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第13話 狼、願いを伝える
母親は深く息を吐いた。
『真実はどうあれ、我々がルナトゥスを捨てたことに変わりはありません。ルナトゥスを歪ませたのは私達です……』
「それは! それは違います。お父上もお母上も、ルナトゥスの命を、そして民の命も守ろうとされたんです」
ジェイミーは必死で首を振った。だが、なにを言おうと彼らを癒やす言葉にはならないことを知っている。
『優しいお言葉をありがとうございます』
けれど、母親はほんの少しだけ、表情を緩めた。
『ジェイミー様。ルナトゥスは親の……人間の愛を知りません。|私達《オオカミ》を守ってきたのも、自身と同じ種族の存続のために無意識でやっていたこと。ルナトゥスは人間の感情がないばかりか、生まれながらの魔王のため、欲しいものを欲しいときに奪い、快楽を得るために残虐行為も行いました。でも……信じてください。ルナトゥスは誰一人、命は奪っていないのです!』
「え……」
意外だった。ルナトゥスは多くの村を血祭りに上げてきたとばかり思っていたのに……。
「奪っていないからと言って、人を苦しめてきた罪が薄れるわけではありません。それにルナトゥスが感情を走らせ、人間の命を奪おうとしたことは幾度もあります……けれどそのたび、私達はルナトゥスに寄り添い、心で訴えました。駄目よ、決して命は奪っては駄目。あなたも人間なのよ。人間として生きてほしいと……』
母親は実体のない体の手を伸ばし、感触を感じ得ない我が子の背を撫でた。まるで本当に触れているようにジェイミーには見える。
父親もそばまで来て、妻の背とルナトゥスの頭を撫でた。
ルナトゥスは安らかな表情で眠っている。ジェイミーにしっかりと抱かれ、父と母に撫でられながら。
『勇者様』
父親がルナトゥスからジェイミーへ視線を移した。声には感情が込められていて、母親も感情に満ちた目でジェイミーを見上げた。
『あの時、雷がルナトゥスを貫き、あなたが薬を使ったのは私達の願いが届いたからだと信じています。勇者様、どうか、どうかルナトゥスをお願いします。ルナトゥスを人間として育て直してやってください』
「父上様……」
『勇者様。どうかお願いします。ルナトゥスに愛情を教えてやってください。あなたは伝説の勇者様の血を引くお方。私達にはすぐにわかりました。あなたはルナトゥスを導いてくださる方だと。だからあの戦いの時、ルナトゥスに加勢しようと荒ぶる他の狼達を抑え、森からルナトゥスを連れ出す貴方を見送ったのです』
「母上様……」
(そうだったのか……)
どおりで、幼児化したとはいえ、すんなりと魔王を連れて出せたとは思っていた。
『勇者様。勝手な願いであるとはわかっています。でもどうかルナトゥスを愛してやってください。ルナトゥスはきっと、貴方に導かれ、人の情を、そして愛を知ることでしょう。私達にはわかるのです。貴方は先代の勇者の血を濃く引き継いでいる。貴方には人を愛で包む能力があります……!』
とうとう父と母は|跪《ひざまず》き、ルナトゥスに礼を捧げた。
「やめてください! 顔を上げてください。……大丈夫です。俺が必ずルナトゥスを育てて、幸せにします!」
なにひとつ満足にできない自分だとわかっている。でも、この父と母の深い愛情、そして無力な自分を勇者だと信じ、大切な|ルナトゥス《息子》を託す強い願い。それがジェイミーの体と心を熱くした。力がふつふつと沸いてくる。
「約束します。だから安心してください」
二人の頬に幾筋もの涙。だが、その顔は安堵の笑みで溢れていた。
『ありがとうございます。勇者様。ありがとうございま………』
最後の一文字を言い切る前に二人の体が消えていく。
かすかに残っていた光の輪もシャボン玉のよう薄くなり、やがてそれも弾けて消えると、微動だにしなかった狼二匹がのっそりと動いた。
四本の足を伸ばすと、ジェイミーをじっと見て、頭を下げる仕草をしてから草むらの方へ戻っていく。
足を動かすたびに体から血が滴って、二匹の番の狼の死期が近いことを、ジェイミーに伝えた。
(さようなら。約束、必ず守ります)
自らの死を悟り、姿を消す二匹を、ジェイミーはただただ黙って、静かに見送った。
「んー……」
立ち尽くしているジェイミーの胸の中で、ルナトゥスが少し動いた。目を覚ますのかと思ったが、頬を何度かジェイミーの胸にすりつけると、口角を上げてえくぼを作り、またすぅすぅと寝息を立て始める。
ジェイミーはルナトゥスをぎゅっと抱きしめた。今までは正直、魔王を幼児にしてしまった罪悪感と、小さな者への庇護欲があっただけだ。けれど今は違う。
ジェイミー、世に生を受けて二十年と少し。初めて強い意思を持ち、成し遂げようと固く誓う。その顔は、間違いなく誇り高い勇者の顔だった。
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