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第35話 勇者様の姉もまた勇者様

「姉さん……」 「姉さん……?」  ジェイミーとルナトゥスの声が揃う。どちらの声も呆けていた。  なぜならバシッ、っと鳴ったのはルナトゥスの頬……ではなく、ハンナの両頬だったからだ。  ハンナは先程まで亜麻色の髪の男に勧められるがまま酒を飲んでいたが、店に新しく入ってきた男が興奮して外の騒ぎを話すのを聞いて、男に肩を抱かれたまま野次馬観覧に出た。  まさか自身に関係があることとは(つゆ)ほども思っていない。  しかし、人と人の隙間から垣間見えた光景に、酔いは一瞬で醒めた。 「魔の者とその仲間が現れた」なんて馬鹿げた話……そう思いながら向けた視線の先にはジェイミーとルナトゥスがいて、民衆達から責め立てられている。  また、ハンナの肩を抱いていた男も表情を変え、腕を外した。気絶している男二人が自分の「仲間」だったからだ。  ハンナはジェイミー達に走り寄り、顔が見えるところまで来てルナトゥスの異変に気づいた。ルナトゥスはいつかの「癇癪」の比ではないほどの禍々しさを発している。また、倒れている二人の男は、今自分が思いを寄せている男の友人達だ。     なにがあったのかはわからない。けれどルナトゥスがこの惨状に関わっていることに間違いない。  だから。  だから自身の頬をひっぱたいた。酒で赤らんだ頬を戒めの赤で塗り直すように強く激しく。 「ルナ、しっかりしなさい」 (そして、私も)  ルナトゥスがこうなったのはおそらく自分のためだ。自分が男や酒にうつつを抜かしているから、知らぬ間にジェイミーやルナトゥスの気持ちを乱してしまったのだ。   「なんだありゃ……」  この惨状の輪に赤いロングスカートを翻して突然現れ、自身の頬を叩く奇行をした女の登場に、まず輪の一番前にいた民の口と手が止まり、後ろにいる観衆へも波のように戸惑いが伝わった。状況がよく見えない後ろの方の民達はごちゃごちゃと声を発していたが、ジェイミー達に対する暴挙は収束しかけている。 「皆さん! お騒がせして申しわけありません。この場は私が後始末をしますのでお引き取りください!」  呆然としたままのジェイミー達を背に、ハンナは頭を下げ、できる限りの大声を出した。しかし、民衆は声を荒らげる。 「なに言ってるんだ。そいつらは魔の者だぞ」 「新しい魔王の誕生だ! 放っておくと災いが起きるぞ」 「そうだ、そいつは魔王だ」 「魔王だ」 「始末しろ!」  矢面に立っても、ハンナは屈しない 「違います! この子達は私の弟です! 他の何者でもありません」 「ならお前も仲間か」 「仲間ではありません。家族です!」    勇者と元魔王の姉は、真っすぐな瞳と、強い口調で民衆に訴え続ける。 「人を傷つけるのは間違ったこと。このおふたかたについては私達家族できちんと責任を取ります。けれど、貴方がたはなにか傷を受けましたか? この子達が貴方がたに危害を加えましたか?」 「いや、それは……」 「私もなにがあったかは把握していません。けれど間違いなく被害を受けたのはこちらのおふたかただけ。事実関係を確認します。無関係の方々はお引き取りを!」  正当な主張に民衆達は口を閉じ、唾を飲み込んだ。  そのタイミングで動いたのはネイサンだ。 「彼女の言うとおりです。これは個人同士(いさか)いだ。さあさあ、散って散って!」  ネイサンは半ば民衆達を押すようにして輪を崩していく。  そうして、一人、二人と去って行き、十分ほどで場は鎮静した。  残ったのは、気が抜けて地面に腰を下ろしたジェイミーとルナトゥス、頭を下げ続けていたハンナ、民を散らばせたネイサン。  そして、気を失ったままの男二人と亜麻色の髪の男の七人。 「……なにが起こったんだ……。お前の弟がやったのは間違いないんだな? 皆は丸め込まれたけど、俺は騙されないぞ。お前の弟は悪魔だ!」    ハンナに甘い言葉を囁いていた口から、先程までの民衆と同じ言葉が飛び出す。  ハンナはぎゅ、と眉を寄せて唇を固く結んだ。 「……悪魔はお前らだ!」  後ろから聞こえたルナトゥスの絞り声に、ハンナは振り向く。   「ルナ……一体なにがあったのか話して?」 「っつ……」  唇を噛みしめ、押し黙るルナトゥス。 「ルナ、話して」  ハンナがもう一度静かに言い、ジェイミーもルナトゥスの背を撫でて促す。 「……そいつら、姉さんのことを、金づるだ、年増のあばずれだ、って。誰も相手しない行き遅れに優しくしてやってるんだから、もっと貢いでもらいたい、って……。だから、だから僕、腹が立って腕を掴んで言い返したんだ。そしたら……」  男達は二人がかりでルナトゥスを小突き、反抗すると腹を殴ったと言う。 「それで、気づいたら僕、また……。ごめんなさい……」  ハンナも、ジェイミーも、ネイサンも共に唇を結んだ。  ジェイミーはルナトゥスの腕を持ちながら一緒に立ち上がる。 「そうか……。わかった。ルナトゥス、もう一度あの人達に謝ろう」  ジェイミーがルナトゥスの手を引く。ハンナとネイサンもルナトゥスを守るように|傍《かたわ》らについた。  四人に向かって来られた亜麻色の髪の男はじりじりと後ろに下がり、友人達のそばから離れた。 「寄るな、化物。なにをするつもりだ!」 「なにもしません。謝罪するだけです」  ジェイミーが二人の男の様子を見に一歩前へ出る。その隣にネイサンも足を進めて並び、ジェイミーと同に二人の様子を見た。 「大丈夫。この様子ならすぐに目を覚まします」  ネイサンはそう言って、腰に下げた巾着から瓶に入った液体を出してそれぞれの口に入れた。 「これは酒の酔い覚ましですが、気付け薬としても使えます」  言葉通り、薬が入ってしばらく経つと、二人は目を開けた。

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