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第6話 〜謝恩〜
店が終わって、てつやは最初にいた事務室で呆然とソファに座っている。
今日のことが夢のようで現実味がない。
「どうした?疲れたか?」
柏木が書類から目を挙げて声をかけてきた。
「いえ、そうじゃないんですけど…夢見てたような感覚で…」
たかだか15歳の子供が見る世界では確かになかっただろう。しかしてつやには、稼いで夢を現実にしなければならない目標があった。
「頑張っていけそうか?」
メガネを外して目を揉みながら聞かれて
「はい、できそうです」
と迷いなく答えた自分にもちょっと驚いた。
そんな間に、丈瑠が着替えて出てくる。薄いグレーチェック柄のチノパンに、さほど酷い加工のされていない黒のダメージTシャツを着て、手には真っ白のフード付きブルゾンを持っていた。
「あれ、アフター?」
柏木に問われ
「はい、小野塚さんと行ってきます。寿司くわせてもらおうと思って」
「小野塚さんずっと待ってたのか?」
流石に柏木も驚く。
「結果的にそうなりましたね。途中抜けるようなことも言ってたんですけど。随分俺にご執心のようで嬉しい限りです。ボトル2本入れてもらいましたし」
その言葉に柏木は拍手をして ブラボゥと労った。
「寿司でも焼肉でも食べさせてもらってきなさいよ。その後はどうせ食べられちゃうんだから」
てつやはビクッとした。
「店長言い方。でも小野塚さんは好きですよ…清潔だし、セックスもスマートで」
まあ…確かここはそういう所だった…表だけという意味の深さがだんだんわかってくる。
「確かにあの人は飲み方も綺麗だしな。楽しんでこい。んじゃ、俺もなんか食ってくるかな。てつやも腹減っただろ。俺と飯でも行くか?」
と言いながら柏木が自分の後ろのハンガーフックにかけてあるコートを外している。
「え、こういう時どうしたらいいんだろ…」
狼狽えるてつやを見て丈瑠が
「奢ってもらえる時は素直にごちになります、でいいんだよ」
と笑って教えてくれた。
「あ。じゃあ…ごちそうさまです…」
と応えて2人にそうそう、素直にねと笑われた。
連れて行ってもらったのは深夜営業の焼肉屋。
「俺なんかはもうロースだけで精一杯だけど、若いお前はいっぱい食べな」
生ビールを煽って、柏木はメニューを渡してきた。
「本当にいいんですか?」
「ああ、いいよ。好きなもん食え」
ここの所心労も手伝って碌なものを食べていなかった手前、肉を前にして俄然食欲が湧いてくる。
最初の注文がカルビ、ロース、ホルモン タン、ハラミ全て2人前ずつ、それにご飯大盛りとテグタンスープで、柏木は
「さっすが10代…食うねえ」
テーブルに置かれた肉を見て、柏木は呆れを通り越して褒め称えた。
自分で頼んだロースを2枚ほど網に乗せると、てつやの肉も数枚載せてやり
「で、結局のところお前実年齢幾つなん」
だいぶこなれた感じで話しかけてきてくれた。てつやも話しやすくなってくる。
「本当は21日で16っす」
まだ少し赤みの残った肉でご飯をかき込みながら答えた。
「16か。まあ、誠一郎さんじゃないが色々あるわなあ…苦労してんだ、その若さで」
「母親が…とんでもなくて…今は、友達のお母さんたちに匿われて一人暮らししてるんすよ。家賃も払いたいし、稼いで恩返しもしたいし、稼ぐ方法も知りたくて。とりあえず稼げるところと思ってここきました」
肉うめーと嬉しそうに食べるてつやを見ながら、もっと食えと柏木は笑う。
「いい友達持ってんだな。そこは裏切れねえなあ」
「そうなんすよ。だから今回誠一郎……には助けられました」
言いにくそうにしてるのを わかるよ、と同情して
「表だけでも月2、30は稼げるからな。ボトル一本入れてもらえたら、ボーナスでボトルの料金の1割入るから頑張れ。ちゃんと貯めて恩返ししてやれよ」
「え、まじっすか?」
ほっぺに物を詰めてどんぐりを限界まで入れたリスみたいな顔で動きを止めたてつやに、柏木は爆笑する。
「食うか驚くかどっちかにしろ」
座敷席の後ろに倒れ込みそうな勢いで笑い、それを聞いててつやはもぐもぐと咀嚼をして飲み込んだ。
「助かります、そんだけ稼げたら」
「より稼ぐ方法は、他に俺が株を教えてやる。トレーダーまでになるとちょっとやりすぎだから軽くな。今はいい商品 いっぱいあるから色々やってみて隙間ついて稼げばいい金になる」
「何から何までありがたいっす。大学に行く資金も貯めなきゃなんで、儲かることはなんでも…身売り以外は…」
と、小さくそこはやはり否定した。
そこ頑張ればもっと収入上がるぞ?と柏木は言うが、
「俺、今年の夏に男に襲われかけたんすよ…」
と、できない理由を言うことにする。
「はあ?男にか?」
「はい…それが気持ち悪くて、もうトラウマみたいになっちゃってて…もし知らずに客取らされたら、殴ってたかもなんで…」
「それはまた奇特な経験を…って言うか、聞いたなその話…お前だったのか工事現場の…」
てつやは一瞬肩を震わせた
「ああ、すまん思い出させたか。そう言う事情な。まあ客殴らなくてよかったわ」
「その後、母親に『お前男で稼げるんなら』って 男斡旋されてそれで家を飛び出しました」
柏木は黙って聞いていた。察するに父親は居なそうだ。まあそんな母親ならばなぁと思わなくもない。
「まあ、食え」
と肉を網に乗せてやりながら、ビールをもう一杯注文した。
「履歴書代わりに色々聞こうと思ったけど、まあいいわ、じゅうぶんだ。がんばれよ」
届いたビールを受け取って、グイッと一気に飲み干す。普通に聞いたら多少は胸糞の悪い話ではあった。
それからてつやの生活は一変した。
12時に終わり、初日は食事には行ったが極力早く帰り、早く寝て、朝はちゃんと学校へゆき、寝ていてもいいから学校へは行かないと卒業ができないからちゃんと行って、学校から帰って着替えてから店に向かう。
新市街は意外と距離があったが、梢さんがバイトに通うと言ったら中古だけどと自転車をくれたので、それで通っていた。16になれば原チャの免許が取れるからそれまでの辛抱だ。
毎日忙しいが充実していて、クヨクヨ悩むことも無くなった。
日曜が定休日なので、その日はまっさん、銀次、京介の誰かがあるいは全員が1週間分の勉強ノートを持ち込んでくれて一緒に勉強をした。わからなければ教えてもらい、大学への道もちゃんとがんばっていた。
みんなには、居酒屋と言っておいたが、いずれバレるだろう。でも店だけということを守っていれば何も恥ずかしいことはない。
いつかみんなには本当のことを言おうとは思っていた。
この店のシステムとして、バーテンダーをしながらお客を取る子と、バックで待機して店に呼ばれるか電話で呼ばれるかしてお客を取る子の2パターンがある。
店に立っているのは、てつやの他に丈瑠と稜と言う2人だけだった。
ただお酒が好きだと言うだけで、こっちに立っている。
実際丈瑠は今年大学を卒業した10月生まれの23歳で、いずれ店を持ちたいとここでバーテンの勉強をしながら、お客をとってお金を貯めている。
稜は現役の大学1年生の19歳で法学部だ。
てつやはこの2人に殊更可愛がってもらい、稜には大学の話を聞き、丈瑠には店を持つことのメリットやデメリットの話を聞かせてもらったり、バーテンダーとしての心得などを教わったりしていた。
元々の明るい性格も手伝って、お客さんからも声をかけてもらうことも多くなり、相手をしないことももう知れ渡っているので、そこで苦労をすることはあまりなかった。
時々しつこいお客に絡まれることもあって、抱きつかれたりすると足を踏んでにっこり笑うなど、ちょっと手痛い仕返しも中々人気があって、店はだいぶてつやを受け入れてきてくれていた。
「大丈夫そうだな」
店に入る事務所からのドアで、誠一郎がその姿を見ている。
「覚えも早いですし、天性の人たらしなんでしょうね、お客様も可愛がってくださる方も多くて、いい人材でした」
柏木も一緒にてつやを見つめ、目を細めた。
「ところで誠一郎さん。なんでそんなにてつや を気にかけてんです?『誠一郎の女』はあいつにもちょっと重い気もするんですがね」
誠一郎はドアから離れ、事務所に向かって指を立てーあっちでなーと示した。
事務所でソファに座り、タバコに火をつけると
「まあ…根性あるなと思ったのと。やっぱ財布を拾ってくれた恩はでかいんだ」
「それが命の恩人の所以なんですか?」
少し理由が小さい気はする。
「あの金なぁ、本家の頭 から預かってたやつでなぁ」
それを聞いてコーヒーを淹れていた柏木の手も止まる。
「え〜…それはまた…」
「あの、頭 だぞ…まあ無くしちまったら立て替えるしかなかったが…あの辺に落としたらもう見つからねえだろうなと思いながらウロウロしてたらな、てつや がそれ持って交番に行こうとしててさ。持ち逃げされたって文句言えねえ事情だったのによ」
身を起こしてテーブルの真ん中の灰皿に灰を落とした。
コーヒを持ってきた柏木は灰皿をそばに寄せてやって、コーヒーも前に置く。
「だからそれを止めて、道路の端に連れ込んで返してくれって言ったら『結構な大金だから、お巡りさんに確認してもらってから渡す』なんて俺に言いやがってよ。根性座ってるだろ?」
ーまあ、確かにこの風体に言われたら即座に渡す人間の方が多いだろうなぁーとは思う。
「まあ、命は大袈裟にしろ、落とした事実でもバレてみろ。全治何ヶ月くらいは食らうだろ?そう言う人だから」
柏木はいかついスキンヘッドの頭 の顔を思い浮かべていた。
柏木も元は誠一郎の組の構成員であったから、本家の人員は把握しているのだが数年前に足を洗ってこの店を始めたから今は堅気である。
しかし誠一郎は、元仲間というよしみでこうやって店を気にかけてほんの時々ではあるが顔を出してくれているのだ。
誠一郎が出入りしている店と聞けば、要らぬちょっかいはほぼほぼかけられないから。
「そう言う経緯なんすねえ。だからって『誠一郎の女』はやりすぎじゃあ」
「あいつは裏新市 街に骨を埋めるやつじゃねえからさ。その気もねえだろうし。その間だけでもきっちり守ってやりたくなったんだよ。まあ気まぐれっちゃあ気まぐれだよな」
取手ではなく上から掴むようにカップを持って、コーヒーをすすると
「前より美味くなったか?」
「インスタントですよ」
ツウぶらないでください、と自分もコーヒーを一口啜った。
裏新市街というのは、華やかな新市街と違って割といかがわしめな店が軒を連ねる界隈となっていた。
一般の人も来ないことはないが比較的『怖い場所』という認定はされていて、年に何件かは一般人が暴行を受けてお金を取られたという事件は実際に起きている。
東京でいう、ニュアンス的には『歌舞伎町』が近いかもしれない。田舎な分もう少し怖い部分もあるかもしれないが。
誠一郎はそこの全権を任されている者だった。
各店の者はほぼ誠一郎の顔を知っているし、世話になっていると感謝をしている。力でねじ伏せないやり方が、いい方向へ向いている街だった。
なので、その『誠一郎の女』という肩書き?がついたてつやはある意味最強の装備を整えられた勇者みたいなものだ(例え…)が、本人はまだ力足らずなのも自覚している。
なぜ『女』なのかは、この街で暮らすものなら誠一郎がノンケだということは十分わかっているために、『女』と称した者を誠一郎がそれだけ大事にしている、と取るので一目置かれる存在となるのだ。
「そのせいで、てつやが外で奮闘しているの知ってます?」
「ああ、知ってる。さっきも顔に痣できてたな」
誠一郎は笑って、コーヒーを飲み干した。
「根性座ってていいじゃねえか」
ガハハと笑って、じゃあ行くわ、と立ち上がる。
「頼むな」
と、柏木の肩を叩いて、ー見送りはいいーと部屋を出て行った。
「無責任に言うけどね」
はっ、と息を吐いて柏木はカップを片付け、ここ半年のてつやの武勇伝を思い起こした。
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