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第42話 我が名において

 最近、物騒なことだ、と思いながらグレアンは露店の見回りをする。ここの所、妙な一行があちこちにいる気配がある。おそらく、どこかの暗殺者だ。ということは、この国境になにか変事があるのかも知れない。そうなれば、すぐに荷物を纏めて逃げ出す必要がある。  ついさっき、どうにも薄らぼんやりした元騎士かなにかに声を掛けてみた。商売をやるらしいというが、大抵失敗するだろう。だが、こっちは、貴族への販路が繋がるかも知れない。会話してみたら、存外悪い奴ではなさそうだったので、案内してやったら、愛妻への贈り物を喜んで買っていった。  少年が、初めて恋人に贈り物を買うときのような、嬉しそうな照れくさそうな表情だったのが印象的だ。しかし、その愛妻とは離婚の危機らしく、おそらく噂を聞いて飛んできたらしい、奥さんの兄という男が、首根っこをひっつかんで引っ張っていったのは、ちょっと面白かった。  まあ、うまく、離婚の危機を脱すればいい。  そう思っていたら、西側の区画で、爆発音がした。 「なんだっ?」 「わからん。おっさんは、この辺にいろ。俺が見てくる」  露店の若いのが、走り出す。茶色くて乾いた砂埃が、空に舞い上げる。  周りの露店は、大急ぎで店を閉め始め、客たちは、叫びながら蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。 (あの、うさんくさい連中が犯人だろう……)  ここは、引き上げ時かも知れない。そう思って、指示を出そうとしたその時だった。黒服の男たちが、猛然と走って行くのが見えた。あいつらだろう。若い連中に目配せすると、静かに頷いて、黒服を追いかけていく。 「あっ……っ!」  髪飾りを買った男と、その奥さんの兄の二人が、黒服たちに抱えられて連れ去られるのが見えた。血が流れている。 (目的は、あの二人だったのか……?)  確かに、身なりは良かった。怪我をしている様子だったし、心配だ。 (奥さんがこの町に来ていると言っていたが……) 「おい」とグレアンは、手近にいた男に声をかける。 「なんですか、グレアンさん」 「……ちょっと気になることがある。もし、この町に旅をしている商家の奥様風の格好をした人が来たら、俺が会いたがっていると話をしてくれ。たしか……瞳の色はラベンダー色だ。ラベンダー水晶の髪飾りを買っていった」 「へえ……?」 「今の爆発を起こした奴らに、旦那が連れ去られたみたいだ。……いま、付けさせているから、念のため、探して欲しい。旦那が怪我をしていたら、心配するだろう」  なんとなく、胸がモヤモヤする感じだ。嫌な予感がする。 (あの離婚寸前の男は、身なりがよかったし、体格も、良かった。そんな男が、さらわれたのだから、かなりマズイ相手だろうな……)  ただ、わざわざ連れ去ったと言うことは、まだ、息はあるのだろうし、なにか意図があるのだろうとは思う。だから、早いうちに、助け出すことは、可能かも知れない。ただ、そうなると、少々困るのは。 (せめて、あの人たちが何者か解ればなあ……)  王都のほうでは皇帝が崩御したという話で待ちきりだろう。だが、少々、きな臭い噂がないわけではない。それは、皇帝は『暗殺』されたという話だし、その『犯人』として名前が挙がっているのが、皇太子だという噂だった。  状況は、よく解らない。だが、そういう噂は、全く火のないところには立たないかも知れないし。次に皇位継承権があるのは、おそらく……。 「……なあ、もし、今の状態で皇太子殿下が、お隠れ遊ばされたら、次の皇帝誰になるんだ?」  声を掛けると、片眼鏡の男が、「そりゃあ……」と言ってから少々、黙り込んだ。 「現皇后陛下は、元々、ランゲロング男爵夫人という公妾だったんだ……たしか、法律は……、後妻には、継承権はないはずだ。それならば、前皇后陛下の王子が優先される」  この片眼鏡の男は、もともと王都で法律家を目指していたが、下宿先の女主人に手を出して、王都を追い出されたという素性なので、法律に詳しい。グレアンは、それを便利がって、字引代わりに使っていた。 「皇太子以外には居ないだろう」 「いや……いる。系図上、第八王子ルーウェ殿下が、皇位継承権第二位のはずだ」 「ルーウェ」  聞いたことがあるような名前だ、とグレアンは思った。最近、聞いた。ルーウェ。珍しい名前だと思ったのだった。それは、ヴァイゲル国の言葉だった。砂で出来た獅子。ヴァイゲル国を守護する、強き聖獣。 「あっ……」  さっきの男たち。あの離婚寸前の男の妻の名は、ルーウェだったはずだ。そう、義兄が呼んでいた。ルーウェ。 「ヴァイゲル語なら、ルウェラだな」  ヴァイゲル国には、名詞に性がある。ルーウェは男性形、ルウェラは女性形。男性名でないかぎり、「ルーウェ」とは名付けないだろう。 (第八王子殿下の駙馬《ふば》殿下は、元将軍のアーセール様。それと、義兄ということは、皇太子殿下か……)  グレアンは、しばし、瞑目した。 「おい、じーさん、どうしたんだよ」 「ちょっとまて、考え事をしているんだ」  しばし、考えてみる。皇太子殿下に味方をすれば、第二王子側と対立すると言うことになる。ここで、判断を、誤るわけにはいかない。 「おーい、おっさん! 商家の奥さんを連れてきたぞっ!!」  グレアンの思考を遮ったのは、その声だった。国境を目指していた、第八王子が到着したのだ。グレアンは、声の方向を見やった。  商家の夫人風の衣装に身を包み、銀色の髪を結い上げている。ラベンダー色の瞳を見た瞬間、この色だ、と確信した。男性、であるはずだが、女性と言われても、全く違和感はなかった。 「すみません、今、夫が……捕まっているとうかがって……」  慌てた様子で、第八王子が小走りに駆け寄ってくる。す、と自然に人だかりが彼の為に道を空けて、道が出来る。グレアンの真っ正面に立った第八王子は、神秘的なまでに美しかった。 「黒服の男たちに、ご夫君と兄君が連れ去られたようです。今、行方は手のものに追わせています」 「夫と……兄も?」  ルーウェは目を丸くする。だが、それも一瞬で「あなたの仲間が追っていると」とすぐに問いかけてきた。 「はい」 「……私達に加担するのはなぜですか」  ラベンダー色の眼差しが、じっとグレアンを見ている。腹の底を、見透かすような、眼差しだった。 「私は、商売人ですので……王都への販路が欲しい」 「なるほど? それで、私達に恩を売ろうと? 黒服が、あなた方の仲間でないという証拠もないのに?」  おっと、とグレアンは言葉に詰まった。しかし、次の言葉を探そうとするグレアンに、先に、申し出たのは第八王子のほうだった。 「利で結ばれているのならば、安心出来ます。……一筆書きましょうか? 夫に断りを得ずとも、私の財産は多少ありますよ」  ふふ、と第八王子は微笑する。その、魅力的な微笑みを見て、グレアンの胸が、少年のように騒いだ。 「いえ、一筆など……」  と言ってから、グレアンは、跪いた。腹は決まった。そのグレアンをみたルーウェが、目を丸くして声を上げる。 「えっ?」 「第八王子殿下に、忠誠を誓います。どうぞ、我らをお使いくださいませ」 「いつから、気づいていたのです……」  第八王子は、ばつが悪そうに頬を染めている。その時だった。 「……あ、済みません。ちょっとよろしいでしょうか」  手を上げて話に割り込んできたのは、片眼鏡の男だった。 「なんだ、おまえ……」 「いや、ちょっと気がついたんですけど。この町って、直轄地なんですよ。で、直轄地に関する特別な法律なんですけどね。……有事の場合、皇室のものが、この町の人員を動員することが許されています。いま、それなりの有事だと思うんですけど如何ですか?」 「なるほど。……皇帝陛下が崩御され、皇太子殿下が拉致されたと言えば、有事ですね」とルーウェは納得したように頷いて、一度、深呼吸をしてから、高らかに宣言する。。 「第八王子、ルーウェの名において命じます。拉致された皇太子殿下と、アーセールを、速やかに救出せよ!」  その場にいたすべての者が、第八王子に跪いて「畏まりました!」と受けたのだった。

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