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第2話 魔王様は闇の帝王
荒れ狂う風。なぎ倒された森の木々。聞こえるのは狼達の遠吠え。
そしてジェイミーの頭上には、妖しく微笑むかの大魔王がいた。
魔王は高い木の幹に長い脚をゆったりと組んで座り、漆黒の長い髪を風になびかせなからジェイミーを見下ろしている。黒曜石のように光る瞳に直視され、魂が吸い込まれてしまいそうだ。
なんという禍々しい美しさだろう。
「忌み色」と言われる黒をまとった、まさに闇の帝王然とした姿。
ジェイミーは魔王と目が合った瞬間から、恐ろしさにガタガタと身を震わせていた。
(姉さん、俺には無理です)
魔王と対峙したのはわずか十分前。先祖の勇者剣と盾に助けられ、魔王からのいくつかの攻撃をかわしたが、それらは魔王の退屈しのぎの前菜に過ぎなかった。
「身のほど知らずの人間め。我を倒そうとはいい度胸だ。今までもお前のような愚鈍な人間がやって来たが、全て骨の髄までいたぶって捨ててやった。どれもどんなに不味かったことか……だが、お前はなかなかの美丈夫のようだ。少し遊んでから我が手中に収め、喰らいつくしてやろうではないか」
高らかな笑いが森に響く。
骨の髄までいたぶる。喰らいつくす。今まで魔王は勇者達を捉えたあと、食糧として消化してきたのだろうか。
想像するとジェイミーの体はますます震えた。腕と下肢は壊れた玩具のように激しく揺れ、剣を落としてしまいそうだ。
無理だ。魔王を倒すなんて。
ご先祖様の守りの剣などあっても、魔王には一筋の傷もつけられないだろう。そもそもジェイミーは学校の授業くらいでしか剣を扱ったことがないのだから。
「さぁ、お前はどうやって我を楽しませてくれる? 早くかかってこい。フフ……そんなに震えて、まるで仔鹿のようだ」
(俺が仔鹿のローストだって!?)
恐ろしさのあまり、ジェイミーには魔王の言葉が少し湾曲して聞こえた。
「ち、ちが……俺は美味くない。食べるなら若くて柔らかい女の子のほうが……」
なんと情けないことか。ジェイミーは普段は女性を盾にすることなどないのに、頭の中まで震えているようだ。
魔王はそれを聞いてまた高らかに笑った。
「ハハハハハ! 案ずるな。我は脂の多い雌肉よりも筋肉の多い雄肉が好みだ。いいだろう。お前が来ないのなら、この我が直々に迎えに降りてやろうではないか」
魔王が木から飛び立った。
嵐の闇夜に溶けている黒いマントが、大きな翼のようにはためいている。
こうこうと輝く満月を背に、魔王は今、緩やかな弧を描いてジェイミーの元へと向かってくる。
(なんて美しいんだろう。こんな綺麗なもの、見たことがない)
今、まさに魔王に殺される瞬間が近づいているというのに、ジェイミーは魔王の華麗な姿に釘付けになっていた。
しかしそのとき、森の内部で轟音が鳴り響き、大きな|雷《いかづち》が天を二分した。
「ああっ!」
ジェイミーは思わず叫んだ。
雷が、魔王にまっすぐ落ちてくる。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔のような魔王の叫び。魔王は空中で体を大きく震わせると、黒い塊のようにスピードを伴って、地上へと打ち付けられた。
目の前の出来事が信じられなかった。魔王は雷に打たれ、ジェイミーのわずかニメートルほど先で倒れている。
体はぴくりとも動かず、もはや生命は絶たれたのかと思われた。
「闘わずして……死んだ……?」
いや、大魔王ともあるものが、そうやすやすと滅ぶだろうか。
もしかしたら死んたふりをして罠をしかけているのかもしれない。
ジェイミーは剣をまっすぐ前に向け、恐る恐る魔王に近づいた。
ツン……焦げて破れたマントに包まれた魔王の体に足先が当たっても、魔王はピクリともしない。
チョンチョン……剣の後ろでつついてみても、やっぱり魔王は身じろぎひとつしない。
(死んだ、のか……?)
うつ伏せに倒れている体に手をかけ、上に向かせる。服はボロボロになり、手足に#煤__すす__#が付着してはいるが、奇跡的に火傷はしていない。顔などは全く無傷で、近くで見ると肌の白さが闇夜と対極に光り、美しさが際立って見えた。
「ぅ……ぅう」
魔王の黒く密度の高いまつ毛が震え、赤く薄い唇から呻き声。
やはり、まだ生きている。
ジェイミーは咄嗟に、魔王の肩にかけたままだった手を引き、両手で剣を握り直した。
(とどめを刺すんだ。今しかない)
仕立て上げられた偽物の勇者であるジェイミーが魔王を倒すチャンスは今しかない。
「やぁぁぁぁ!」
腹の底から声を出し、魔王の心臓をめがけて剣を振り下ろした。
しかし、剣先は胸まであとわすがのところで止まった。ガチャン、と地面に剣が落ちる。
(姉さん、やっぱり僕には無理です)
当然だ。相手は魔王とはいえ、顔しか取り柄のないジェイミーは人と喧嘩をしたことさえない。
流し目で微笑みさえすれば、いつでも、誰も彼も……ハンナ以外は毒気を抜かれていたのだから。
とはいえ、とどめも刺さず、このまま魔王を放置していては、付近の村々の厄災や魔王により生命を奪われる者はあとを絶たないかもしれない。
大魔王と謳われるほどなのだ。雷に撃たれた今でも外傷はわずかのみ。時間が経てばきっと復活するだろう。
(どうしよう。どうしたら)
ジェイミーは無い知恵を振り絞る。答えが出ず、焦るとなぜか体中を触りたくなった。
手が、腰の巾着袋に触れる。
「あ……そう言えば」
魔王の森に入る直前、怪しい風貌の商人に売りつけられた薬剤が巾着袋の中にある。ジェイミーは優男なため、押し売りにも弱いのだ。
結果、薬品名や効用も聞かされない上、勝手に巾着を探られて薬瓶を押し込まれ、ついでに金貨一枚を奪われてしまった。
けれど去り際、確かに商人は言った。
「それがあれば必ずや大魔王を足元に屈せられましょうぞ」と。
生唾を飲み込み、薬瓶の蓋を開ける。
「なんの薬かわかんないけど、いちかばちかだ。どれくらい使えば致死量なんだ……? えーい、もう、いいや。怖いし、とにかく全部使っちゃえ!」
目をつむり、勢いのまま魔王にふりかけた。どす赤い血のような液体が魔王の顔を濡らし、口元へと入っていく。
「……?」
三分ほど経っただろうか。ジェイミーは恐る恐る片目を開けて魔王を見たが、なにも起きそうになかった。
「あの商人、やっぱりデマ……」
悔しさを言い終える直前、赤い液体が炎に変化し、魔王の体を包んだ。
「……!!」
そして、次にジェイミーが見たものは────
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