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第5話 〜初店〜
「じゃ、店に行ってみようか。今日は雰囲気とかをわかってもらえればいいから。話しかけられたら適当に相槌でも打っておいて。まあ…失礼のないようにな」
そう言われてついて行く。
店への扉を開くと、そこはカウンターの中になっていてフロアはダウンライトのみの薄明りに照らされていた。
カウンターに5席とフロアにはハイテーブルが3台置かれていて、ハイチェアーは壁際に寄せられている。必要に応じて使うのだろう。
そして壁際には、2人くらいしか座れないソファが少し距離を置いて3台並んでいて、そこにひと組座っている様子を見ると、イチャイチャするソファらしかった。
「丈瑠 この子今日からだから、よろしく頼むよ」
てつやより少し高いくらいの身長で、ツーブロックにした茶髪を耳から前側だけ長くしている結構なイケメンが、水割りを作りながら振り向く。20歳くらいだろうか。
「あ、今日の面接の。もう入れるんですね、よろしく宮田丈瑠 です」
軽く頭を傾げて挨拶をしてくれて、てつやも
「加瀬てつやです、よろしくお願いします」
と頭を下げた。
その様子をカウンターに座っている客が見ていて
「お、新人さんか、初々しいね。隣に来ないか?」
と声をかけてくる。
「小野塚さん、気が早すぎですよ。まずは俺の作った水割り飲んでください」
丈瑠はそう言って小野塚と呼んだ人の前に、今作っていた水割りをコースターと共に提供した。
「丈瑠を妬かせるのには成功したみたいだな」
ニコッと笑って、いただきますと水割りを口にした。
「今日はグラスの洗い方とか、簡単な水割りの作り方を覚えてもらう程度でいいから教えてやって。それとこの子は表 だけだから、そう言うオファーは断ってな。追々自分で断らせるけど暫くは頼むよ」
「表だけなんですか?なんか勿体無い」
丈瑠はてつやを上から下まで一通り往復して見回す。
「俺もそう思うわ」
と柏木もそういって奥に下がろうとしたが、てつやは少々心細くなって不安な顔で柏木を見つめてしまった。
「なぁ、そんな顔しちゃダメだぞ。誘われちまうから。大丈夫、バイトくらいしたことあるだろ。一緒一緒。お客ファーストで笑ってろ。じゃあ丈瑠頼んだぞ」
てつやの肩を叩いて、柏木は店を後にする。
いきなり手持ち無沙汰になったてつやは
「グラス洗います…」
と、目の前のシンクの中に入っているタンブラーとシャンパングラスに目をやった。
「あ、お願いしてもいい?グラスとタンブラーは比較的丈夫だけど、シャンパングラスはデリケートだから、上の柔らかい方のスポンジでね」
「はい」
と答えて、カウンターからは少しズレたシンクの前に立ちタンブラーをとる。
傷のない綺麗なガラス。それをスポンジで丁寧に洗って籠に乗せた。
「あ、洗い終わったのはそこの奥のシンクの水につけてね、消毒液になってる。そこにつけておいて気づいた時にあげてくれたらいいから」
「はい、ここですね」
と 静かにグラスを沈めた。食洗機等はうるさいのはもちろんだがグラスに傷が付きやすい。それを避けているのか…と早速勉強した。
「新人くん、ちょっと話そうよ」
さっきの小野塚さんが声をかけてくれる。
てつやは丈瑠に背中を支えられて小野塚さんの前へ立った。
「小野塚さん、てつやくんだよ。よろしくね」
「てつやくんか、よろしく。さっきちらっと聞いたけど、てつやくんお店だけなんだって?気持ち変わったらいつでも言ってくれよ?俺だけにね」
冗談っぽくそう言って笑う小野塚は、身綺麗で会社で言ったら部長さんくらいな年齢の人だった。
ガツガツしてないし、ウイットに飛んでいそうだ。聞くからに丈瑠の上客っぽい。
丈瑠 はカウンターに両腕をついてそこに顔を乗せる。
「小野塚さんはぁ、俺に飽きたの?」
口を尖らせて不満そうな顔を見せて、丈瑠はさっき小野塚に作った水割りをとって一口飲んでしまう。
「いやあ?まだまだお前に夢中だぞ?」
「だったら他見ないでください」
起き上がって代わりの水割りをもう一回作り、小野塚さんに提供する。
「お前が飲んだのでいいのに」
「逆です、俺が、小野塚さんが飲んでいたのが欲しかったの」
てつやは再びグラスを洗いながら見聞きして、すげえ…と感心していた。
店の中だけで俺は手いっぱいだ…あんなにあしらえないよ…とはいえまだ15歳…そんなこと気にしなくたっていい年齢だ。
「これからどうだい丈瑠」
小野塚さんは堪らなくなってしまったのだろう、丈瑠を誘い出した。
「すみません、今日は店番なので最後まで居ないとなんです。小野塚さん最後まで居てくれるなら、お店の後でお付き合いしますけど。それともどこかで待ち合わせしますか?」
「そうか…店は何時までだっけ?」
「12時です」
小野塚は時計を見た。まだ7時半である。
「待てたら待とうかな。忙しそうならその時はどこかで待ち合わせしようか」
「わかりました。じゃあ少し待ってもらえる間になんですけど…小野塚さんのボトル、終わっちゃいます」
ネームタグのついたボトルを丈瑠が掲げた。
「お?そう来たか?」
と小野塚は笑っていたが、じゃあ同じもの入れていいよと言ってくれる。
「ありがとうございます」
丈瑠は棚から響をとり、ネームタグを付け替えた。
てつやは今のやりとりを聞いて、ちょっと自分の場違い感を感じ、続けられるかな…と不安になって行った。
「あ、てつやくん。あそこのテーブルのグラス下げてきてくれるかな」
不意に丈瑠に呼ばれ言われてた方を見てみると、ハイテーブルの上にグラスが2つ置いてあった。
そこを使っていた者たちは、『成立』して店を後にしたのだろう。
「わかりました」
「そのトレイ持っていってね」
指示されたところに丸いトレイがあり、手で持って帰ろうとした自分を恥じた。
フロアに出ると、また雰囲気が違う。そこここで誘い誘われの口説き文句が溢れ、ソファの上は盛り上がってキスまでしている。
決して下品ではないところがこの店の雰囲気なのだろう。
てつやはグラスを回収して、持ってきた布巾でテーブルを拭きカウンターへ戻ってきた。
何人かが目で追っていたが、それはやはりそう言う目でみられているのだろうか…と微妙な緊張感を持ちながらもなんとかスルーできたらしい。
「てつやくんのこと見てた人3人。手応えあるね〜。本当に表しかしないの?マジで勿体無い」
丈瑠 がトレイを受け取って話しかけてくれた。
「いやいや、全然です…」
「まあ、いきなりこんな店に来たら、最初は面食らっちゃうよね。でもここは裏新市街でも質のいいところだから、よかったねこの店で」
「本当だぞ、いい店選んだな」
小野塚さんもそう言ってくれて、偶然ではあったが少し安心した。
「じゃあ、次は水割りだけどぉ…小野塚さん、この子に作ってもらってもいい?」
と、丈瑠は水割りの作り方を教えてくれようとした。小野塚さんも優しくもちろんだよ と言ってくれてつやは初めて水割り作りを始めた。
「水割りのグラスはこれね、タンブラー。そこに氷を3個入れるんだけど…落とさないように、置くようにね。そうそう上手。そして、最初はこうやって指をグラスの底に合わせて平行に置くんだよ。それでウイスキーを指の上の線まで入れるよ。これがシングルの量ね。これは慣れたら目見当 で行けるようになるから。で、ウイスキー入れたらそこに水を入れる。静かにね、うん上手。混ぜるのは、このマドラーでひと回し。一回でいいよそうそう。はいできた」
てつやは初めて作った水割りを見つめて、大満足。
「じゃあ小野塚さんに、新しいコースターを敷いてお出しして」
コースターを先に置いて、そこにグラスを置く。
「嬉しいなぁ。新しい子が初めて作った水割りをいただけるなんて」
小野塚さんは嬉しそうにそう言ってくれて、一口口にした。
「うまいよてつやくん。美味しい。これから頑張ってね。一杯奢るから好きなもの飲んで」
「ありがとうございます。え、好きなものって…」
戸惑って丈瑠を見てしまう。
「じゃあ水割り頂いたら?俺が作るよ」
そう言って丈瑠はグラスを出して、そこに氷を入れ出した。
しかしてつやは今まで酒は飲んだことがなく、奢ると言われても…とキョドっていたが丈瑠の手元を見ていたら、入れているのは烏龍茶である。ああ、ありがたいと思いながらグラスを渡され、
「ついでに俺も頂いちゃってもいい?」
「もちろん」
と言ってもらい、もうちゃっかり作ってあったグラスをもって、
「ごちそうさまです、乾杯」
とグラスを鳴らした。
今までに飲んだ烏龍茶の中で1番美味しく感じた。
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