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第33話 勇者様、魔王様、尾行する①

 翌朝、ルナトゥスとのことも気まずかったのだが、ハンナの様子も気になり、足して二で割ったような気持ちのジェイミーは比較的落ち着いていた。 「ルナトゥス、そろそろ鍋の火を止めて。中身をグリル皿に移したら次はオーブンで焼くんだ」 「うん。わかった」  背が高くなったルナトゥスは釜戸場の手伝いもスムーズだ。今朝はキジの塊肉と三種類の豆をじっくり煮込んだ「カスレ」を作っている。  カスレはキジ肉の他、豚肉やソーセージも一緒に入れ、玉ねぎ、人参、ニンニクを入れてトマソースで煮込んだ、旨味も栄養価も高い料理だ。また、煮込みとはいえ仕上げはオーブンで焼くから、表面はこんがりと焼けて香ばしいのにスプーンを刺せば中からスープが染み出して、肉の甘い香りが湯気と共にふんわりと広がる。  成長期のルナトゥスにも、二日酔いのハンナにも、そして悩める童貞ジェイミーにも、体と心に滋味を与える打ってつけの料理だ。   「よし、もうすぐ出来上がるな。ルナトゥス、姉さんを呼んでくれるか?」 「うん!」  うなじの位置でひとつ結びにした黒髪を揺らしながら、ルナトゥスがにっこりと笑う。  こうしていれば十歳の頃のルナトゥスと変わらないのに、昨夜のルナトゥスの妖しさといったら。 (うぉう。考えるな。今は先に姉さんのことだ)  ジェイミーはそばの壁に額をガンガンとぶつけた。 「痛い」  やめておこう。これは痛い。  額をさすりながら、心頭滅却、心頭滅却と呟く。すると、ハンナが起きてきた。 「なにやってるの、ジェィミー」 「いや、ちょっと邪念を払おうと……それより姉さん、体調はどう?」  ジェイミーが窺うように見ると、ハンナは青白いかおをしかめて、きまり悪そうに頷いた。 「大丈夫よ。昨日はごめんなさいね……」 「ううん、姉さんが無事ならいいんだ」  ジェイミーはハンナを食卓に着かせると、ルナトゥスに言ってカスレを盛った皿を並べてもらい、自分はパンの皿を持って食卓に運んだ。 「いい年した女が酔いつぶれるなんて、恥ずかしいわね。本当にごめんなさい」 「いや、俺はいいけど……酒場の人にお礼をしないとね」 「酒場の人……うっすらとしか覚えていないけど、また明日にでも行ってみるわ」 「いや、俺が行くよ。姉さんはもう行かないで。……酒場の人が言っていたけど、男達のグループに誘われたって? ……そんなの、危ないから」  言いにくかったが心配が上回っていた。しかしハンナは図星を突かれたように顔を赤くして、声を荒げた。 「ジェイミーには関係ないわ! 私のことだから放っておいて!」 「姉さん、でも、店の人が"男達には良くない噂がある"って。だから」 「黙って! あの人はそんな人じゃないわ!」  ハンナはカスレをひと口も食べず、スプーンを放り投げて部屋に戻ってしまう。  ハンナがマナーを破って食事を中座し、取り乱すのは初めてだ。  ハンナは両親達が亡くなった時でさえ落ち着き、弟達を気遣っていたのに。 「姉さん……!」 ("あの人"? あの人って誰だ? 姉さんがあんなになるなんて)  ハンナがこもってしまった部屋のドアと、考え込むジェイミーを、心配そうにルナトゥスが見る。 「ジェイミー? 大丈夫? 姉さんもどうしちゃったの?」 「うん……。ルナ、悪いけど今夜は一人で寝ててくれ。俺は姉さんのことを調べるから」  ジェイミーは意思を固めてルナトゥスにそう告げた。 *** 「だからな、子供が行くところじゃないんだってば。家にいなさい」 「やだよ。僕だって姉さんが心配なんだ。それに、ジェイミーだって心配だよ」 「なんで俺が心配なんだよ。喧嘩しに行くわけでもないんだ。酒場で情報収集してくるだけだから大丈夫だって」 「駄目なの! 僕も行くったら行く!」  ルナトゥスは知っているのだ。ジェイミーがとても流されやすい性質だということを。  ここ一年のジェイミーはルナトゥスの影の牽制の効果もあってか、女達からちょっかいを受けることは格段に減った。だが、元々は女の子が大好きなジェイミーだ。酒場という特殊な場所で、グラマラスな女に言い寄られでもしたら、昨夜みたいに流されて関係を持つかもしれない。  そんなこと、なにがなんでも阻止だ。ダメ、絶対。だ。  そんなわけで、やっぱり押しに弱いジェイミーはしぶしぶルナトゥスを連れて、|市場《フェスタ》に来ていた。  ただ、まだ成人に満たないルナトゥスを酒場内に入れることはできない。ジェイミーは酒場の裏口で、まずは昨日の店員が出てくるのを待った。店が開く前に待っていれば一度は会えるだろう。 「あっ!」  空が暗くなる頃、裏口から酒の空き瓶が入ったケースを持った昨夜の男が現れた。  男もすぐにジェイミーに気づき、頭を下げる。 「昨日は姉がお世話になりました。あの、これ、お礼です」  ジェイミーが言うと、ルナトゥスが持っていた袋を男に差し出した。中には農園で取れた野菜が入っている。 「わざわざいいのに……ありがとう。お姉さんは大丈夫ですか?」 「はい。ただ、様子がおかしいんです」  ジェイミーは今朝のハンナの様子について話し、一緒にいた男達について知りたい。危険ならもう会わせたくないと相談した。 「そうですね。心配でしょう……ただ、お姉さんも大人の女性ですから弟さんと……ええとこちらも弟さんですか?」  男……ネイサンと名乗った……はルナトゥスに顔を向けた。 「いいえ、僕は将来の夫です!」 「夫?!」 「違います! この子は俺の息子です!」 「え? 息子!?」 「違います、ジェイミーは将来の夫で、今は恋人です!」 「え、え?」 「だから違います!」  カオスである。  ルナトゥスは満面の笑みで「恋人」「夫」を言い続け、ネイサンはジェイミーとルナトゥスを交互に見て「え?」を繰り返し、ジェイミーはムキになって否定をした。 「……まあ、とにかくお二人は仲良しさんてことで……とりあえずお姉さんの件に戻りましょう」

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