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第10話

「俺、今の状況とか、感情を大事にしたいんだ」  貴方は俺の歌が好きだって言ってくれたけど。  俺だって、それは同じ。  俺だって、貴方の歌が好きで。  歌を通して、もっと良い関係を作っていけたらなって思う。 「俺たちは、もっと色んなことを共有できると思う」  恋愛感情だけじゃなくて、もっと色んな感情を共有できると思う。  だから、ひとまずお試しでキスをしてみようとは思わない。  してみたいとも思わない。  変に急いで、駄目にしたくない。  少なくとも、それぐらい今の感情は俺にとって大事なもので。  軽々しい行動で台無しにしたくない。  今の感情を台無しにしたくない。 「だから、キスできない」  今は、できない。  そうして彼は口を閉ざした。  でもすぐに、顔が僅かに歪み。  彼は軽く唇を噛んだ後、短い溜め息をついた。 「ごめん。俺、ズルいよね」  相変わらず俺に顔を向けることはなく。  彼の顔は歪んだまま。  斜め横の顔が、俺の目に映る。 「いや、全然……」  俺だって、狡い。  お互いさま。  いや、この状況になっても俺は自分の想いを語らずにいるんだから。  俺の方が、もっと狡い。 「要は、心の準備ができていないってこと?」  俺は分かった顔で彼に尋ねるが――。  かなり独りよがりな解釈。  彼の『変』が俺の望むように変わることを前提とした。  強引で、身勝手な質問。  彼がまた、小さな吐息をついた。  一瞬だけ、呆れた眼が俺に向く。  これは、ゲームオーバー、……かな。  真剣な感情にゲームなんて言葉は使いたくないけど。  何がともあれ、終了ってことだ。 「そういうことで、いいよ」  酷い返事だった。  この期に及んでまだそうやって人を泳がせる。  でも、なんでだろう。  その波を心地よく受け止め揺蕩う俺がいる。 「良かった」  俺が頬を緩めると、彼の頬も釣られるようにして緩んだ。  狡いな。  やっぱり、彼の方が狡い。  でも、それでいい。  今は、それでいい。 「俺たち、何かできないかな」  彼がポツリと呟く。  何か、というのは、もっと距離が縮まるような何か、でいいんだよな? 「じゃ、今度さ、コラボしない?」 「え?」  彼の目が丸く開く。  でもその瞳の奥に、どこか期待した色が見える。 「うん、勿論いいけど。曲は?」 「それはまだ決めてないけど」  でも、もしそれが叶うなら。 「何だったら、俺が書こうかな、……なんて」 「え⁉ いいの?」  一瞬にして彼の目が輝く。 「うん」 「そっか。なら、俺もちょっとアイディア出していい?」 「勿論。折角だから、合作にする?」 「うん! なんかもう楽しみになってきた」  そう言って、彼がはにかむように笑った。  次は俺が彼に釣られて、笑みを零した。  実のところ。  まだ音は浮かんでいない。  そんな有様でありながら、随分大きく出てしまった。  でも、どんなものにしたいか、構想は出来上がっている。  彼にしか表現できない世界と。  俺にしか表現できない世界。  その二つの世界が融合し。  数多の音が無限に広がるような曲。 「一緒に考えよう」 「うん。絶対、いいものになるよ」 「だね」  二人で音を奏でよう。  その音を紡ぎ終えた時。  彼の心は変わっているだろうか。  俺の気持ちは届いているだろうか。  彼は笑って受け入れてくれるだろうか。  そんな先を夢見て、音を奏でよう。  軽やかで、疾走感に富み。  それでいて纏わりつくように濃厚な。  協和音。  あまりの甘美な音色に。  聴いた人が逃れられなくなるような。  幽玄の世界。  滑らかで、蕩けるような。  天上の音楽を。

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