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第10話 魔王様、喧嘩する

「な……!」  前髪からぽたぽた落ちてくる泥の雫を払いのけることもできないくらいに驚いて、顔を上げる。  目の前には七歳くらいと見受けられる子どもが二人立っていて、ニヤッと笑うとルナトゥスにかけた泥が入っていた(かめ)を、大人達の目をかすめて自分達から遠ざけて置いて戻って来た。とても狡猾だ。 「やーい、まっくろくろすけ、お似合いだ」 「もとからまっくろくろすけだから、ぴったりだな。まっくろなんて、きもちわるい!」  子ども二人は大人に聞こえないくらいの声でルナトゥスをからかった。 「まっくろまっくろ、きもちわるい」  そうなのだ。どの地方でも黒は忌み色なのだが、このカラザ地区ココット村では特に、黒髪黒目は生まれない。金髪や銀髪、茶髪に赤髪……同じく瞳の色も多種多様だが、黒いのだけはいなかった。そのため闇や暗さを連想させる黒は「忌み色」と言われているのだ。  大人達はルナトゥスが拾われたのが魔の森の付近であったと聞いたため、その影響が強く、また、ルナトゥスがみなし子であるのも忌み色のせいだろうと考えたので、深くは追求しなかった。  だが子ども達は悪い意味でもいつも素直だ。 「いみいろ」 「いみいろ」  まだ言葉の意味もわかっていないだろうに、言葉を紡ぐのは可愛らしい紅色の唇。そしてその言い方には、はっきりと嘲笑の色が乗っていた。 「くっ……っ」  今まで自身が黒いことをなんら卑下したことはない。魔の象徴であったし、唯一無二の魔王である証だった。闇の帝王の黒い美しさの前に声もなく魅入られた人間は数知れない。  それを、たかが人間の子ども風情に嘲笑されるなんて。  ルナトゥスは無意識に手の下の土を掴んでいた。長かったオーバルの形の爪は丸く小さく変化していて、指と爪のあいだに土が入り込んだが、気にする余裕などなかった。  そして次の瞬間、掴んだ土を二人の子どもに投げていた。 「わっ!」 「いてっ!」  握った土の中には小石も砂も混じっていた。運悪く、それは二人の子どもの目に入った。  だがルナトゥスにとっては好都合。相手の目がくらんだ隙に、小さな体全体を使って二人に体当たりを喰らわせる。  二人は自分より小さな子どもの力で簡単に尻もちをつくことになり、大声を出して親に助けを求めた。 「ママー、助けて!」 「父さん、父さん、痛いよ!」  泣き出す子ども達。対してルナトゥスは拳をふたつ、脇腹の横で固く握っていて、勝ち誇った表情を浮かべて仁王立ちしている。  これを見て大人達はどちらの味方をするだろう。いや、状況など半分も関係ない。幼児とはいえよそ者の、昨日来たばかりの「黒い子供」の味方をする人間などいない。 「ルナトゥス! なにをやったんだ!」  ジェイミーでさえも。  急いで子ども達のいる場所に駆けつけるが、それまでずっと女達と話していて、一度もルナトゥスの様子に注意を払わなかったジェイミーには状況が判断できるはずがない。ましてや昨夜からの間に合わせの「親代わり」で、無条件にルナトゥスを信じる心などまだ形成されていない。 「二人に泥を投げたのか? なんてことをするんだ。早く謝れ!」 「なんだと? |我《わりぇ》が先にやられたのだぞ、|そ《しょ》れに|こやつ《こやちゅ》ら、|我《わりぇ》のことを」 「ルナトゥス!」  魔王である自分と魔の森で対峙した時よりも、おねしょをした時よりもずっと強い、怒りを含む声で威圧される。 (なぜ? 泥を頭からかぶった我の姿が見えないのか? なぜ正しく状況が判断できない? なぜ……)  意地悪な子供二人は母親や父親に慰められ抱きしめられているのに、なぜ自分は責めを受けているのだろう。  もの凄く胸が痛い。昨日まで感じた痛みよりずっとずっと痛い。けれどもう泣かなかった。代わりにジェイミーの手を振り払って、農園から駆け出して行った。 *** 「ルナトゥス、いた?」 「いや、こっちには」  夜が近くなれば街灯の少ないココットの村は真っ暗だ。手に火を灯したランプを持って、ジェイミーとハンナはルナトゥスを探した。  年上の子ども達相手に喧嘩をふっかけたルナトゥスが農園からいなくなって、もう八時間は経とうとしている。  あのあと、ジェイミーは必死で頭を下げて子ども達の親に謝り、騒ぎを知らされたハンナも急いで農園に駆けつけた。  大人達はジェイミーやハンナを責めはしなかったが「忌み色の子ども」については苦渋を呈した。 「やはり魔の森に近い地域の子どもには邪悪さがあるのかもしれないよ。ここ、ココットのような平和な村では考えられないが、小さな者でも災いを運ぶ力があるのかもしれない……明日にでも元の場所に連れ返してはどうだ」 「そうだねぇ。いくらハンナがついていたってジェイミーは親としては力不足だし、なにかがあってからじゃ遅いよ」  まさかルナトゥスが大魔王とは気づかないながらも、一度不安になるとそれはあっというに膨らみ、村全体を覆う。農園にいた村民の半分ほどが同じ表情で頷いた。  ジェイミーもハンナも反対の声を上げようとはしたが、今はどう言っても空気が改善しないこともわかっている。それに、いなくなったのことも心配で、気持ちばかりが焦っていた。  そこに小さな声がした。 「わたし、見てたけど……っ」

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