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第280話

「私が馬車で、お兄さまをオルシアにお連れしますわ。ですから、ロランヴィエル公は国に――」 「王妃殿下」  すぐに用意をすると言うフィアナに、ルイは首を横に振った。 「失礼ながら、この国の中で一番の速さを誇るのは私の馬だと自負しています。馬車よりも私がアシェルを抱いて馬を駆けさせる方が早くオルシアにたどり着けるでしょう。……王妃殿下、アシェルにはもう……、時間の猶予は無いのです」  ヒュッ、とフィアナが息を呑む。残酷な言葉は、しかし偽りなき現実だ。 「王妃殿下のご厚意はありがたく。ですが、使用人が必要であればロランヴィエルの者を後から呼び寄せましょう。見知らぬ者が側にいる状況を耐えられるだけの余裕は、今のアシェルにはありません。――陛下、今一度伏してお願い申し上げます。私にアシェルを連れて行かせてください」  アシェルの中にはもう、ルイの記憶はわずかも無い。だが何故か、ルイの言葉はどんな状況でも耳に入り、そして安心したように身体から力を抜いてくれる。おそらくは無意識のうちにルイを信用しているからだろう。  アシェルの側にいたかった。彼の隣に立ち、手をとれる相手になるため、力をつけて誰もが認める公爵になった。すべては、アシェルを――。 「ルイ」 「たった一人、愛する人です。誰にも代えられない。たとえすべてを敵に回したとしても、すべてを失ったとしても、それでも陛下、アシェルが安心して少しでも心穏やかになれることこそが、私にとって何よりも大切にすべきことなのです」  王を前にして迷いも躊躇いも無い。強い光を宿す赤い瞳を見つめ、フィアナはゆっくりと瞼を閉ざした。 〝いつか、フィアナにもわかる時がくる〟  かつてそう言って微笑んだ兄の姿が脳裏に蘇った。 「お話し中、失礼いたします。第一連隊のバレイビナ副連隊長が来られました。陛下と、ロランヴィエル連隊長にお目通りを願っております」  沈黙が落ちる中、扉の向こうから侍従の声が聞こえた。すべてが、まるで謀ったかのように動き出す。 「……これも、定めですわね」  許可を出すラージェンの声にかき消されるほどか細く、ポツリとフィアナは呟く。入室してきた副連隊長マルスはルイの少し後ろまで来ると、静かに膝をついて頭を垂れた。

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