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第7話 再会

「やっぱり、知らないのは本人だけかぁ」  二階堂は笑いながらそう言うと、当たり前のように菊地の隣に座ってきた。 「え、なになに?」  清水が身を乗り出して聞いてくる。 「あの事故の後、菊地くんマスクつけたでしょ?」 「ええ、まぁ」 「なんで?」  二階堂に、聞かれて菊地は一瞬言葉につまって、喉を鳴らした。 「匂い、が…一之瀬の匂いが気になって」  それを聞いて二階堂が口の端を軽く上げた。 「ベータなのに、アルファの一之瀬の匂いが気になったの?」 「嗅ぐと気持ち悪くなる…」 「どうして?」 「医者には心理的なものかもしれないと言われましたけど…あの時倒れた事の記憶と匂いがセットになって、恐ろしい事として記憶されたんじゃないか、って」 「なるほどね」  二階堂はそう言いつつも、笑っている。 「ベータなのに、アルファの匂いが分かるって、ちょっと変だと思わなかったの?」  清水がそう言うと、里中も頷く。 「ベータなのに?」  菊地は訝しんだ。  だって、あの時教室にいたベータの生徒は、全員倒れたし、匂いも嗅いでいた。 「普段、何もしていない一之瀬のフェロモンを嗅ぎ分けられたんでしょ?」  二階堂はそう言いながら菊地の鼻の頭を指で押す。 「嗅ぎ分けていたんじゃなくて、気分が悪くなるんで…」  菊地が、そう言い淀むと、二階堂が菊地にさらに近づいた。 「あの時、俺のフェロモンも嗅いだよね?俺のは、どう?」  菊地に嗅がせるためなのか、二階堂が菊地を抱きしめるような体勢をとる。菊地の顔の前に二階堂の首筋があった。ちょっとスパイシーな感じがしたが、気分が悪くなったりはしない。 「?別に」  正直、アルファのフェロモンを正しく嗅いだのが初めてで、どうもこうもない。 「嫌じゃないなら、試してみない?」  何を?と聞きたかったけれど、二階堂の向こうに見える清水と里中が笑っていた。聞くのは野暮のようだ。  ここはアルファとオメガが安全に出会う場所である。  菊地の、だいぶぬるくなったオレンジジュースを二階堂は飲み干して、菊地の手を取った。  菊地は引かれるままに二階堂について行く。  二階堂はスタッフから鍵を受け取ると、菊地をエレベーターへと導いた。 「えっと?」  ぼんやりと理解はしているものの、この先がハッキリと分かっていない。  二階堂の手は、菊地の腰に回されていた。こうして並んでみると、二階堂は菊地より頭一つぐらい背が高かった。  エレベーターを降りると、二階堂は菊地を離さないでそのまま目当ての部屋に進んで行った。  鍵を当てて 解錠すると、菊地の腰を引くように室内へと誘導する。 「初めて?」 「え?」  質問の意味が分からず一瞬狼狽えた。  ベータの頃になら、ラブホは経験済みである。室内は、ビジネスホテルよりはラブホよりの造りをしていた。 「ここの施設、初めてだよね?」  菊地は首を縦に振った。これじゃあ、初心な女の子のようだ。そうは思ったけれど、オメガとして考えたら、菊地は処女である。ヒートも未経験だ。 「座って」  二階堂言われてベッドに腰を下ろす。  右側に座られて、主導権は二階堂がとった。腰ではなく肩に手を回されて、身体が密着する。 「ヒートもまだなんでしょ?」 「…はい」 「じゃあ、試してみない?」  そう言う二階堂の手が菊地の太腿に置かれた。性的なお誘いなのは、この部屋に連れてこられて分かってはいる。  けれど、自分が抱かれる側になったことをまだ受け入れられていない菊地は、どう返事をしていいのか分からない。 「ヒートになって、訳が分からない状態でするよりいいと思うんだよね」  二階堂の顔が近づいて、菊地の頬に唇が触れる。二階堂のフェロモンが濃くなって、菊地の背中が軽く震えた。 「ヒートを起こせば簡単にアルファを受け入れられちゃうけど、意識飛んでる時に誰だか分からない状態で初めてって、嫌じゃない?」  太腿の上に置かれていた二階堂の手が、腰を撫でてゆっくりと脇腹から上がってくる。鼻をつくスパイシーな香りのフェロモンが、また、濃くなった。 「…っあ」  二階堂の手がいつの間にか胸にたどり着いていた。 「どうかな?」  ゾクゾクするようなスパイシーな香りが、鼻から入って全身に回ると、お腹の辺りからじわじわと熱くなるのがわかる。 「いい匂い」  二階堂が菊地の首筋の匂いを嗅いで、舐めとるように舌を這わせた。 「っん」  菊地の身体が小さく反応すると、二階堂はそのままゆっくりと唇を小刻みに菊地の肌に当てていく。唇が離れる度に聞こえる小さな音が、菊地の耳に入るやけに大きく聞こえた。  鎖骨の辺りをまた舐められて、強めに吸われた。シャツのボタンを外されていたのに気づかなかった。多分肩を掴まれていたと思っていたのに、菊地の視界には天井が見えた。  二階堂が自分の上に覆い被さるようになっていて、顔を覗きこまれた。 「このまま、しても?」  どう返事をしたらいいのか迷っていると、自分の呼吸がやけに熱くて、右手が二階堂のシャツを握りしめていた。 「初めてだもんね」  二階堂の手が、菊地の前髪を撫であげる。  至近距離で目線があって、菊地は思わず身構えた。キスされる動作だと咄嗟に感じた。菊地が、目を閉じようとした時、扉が激しく叩かれた。 「なんだよ」  タイミングの悪さに二階堂は思わず舌打ちをした。菊地の首元を見るけれど、表示されている数値はまだ、ヒートの段階ではない。  菊地が、施設で預かりの待遇なのは知っているので、職員が来たのかと部屋の扉を開けた。 「一之瀬?」  二階堂が扉を開けると、目の前には一之瀬匡が立っていた。 「ここに菊地がいるでしょう?」  あの時とは、逆の立場で一之瀬が圧をかけてきた。 「一部屋二名までだけど?」  扉に手をかけて、一之瀬を部屋に入れまいと二階堂が立つ。 「菊地を、出してくれませんか?」  一之瀬がそう言って、さらに圧を強める。 「一之瀬っ」  室内から菊地の悲鳴にも似た声がした。 「あっ、あっ、あ」  菊地が自分の胸元を抑えて、一之瀬を見つめている。  一之瀬のフェロモンを嗅ぐと気分が悪くなるとは言っていたが、声を上げて胸元を抑える菊地は、様子がおかしい。 「菊地くん?」  二階堂が菊地に近づくと、首元に表示されている数値を確認した。 「ヒート?」  さっきまで通常値であったのに、今表示されている数値は明らかにヒート時の値である。 「どうして、急に?」  二階堂が菊地の肩に触れると、菊地の身体が大きく跳ねた。菊地の体がベッドの上に沈んでいく。 「あ、あぁ」  菊地は自分の腕で自分を抱きしめるように蹲る。  菊地から、オメガのフェロモンが濃くはっきりと発せられていた。 「菊地さんっ」  一之瀬をおしのけて、木村が部屋に駆け込んできた。菊地の数値を確認して、慌てて来たのだろう。 「すみません、状況が分からないのですが…とりあえず、アルファのお二人は出てもらっていいですか?」  木村に言われて、一之瀬と二階堂は部屋を出た。  木村は、ベッドの上で蹲る菊地の肩に手を回す。 「菊地さん、大丈夫ですか?これ、抑制剤です」  菊地の体を起こすと、その口に錠剤を押し込む。 「噛んで飲み込むタイプです」  言われるままに、口の中の物を噛み砕く。砕けた錠剤が触れた舌がピリピリとした。 「い、一之瀬が、一之瀬が…」  菊地がそう言うと、木村は首を縦に振った。 「はい、いました。一之瀬匡が、いましたよ」 「一之瀬の匂い…」  薬が効いてきたのか、菊地の呼吸が穏やかになる。 「菊地さん、ヒートを一緒に過ごす約束でもされましたか?」  木村が菊地の耳元で確認をする。  菊地は頭を左右に振る。 「部屋に戻るより、ここで過ごした方がいいでしょう。この数値で移動は大変ですから」  木村はそう言うと、菊地の服を慣れた手つきで脱がし始めた。  バスローブを持ってきて、菊地に羽織らせると、素早く下着を取り去る。 「脱いだ服はこのカゴに入れておきます。抑制剤は10回分、噛み砕いて飲んでください」  薬のシートを握らされた。木村は備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを、持ってきた。 「ヒート中のオメガはあまり食事を受け付けないと聞きます。けれど、水分は補給しないと危ないですからね」  差し出されたミネラルウォーターを空いている手で受け取る。 「で、どちらの方と過ごす約束を?」  改めて木村に問われるが、そんな約束をした覚えはない。二階堂にヒートになる前に、初めてを経験した方がいい。と誘われただけだ。  菊地は慌てて頭を左右に振る。薬が効いて、頭はだいぶ冴えている。 「じゃあ、一人で過ごせますね?」  木村が菊地の目を見て確認してきた。  菊地は一度呼吸を整えてから、ゆっくりと首を縦に振った。 「わかりました。では、外から鍵をかけます。菊地さんのヒートが終わった頃にまた、来ます」  木村は鍵をもち部屋を後にした。電子ロックがかかる音がする。  アルファと過ごすとヒートが、楽に終わる。そう聞いてはいるけれど、いざそうなると覚悟が伴わない。  確かに二階堂に誘われて、ヒートの前に初めてを経験しようとはしたけれど、ただ、流されていただけだ。  菊地はだるい体をそのままベッドへと沈めた。  眠たいから眠ろう。  何も考えずに、初めてのヒートを過ごすしかない。

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