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第34話 勇者様、魔王様、尾行する②
***
あのあとネイサンは、話をハンナのことに戻してくれた。
ハンナは立派な大人。おそらく家族の提言は聞かないだろう。
特に色恋沙汰のことでは……と。
そして二日後、改めて酒場を訪れたジェイミーは今、驚愕していた。
ハンナが「"あの人"はそんな人じゃない」と言った時も、ネイサンが「色恋沙汰」なんて表現した時も、ハンナは情が深いから言い寄られて絆されているだけで、恋に溺れているわけじゃないと思っていた。
思いたかった。
しかし、今酒場のカウンターに座っているハンナは、自ら男の肩にしなだれかかり、|傍《はた》から見てもわかるくらい男に心酔している。
男は三十歳前くらいだろうか。亜麻色の短髪に、整えられた眉、スマートさを際立たせるスリムなチュニックに、洒落た長い編み上げブーツを身に着けている。
一見「いい男」に見えるが、ネイサンから悪いイメージを聞かされているジェイミーには、どうしたって遊び人にしか見えない。
(今まで姉さんには気苦労をかけたから自由にしてほしい。でもその人は本当に大丈夫なのか? ……あっ、あっ、あーーーーっ!!)
男の腕がハンナの肩に回る。ハンナは男にさらに密着し、顔を上げればキスしてしまう距離だ。
見るに耐えられなくなり、ジェイミーはいったん外の空気を吸いに出ることにした。それに、裏口でルナトゥスが待っている。
駄目だと言うのに今日も付いて来たルナトゥスに、酒場内までは入らないように言いつけてある。そろそろ様子を見に行かないと。
(ルナ、今頃ふて腐れてるかな? ……ん? 外が騒々しい? ルナは無事か!?)
ルナトゥスを待たせているのは繁華街の酒場の裏。美少年のルナトゥスに酔っ払いが絡みでもしていたら大変だ、と慌てて裏口に回る。
「! ……ルナ!?」
裏口には人の輪ができていて、その中央では男二人とルナトゥスが対峙していた。
だが、絡まれているのは……いや、襲われているのはルナトゥスではない。相手の男二人だ。
ルナトゥスは後ろ一本で三つ編みにしていた髪がほどけ、風が吹いているわけでもないのに長い黒髪をはたはたと踊らせている。
地面に足を踏ん張り、両の手をこぶしに握って、尻もちをついている二人の男を睨む瞳には赤い光が宿って──そして、体が黒い「気」に包まれていた。
「ルナ!」
「魔、魔の者だ!」
ジェイミーが止めに入る声と、人の輪の中からの声が重なる。
ジェイミーは必死で人の輪をかき分けた。
けれど野次馬達が騒ぎ出し、事の顛末を見ようと強固な壁になる。壁達の肩を掴んで引いてもなかなかルナトゥスに手が届かない。
そのうちに尻もちをついている二人の男が苦しみ出して、もがくように首を押さえた。
なんということだろう。何者かの手により締め上げられているかのように、男達の首が不気味に歪んでいるのだ。またその間にも、ルナトゥスから発せられる「気」は、どす黒い暗雲になっていく。
「ルナ……ルナトゥス!」
──やめるんだ!
声に出して止めたい。だが、そうしてしまえば、忌み色の少年がこの惨状を生み出していることを認めてしまう。
だが周囲に満ち満ちた恐怖は、ジェイミーの言葉などなくともルナトゥスを「魔王」に仕立て上げていく。
「魔の者だ! 新たな魔王の降臨だ!」
(違う、ルナトゥスはもう、違うんだ!)
「ルナ!」
ジェイミーはもう一度、腹の底から名を叫んだ。
その時、大きな黒い影が動いて聴衆の壁を崩した。
ネイサンだった。
「ネイサンさん!?」
ネイサンはジェイミーに振り向き、目だけで「早く」と伝えてくれた。
ジェイミーは頷き、ルナトゥスに駆け寄る。
「ルナ!」
崩れた人の壁の間を抜け、ルナトゥスに手を伸ばす。両手を広げ、肩から強く抱きしめる。
「大丈夫だから。落ち着け。落ち着くんだ」
ルナトゥスにだけ聞こえる声で耳元で静かに囁く。子供を|宥《なだ》めるように、優しく、優しく。
次第にルナトゥスの体から力が抜け、立ちこめていた暗雲が消えていく。それとともに、男達も苦しみから開放され、その場で気を失った。
やがて繁華街に静寂が訪れた。
はあ、はあ、と息を整えるルナトゥスを腕の中に閉じ込め、ほっとしたジェイミーも息をつこうとした。
────だが、静寂はたったの一瞬で終わりを迎え、糾弾が響き渡る。
「魔王だ。あれは新たな魔王だ。今すぐ捕らえろ!」
「なんと恐ろしい! 今のうちに捕らえて始末しろ!!」
いつのまにか五十人……百人は集まっている。一部始終を見ていなかっただろう民達も、恐怖と怒りに同化して声を上げていた。
「違う……違います……」
ジェイミーの声はかき消される。ネイサンがそばに寄りジェイミー達の盾になってくれるが、民衆の糾弾は止まらなかった。
「やつらも魔王の仲間だ! 一緒に制圧しろ!」
その糾弾の声とともに、"バンッ"と強打音がした。
生卵やトマトがジェイミー達三人に向かって投げられ、体に当たっている。
ネイサンが大きな身を呈して必死にジェイミーとルナトゥスを庇ってくれるが、四方八方からさまざまな物が飛んできて間に合わない。
そして、その一つがジェイミーの側頭に当たり、ジェイミーは「うう」と小さく呻いた。
「ジェイミー! ……あいつら……許せない……」
くぐもった低い声。ジェイミーではない。
それは、ルナトゥスが発した声だった。
ルナトゥスの目が再び赤く光る。同時に、ルナトゥスの体温も上がり始めた。
「駄目だ、ルナ、落ち着くんだ……」
ジェイミーはルナトゥスを抱きしめる手に力を入れた。だがルナトゥスの体温がどんどん上昇し、先日の嵐の夜のように、発火に近い状態になりつつあった。
(熱い……! どうしよう、どうしたら……!)
ジェイミーはぎゅっ、と目を閉じた。
その次の瞬間───
「バシッ!」
破裂音のような鋭い音が響いた。
「ルナ、しっかりしなさい!」
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