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第十七話 出立

国務大臣と話をしたあの日から十日後、友泉は秋藤が信頼する部下数人をを伴って宮廷をあとにした。 他ならぬ天楽の勅命を遂行するためだ。 出発直前、友泉は厩舎で出立の準備をしていると、聞き慣れた声が自分の名を呼んだ。 友泉が声のする方へと視線を流しはすと、友泉の叔父である秋藤が立っていた。 友泉は一礼と共にささやかな笑顔を見せる。 「兄さん」 兄さんと呼ばれた秋藤は人も羨む美貌に優しい微笑みをたたえ、軽く手を挙げて応える。 友泉は何も言わずに騎乗する馬の手入れを始めると、秋藤も黙ってその様子を見ていた。 「友泉。出発前に確認したいことがある」 「うん……。清蓮のことだろう?」 友泉はなんとなしに、そう聞かれるのだろうと思っていた。 「あぁ。察しがいいな」 秋藤もわかっていたようで、秀麗な顔に苦笑いを浮かべた。 友泉は国務大臣に密かに呼び出されたあの日を思い出した。 天楽の勅命を受けた後、国務大臣から明かされた内容はにわかに信じがたいものであった。 国務大臣はこう言ったのだ。 謀反を起こしたのは清蓮様ではないと…… なぜならあの殺戮が行われていた時、自分は清蓮様と一緒にいたと言うのだ‼︎ あの運命の日…… 国王夫妻や重鎮たちが一同に会し、宴が開かれた。 この宴は和やかな雰囲気で始まったものの、いつしか話題は成人の儀になった。 みな口を揃えて清蓮の舞や演武を賞賛したが、ただ一人、清蓮の提案で民を招き入れたことについて苦言を呈する者がいた。 憚ることなく皇太子に苦言を呈する者…… それは国王であり、清蓮の父である清良であった。 その言は決して清蓮を責め立てるものではなかった。 国王も清蓮が良かれと思ってしたことだとわかっている。 なにより最終的に演舞場に民を招き入れることを了承したのは他ならぬ国王なのだ。 だからこそ、国王は自戒の念を込めて清蓮に言ったのだ。 「国を治める者は想像しなければならぬ。起こるやも知れぬ最悪の場面を。国を治める者は考えなければならぬ。起こるやも知れぬ最悪の場面を、いかに未然に防ぐかを。そしてもし最悪の場面に遭遇したならば、国を治める者は最善を尽くさねばならぬ。事を最小限に食い止めるために」 清蓮は国王の話を黙って聞いていた。 国王の言いたいことは理解できた。 自分にだけ言っているのではない。 ここにいるすべての者に言っているのだと。 それでも清蓮は納得できなかった。 いつも穏やかな清蓮には珍しいことだったが、苛立ちを感じていた。 自分はただ素晴らしい一幕を民と共に分かち合いたかっただけなのだ。 一部の民が暴徒となって自分を襲ってくるなど考え及びもしなかったのだ。 それのなにが悪いというのだ⁈ 清蓮は国王に人目を憚らず反論した。 誰も想像しなかったじゃないか! 誰も考えなかったじゃないか! 誰も最善を尽くさなかったじゃないか! あの時、あの時、私の窮地を救ってくれたのは…… 助けてくれたのは…… 清蓮のやや怒気を含んだ声に、他で談笑していた重鎮たちも何事かと一斉に声のする方へ視線を投げた。 清蓮と国王のただならぬ様相は重鎮たちを驚かせた。 二人が人目を憚らず、口論するなど未だかつて見たことがなかったからだ。 同席していた国務大臣と天楽が二人の間に入って場をおさめたが、清蓮はそのまま国王夫妻に一礼し、足早に場を辞した。 国王は国務大臣に目配せすると、国務大臣は一礼し、清蓮の後に続いた。 清蓮は自室に戻ろうとしていたが、後ろから国務大臣に声をかけられる。 「清蓮様……」 呼び止められた清蓮は、その場でため息をついた。 また国務大臣に説教されるのだと思ったのだ。 やれやれ、今度の説教は長くなりそうだ…… 清蓮は美しい顔になんとも困ったような顔をしたが、国務大臣から見えるのは清蓮の背中だけで、その表情を窺い知ることはできない。 「清蓮様。私の部屋でお茶でもいかがでしょう?良い茶葉が手に入ったのですよ。清蓮様もきっとお気に召すでしょう。」 そう言った国務大臣の声は心なしかいつもより優しく聞こえた。 清蓮はもう一度深呼吸をして振り返った。 国務大臣はいつもとは異なる柔らかい眼差しで清蓮を見るが、そこにいるのは、自信と活力に満ちた皇太子・清蓮ではなく、幾分の戸惑いと後悔を滲ませる一人の未熟な青年であった。 清蓮は国務大臣に何もかも見透かされているようで心底恥じ入ったが、国務大臣の清蓮を見つめる眼差しは、限りなく慈愛に溢れ、それは孫を見つめる祖父のようでもあった。 清蓮は幾分のぎこちなさを感じながらも、同時にふわりと心が軽くなったような気がした。 きっと怒りが急ぎ足で清蓮の心を駆け抜けたのだろう。 清蓮は国務大臣にはのこの人には頭が上がらないなと心の中で呟くと、たおやかな笑みを国務大臣に向けた。 「ありがとう、国務大臣。是非ともいただきましょう。それで、お茶受けは大臣の説教かな?」 「お望みとあらば……」 「ふふ……。お手柔らかに」 二人は揃って国務大臣の執務室に向かったのだった。 そこで国務大臣は清蓮とほんのいっときではあったが、一緒に過ごしていたのだ。 清蓮が国務大臣の執務室を出てほどなく、国務大臣に仕える文官の一人が執務室に駆け込んで、清蓮が謀反を起こしたと知らせに来たのだった。 これが国務大臣が二人に語って聞かせたことだ。 清蓮が国務大臣と一緒にいたならば、殺戮自体が不可能となる。 国務大臣が話をしている間、友泉は卓の上に置かれた湯呑みをぼんやりと見ていた。 友泉はなにが本当なのか、なにを信じればいいのか、皆目わからなくなってしまったのだ。 秋藤の声が意識の外側から聞こえてきた。 「友泉。友泉、お前はどう思っているのだ?本当に清蓮様が国王陛下を、王妃を殺したと思うか?お前の父を殺したと思っているのか?」 秋藤も国務大臣の話を聞いて、思うことがあったのだろう。 底知れぬ悪意と計り知れぬ憎悪が渦巻いていると。 国務大臣はこうも言っていた。 「あれはほんの一時的な感情がもたらしたすれ違いであって、決してお二人の絆が違《たが》えたのではない」 友泉も秋藤も国務大臣が言った、その言葉を信じたいと思った。 だからこそ、秋藤は友泉に確認したくなったのだ。 友泉はそのことについてはもう何度の何度も、気が狂いそうになる程考えた。 だがわからなかったのだ。  友泉は清蓮を信じていた。 そんなことをする人間ではないと。 両親や妹を殺すなどあり得ない。 友泉の父親を殺すなど、他の無辜《むこ》の人を殺すなど、そんなことあるはずがない。 国務大臣も違うと言っている。 ただ言うのだ。 運良く生き延びた者たちが、口を揃えて言うのだ。 あれは清蓮だったと……‼︎ 厩舎に朝日の柔らかい光が差し込み、二人を優しく包み込む。 友泉は太陽に顔を向けると目を閉じ、その光を大きく吸い込んだ。 目を開けると、友泉の表情は付きものが落ちたかのように、いつもの活力のある、精悍な顔つきに戻っていた。 「兄さん、すべては清蓮に会ってからだ。あいつに会ったわかる。俺ならわかる」 友泉は迷いのないまっすぐな目で秋藤を見つめ、静かな決意を口にする。 「だが……万にも一つ、親父や名凛を殺したのが清蓮だとしたら……。その時は……、その時は問答無用で清蓮を斬る!そしてあいつの首を、亡くなった者たちの墓前に添えるまでだ‼︎」

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