。  ただ、訪れる町は、みな、『皇帝崩御』の報をきいて、半旗を掲げ、その崩御を悼んでいる様子だったが、途中、妙な話を聞くようにもなっていた。 『皇帝陛下はまだお若かったし、お元気だったというではないか。なにか、あったのではないか? 皇太子殿下のお姿も見えないというし、皇太子邸が焼かれたらしいぞ』  皇帝は、確かに健壮だった。最後に皇帝にあったのは、披露の宴の為にアーセール邸を訪れたときだが、その時も、いつも通り変わった様子はなかった。色々と、嫌なことを言われたことも同時に想い出す。 (そういえば)  馬は、一心不乱に塩を舐めたり、飼葉を食べたりしている。ルーウェは、馬の背を撫でてやりながら、想い出すことがあった。賜った『結婚祝い』の品だ。 (兄上の手形なら……サティスが喜びそう……喜ばない、かな) 「奥方様、一体、何をにやにや笑っているんです」  サティスは、ルーウェを『奥方様』と呼ぶようにして居た。商家の婦人と、側仕えの女使用人。それに、金子で雇った用心棒、という形の旅を装うことにしたのだった。従って、現在、ルーウェもサティスも、商家の女主人と使用人に見えるような女装だった。 「……あなたは、兄上の、手形とか欲しいですか?」 「ええっ? いらないですよ。なんで、そんなものが欲しいんですか。どうせだったら、もうちょっと、実のあるものだったらありがたく頂戴しますけどね」 「そうですか。私は、結構嬉しかったのですけど。……父上から賜ったのです。結婚祝いとして」 「結婚祝いに?」  サティスが身体を折り曲げて笑い出した。「結婚祝いに、なんで、あなたの兄上の手形なんか!」  目の端に涙を溜めて笑っているサティスを見ると、どうやら、あの品は価値のないもののようだというのは解る。あの時、第二王子も、笑っていた。 「でも、せっかく賜ったものなのに」 「まー、解りましたよ。じゃあ、あとで、鑑賞会をしましょうね、その、手形の主と一緒に。あと、その方の頬には、俺の手形を残す予定ですんで、よろしく」  サティスの決意は固い。とにかく、一発平手をお見舞いしないと気が済まないらしい。  ルーウェも似たようなものだ。とにかく、もう一度、ちゃんと、真っ正面から文句を言わなければ気が済まない。それで別れるのならば仕方がないが、それでも、最後まで、ルーウェはゴネようと思っている。 「……奥方様だって、やる気まんまんじゃないですか」 「ええ。もう、心から腹が立ちましたから……絶対に、一生掛けて償わせないと気が済みません」  まだ、琴だって聞かせてないし、あちこちの所領を回って旅行をするというのもやっていない。  なのに、勝手過ぎる。振り返りもしないで北へ向かったことも腹立たしい。  だから、ルーウェは、今度は、絶対に、アーセールを放さないと心に決めた。 (私は、いつだって、あなたの側に居ると決めたのだから)

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