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第270話
他国に比べて雨の多いバーチェラで、消えていく記憶と痛みに苛まれる身体を隠し〝普通〟を装うのはひどく体力と気力を使う。この日も昼頃から降り始めた雨に頭は痛くなるばかりで、アシェルはようやく終えた業務を片付け、何でもない風を装って城を出た。城の中では人々の目が気になり、いつかすべてを知られてフィアナの耳に入ってしまうのではないかと恐れが付きまとうが、城の外であれば少しは楽になる。雨の日は人々も外出を控えるから人気もまばらだ。顔を隠すように傘をさしながら、アシェルは小さく息をついた。
雨は嫌いだ。アシェルの大切なモノを壊し、大切な者を奪い、そしていつかは妹を悲しませることになるだろう。だが、こうして人の目を気にしなくて良いという一点においては、雨の日もありがたい。
あぁ、頭が痛い。
痛くて、痛くて、骨が砕けてしまいそうだ。
無意識に寄った眉間の皺を解すように指を動かすが、そんなもので治まるような易しい頭痛ではないようだ。昼頃から降り注いだ雨と同時に痛みを訴えるそれを隠そうと、長い時間を緊張状態で過ごしたから疲れてしまったのだろうか。今日はいつも以上にガンガンと硬い何かで頭を殴られているかのような痛みが襲い掛かる。足も鉛のように重くて、靴が傷んでしまうとわかっていてもズルズルと引きずることしかできない。もう、ほんの少し足をあげるだけの体力も残っていなかった。ボンヤリと視界も波のように霞んで定まらない。
帰りだけ馬車を借りればよかっただろうか。
あぁ、駄目だ。二日前にウィリアム兄上が来てそれなりの額を渡してしまったから、たとえ帰りだけだったとしても馬車を借りるなんて贅沢はできない。
こうなることを見越していたわけではないだろうけれど、父が与えてくれた別邸は病を隠すには好都合だ。フィアナは兄たちに与えられた別邸に比べてアシェルの別邸はひどく小さいとプリプリ怒っていたけれど、それさえも今はありがたい。
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