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第33話 見知
三ノ輪と久しぶりに会って嬉しかった。
同じ男オメガとして、悩みをさらけ出せてだいぶスッキリした。島野はよそよそしかったけれど、それでも高校の頃のように過ごせた。
お昼に焼きそばを作る時、島野が慌てて買い物に行ってくれた。庶民の味の三食入の焼きそばを買ってきて、紅生姜を添えたら、やっぱり三ノ輪が驚いてくれた。
定時で帰宅してくると、一之瀬が連絡をくれたから、菊地は夕飯を作っていた。アパートでよく作っていた料理だ。島野に会えて、三ノ輪に会えて、なんだか、懐かしくて嬉しくて作ってしまった。
「一之瀬って、こーゆーもん食べれるのかな?」
作ってしまってから考えた。ものすごく庶民の味だ。でも、昼間三ノ輪とした、約束が頭から離れなくて、何となくそんなのを、意識してしまったのは否めない。
インターホンが鳴ったので、慌てて玄関へと向かう。一之瀬は既に玄関にいる。ロビーの鳴り方ではないのは、今日学習した。
「おかえり」
一応、インターホンのモニターで確認はした。ここに来られる人はそうそういないので、ついつい何も考えずに玄関を開けてしまいそうだけど、実は島野に怒られた。玄関を開ける前に相手を確認しろ。子どもでもすることだ。
「ただいま………和真」
いつもと違う菊地を見て、一之瀬は慌てて玄関を閉めた。バタンという音が、いつもより大きい。けれど、いつもなら直ぐにハグしてくる一之瀬が、菊地のことを真剣な目で見つめていた。
「ど、どうした?」
菊地が驚いて声をかける。
「和真、それ…どうしたんだ?」
口を手で覆いながら一之瀬が言う。
「ん?」
一之瀬の言う『それ』が分からなくて、菊地は小首を傾げた。しばらく考えて、ようやく理解した。
「ああ、これ?」
そう言えばすっかり忘れていた。三ノ輪からの貰い物だった。初めて着けたけれど、思いのほか邪魔にならなかった。
「由希斗くんにもらったんだ。…似合う、かな?」
胸の辺りを手で押えながら、菊地が聞く。
明らかに、送り主である三ノ輪の意図とは違う使われ方をしているけれど、それでも一之瀬には破壊力抜群だった。
「出来れば、夜にも…着けてくれ」
白いフリルのエプロンは、既にちょっと汚れていた。
「口に合うかな?」
夕飯を並べながら、菊地は一之瀬に聞いた。
「初めてたべたけど……中身は納豆?」
一口かじって、一之瀬は中身を確認する。
「うん、油揚げの中にチーズと納豆が入ってる」
簡単なおつまみで、居酒屋とかで食べたのを、自宅で再現しただけなのだけれど。
「これは豚汁?」
「けんちん汁、豚肉入れてない」
居酒屋と定食屋が、ごっちゃになった夕飯だ。下の高級スーパーで、美味しそうなホッケを見たら食べたくなった。ヒートを迎えてから、お酒が飲みたいと言う感覚が無くなったけど、あの頃口にしていた物は食べたい。
「今日ね、由希斗くんに、焼きそば出したら驚かれた」
菊地にとっては当たり前が、名家の三ノ輪にとっては普通じゃなかったのだ。
「ああ、そういうことか」
一之瀬は、なんともないようにホッケを食べ進めていて、けんちん汁に入っている里芋を、器用に箸で掴んでいた。
「一之瀬は、焼きそば食べるの?紅生姜ついてるやつ」
「食べたことぐらいある」
菊地が何を思っているかは、だいたい理解した。菊地の作る料理は、ベータの一般家庭で食べられるものだということも分かっている。
「俺だって、学生の頃は家で朝食を食べていた」
一之瀬がそう言うと、菊地は驚いた顔をした。
「焼きたてのパンとか?シェフがオムレツ焼いたり?」
「吉野さんが、ご飯を炊いて、焼き魚とか、海苔とか」
一之瀬が訂正してきた。
菊地の中では、一之瀬にはお抱えのシェフがいて、朝からご馳走を食べていたイメージらしい。
「へえ……でも、素材が高そう。下の高級スーパー、俺の知ってる値段の倍以上するもんな」
「……そうなのか?」
「だって、、特売とかしないし。精米されてない米が売ってるの初めて見た。ハムとかソーセージが量り売りなのびっくりしたよ」
黙って受け入れていたけれど、菊地の中では盛大に驚いていたようだ。
「そ、う、だったのか」
それじゃあ、懐かしのこの味を作るのに、買い物していてさぞや驚いていたことだろう。
「島野くんがさ、荷物を全部運んでくれたから、今日は楽だった。やっぱりさぁ、お店の人に運んでもらうの気が引けるよね」
サラッと菊地が言った事が、一之瀬には結構な打撃だった。
夕飯後、二人でタブレットを操作しながら、一之瀬が聞いた。
「由希斗は由希斗と呼ぶのに、どうして俺は一之瀬のままなんだ?」
番った後に、名前で呼んでくれたのに、その後はもう一之瀬になっていた。じゃあ、ベッドの中限定なのかと思ったら、そういうことでもなくて、一之瀬は不満だった。
「え?あ〜~うん」
菊地はなんだか歯切れが悪かった。
一之瀬は、自分だけ苗字で、しかも、『くん』も『さん』も付いていない事が気になっていた。だからといって、『様』を付けられることを望んでいる訳では無い。
「ん~と、さぁ。俺、ずっと一之瀬の事避けてたじゃない?」
菊地が、言いにくそうに喋りだした。
「俺の中では高校の頃、ずっと一之瀬のせいでお腹が痛いとか、気分が悪いとか、そんなんだったから。どうしても『一之瀬』って、呼んじゃうんだよね」
要するに、避けていた=嫌っていた。ということなのか、呼び捨てにしていたらしい。
「それは、つまり?」
「長年、心の中でそう呼んでたからなぁ」
菊地が、困ったような顔をするから、一之瀬もなんとも言えなくなる。徐々に慣れてもらうようにするしかないのだろうか。
「じゃあ、こうして二人っきりの時は名前で呼ぶようにしないか?」
元から一之瀬の膝の間に座っていたけれど、タブレットを取り上げられて、一之瀬の腕が菊地にまとわりつく。
「そういえば、由希斗くんは『匡様』って呼ぶよね」
急に言われて、一之瀬は驚いた。
「あっ、そうだ。由希斗くんの初めて相手が一之瀬って聞いたよ?一之瀬も、初めてだったの?」
覗き込むような体勢で、そんなことを聞かれては、流石のアルファもたじろぐというものだ。
「やっぱり手ほどきしてくれる人を雇うの?」
菊地の無邪気な好奇心が、一之瀬を激しく攻撃するのだけれど、菊地は、全くそんなつもりは無いのだ。
「………和真、それは…何故知りたい?」
「えー、今日さぁ、由希斗くんとそういう話をしたからさぁ、好奇心?」
あくまでも、ただ純粋に聞きたいだけだと言われれば、答えてしまおうかとも思うけれど・・・
「あ~嫌ならいいよ?俺だって、ベータの頃は女の子付き合っていたわけだし」
菊地は、そう言って笑って見せた。一人モヤモヤしてるのは一之瀬だけだ。
「和真は、こんな俺にヤキモチを焼いてはくれないの?」
一之瀬が菊地を抱きしめながら聞く。
「え~、今でもヒートのオメガの相手をしてます。とかだと困るけど、今はしてないんでしょ?」
菊地にそんなことを言われて、一之瀬はますます菊地を強く抱きしめた。
「してない。する訳ない。和真にしか発情しない」
そう言って、一之瀬は菊地をぎゅうぎゅうと抱きしめる。後ろからだから、抱き込まれるような体勢になって、菊地は少々窮屈だ。
「一之瀬、苦しい」
そんな事を言われてしまって、一之瀬は思わず菊地の耳を軽く食んだ。
「和真、俺のことも名前で呼んで?」
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