16 / 37

第16話 思惑

 施設の談話室で木村と一之瀬は向かい合って座っていた。場所が談話室であるため、それなりのプライバシーは守られるが、鍵がかかる場所でないため、いつでも第三者が入ってこられる状態ではある。 「それで、どのようなお話になりますか?」  木村は一切の忖度無しで切り出した。  名家であり、この施設はもとより、併設されるショッピングモールへの出資をしている一之瀬グループの跡取り息子である一之瀬匡だ。本来なら丁寧に対応するべきであるうけれど、木村はどうしてもそれが出来なかった。ひとつは自分が担当する菊地和真のことがあるからだ。  それと、もうひとつ・・・ 「菊地和真は、オメガ狩りでこの施設に来たと聞いているが?」 「そうですね、あなたが発案した制度で、ね」  通称オメガ狩りと呼ばれる制度を発案したのは、一之瀬匡である。表向きは、町中などで突然のヒート発動で後発性オメガとなった人物の保護となってはいる。が、一之瀬匡の狙いは、菊地和真がオメガに目覚めた時に、他のアルファに盗られないようにするためだ。国も巻き込んで、自分の欲のためにこれだけの大規模な制度と施設を作り上げた事は褒めておく。褒めてはおくが、まさか自分がそれに巻き込まれるとは思ってもいなかった。だからこそ、木村は一之瀬匡に若干の敵意を向けていた。  菊地はオメガ狩りで施設に来た割に、素直に受け入れて、暴れたり悲観したりなどしなかった。内心どれほどのダメージを受けているのかと心配していたのだ。  それが、菊地の人生のあれやこれやをやらかしてくれたのが、目の前にいる一之瀬匡だ。菊地が後発性オメガとして目覚めるのが遅れたのは、もはや一之瀬匡のせいと言ってもいいだろう。 「俺のせいで後発性オメガの発動が遅れたんだ、俺の責任をもって保護するのは当然だと思うが?」 「でも、あなたのフェロモンを嫌ってますよね?彼」 「記憶を、上書きすればいい」 「どうやって?」 「現に、俺のフェロモンを嗅いでヒートを起こした」 「あの部屋には入れませんよ。それに、菊地さんは再就職を希望してますから」 「言ってくれるな」 「担当の職員ですから」  木村は引くつもりはなかった。たとえ、相手が出資者だとしても、木村は公務員だ。オメガ保護課の職員として、真っ当な仕事をこなすだけだ。 「公務員には、俺の圧は効かないということかな?」 「多少は効いてますよ。でも、俺は負ける訳には行かないんです。担当ですから」 「ヒートが明けたら、俺は菊地に接近するつもりだけど?」 「それについては何も申しませんが、施設内での行動には、制限がかかりますからね」 「もちろん。ちゃんとコテージでするさ」 「コテージの使用ルールを守ってくださいね」 「当たり前だ」 「連絡、誰から貰っているんです?」 「菊地には、ずっと監視をつけている」 「左様でしたか」  木村は呆れつつも、そんなに長いこと執着されている菊地に同情をするしか無かった。職員である自分では守りきれないこともある。 「菊地のヒートが明けたらまた寄らせてもらう」  そう言って一之瀬は帰って行った。  さて、と木村は思う。一体誰が一之瀬匡に連絡をしている監視なのか?ずっと付けている。とは言っても高校時代から同じ人物ではないだろう。お抱えのSPから、この施設の職員まで、一之瀬匡の部下がいるということなのかと思うと、やはり木村は菊地和真に同情をするのだった。  ───────  ヒートが明けて、菊地は施設内の医療機関で薬の処方について説明を受けていた。  数値は通常のオメガとして申し分ない。  なんて、説明をされても、菊地にはなんの事やらさっぱり分からなかった。と、言うよりは理解がついて行かないのだ。 「えっと、通常とは?」 「わかりやすくいえば、妊娠出来ますよ」  医者に笑顔で言われて、菊地は若干顔がひきつった。いやいや、婚前診断しに来たわけじゃない。ようやく通常のオメガらしく、ヒートを経験したばかりだ。 「菊地さん、よく聞いてくださいね。男性オメガの妊娠に適した期間は、10代後半から20代半ばと言われているんです。その間に妊娠を経験しておかないと、後々不妊になったり、ヒートが不安定になったり、アルファのフェロモンを正常に受け付けなくなったりと、障害が起きやすくなるんですよ」 「は、はぁ」  そんなことを言われても、菊地は既に20代半ばだ。オメガ狩りで自分のバースが発覚したので、誰か目当てのアルファがいる訳でもない。 「再就職先とかで、番えるアルファに出会えるといいですね」 「そーゆーもんなんですか?」 「ええ、そーゆーものです。そうしないと、ヒートの度に辛いことになりますからね」  医者はカルテに何やらキーボードで打ち込んでいく。 「これが、抑制剤。菊地さんに適しているタイプの物。それから、これがピル」  出された錠剤を菊地は凝視した。 「ピル?」 「ええ、ピルです」 「え、ピルって…」  知識としては知っている。が、ピルを処方されるとは、驚きしかない。 「ヒートの時、抑制剤を飲んで一人で過ごすのもいいですけど、コテージでアルファと過ごすこともありますよね?望まない妊娠を避けるために、番ではないアルファと過ごすなら、ピルを飲まないとダメでしょう?」 「…あ、あぁ……そ、ですね」  菊地は今更ながら、そういう事を思い出した。  アルファのフェロモンを浴びればいいと、単純に考えてコテージに行った。そして、二階堂からフェロモンを浴びようとしたのだ。今更だが、かなり迂闊な行為だ。ヒート中でなければ妊娠しないとはいえ、抑制剤も何も持っていなかった。 「ヒートが明けたばかりですけど、オメガとして抑制剤は必ず携帯する義務があります。ピルは、自己責任なので、まぁ……アフターピルも処方出来ますけど、どうしますか?」 「アフターピル?」 「アルファとの行為の後、24時間以内に飲むタイプです」 「24時間以内?そう言う制限があるんですか?」 「あるでしょう?ベータの女性用だってそんなもんですよ?」  菊地はギュッと目をつぶって、唾を飲み込んだ。考えることは沢山ある。そもそも自分はいい歳した大人である。再就職だってまだしていない。適齢期だからといって、妊娠するわけにはいかないのだ。 「アフターピルも、ください」 「アフターピルはね、それこそお守り。ほら、粒が大きいでしょ?」  出された錠剤は、確かにデカかった。見た感じ、飴玉にも見える。 「噛み砕いて飲むんです。緊急用の抑制剤と飲み方は一緒。カバンとか、お財布の中に入れておくと安全かな?」 「わかりました」  医者の診察が終わると、別室で看護士から個別ではなしがあった。 「菊地さん、このアプリを使って下さい」  言われたアプリは水色のうさぎが目印になっていた。 「なんです?」 「男性オメガ用のヒート周期を測るアプリです」 「男性用?」 「女性オメガは、元からある女性ベータも使っている生理周期を測るアプリを使いますから」 「はぁ」 「で、ここが今回のヒートの日数、それで、通常は90日周期なので、次のヒートの予測日がここですね」 「へ、へぇ」  アプリにはいろいろな機能があった。 「GPSと連動して、近くのコテージが表示されるんです。出かけ先でヒートになった時、一番近いコテージに避難できるようにナビの機能もありますから」  笑顔で言われても、なんと返事をしたらいいのか分からない。 「このスマートウォッチも連動しますから、菊地さん。スマートウォッチとスマホ、抑制剤とピルは忘れずに持ち歩いてくださいね」 「わかりました」  そうは言いつつも、持ち物多いな。と菊地は思うのだった。もう、財布と鍵だけ持って気軽にコンビニには行けない体になってしまったらしい。

ともだちにシェアしよう!