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第308話

「その時、お兄さまったら笑いながらおっしゃったのよ。フィアナにはまだわからないかもしれないねって。子供はそれで良いんだよって。ご自分だってあの時は子供だったくせに」  今と同じように拗ねて顔を顰めるフィアナに、同じ子供であったはずのアシェルはまるで我が子を見守る親のように微笑んだ。 「今でも鮮明に覚えていますわ。お兄さまは拗ねた私の頬を指で突いて、いつかフィアナにもわかる時がくるっておっしゃったの。お伽噺のようにドキドキハラハラするような、運命を感じる恋でなかったとしても、何があってもずっと側に居てくれて、その心を守ってくれる人。自分の思うままにフィアナを変えようとするのではなく、ありのままの自分を愛して、抱きしめてくれる人が自分にとって最善で、得難い伴侶だ、と」  運命の恋に夢見て、ドキドキハラハラを求めすぎて見失ってはいけない。蔑ろにしてはいけない。地位が無くても良い、身分が無くても良い。名誉も財産も、何も無くていい。あなたが側にいて、愛してくれたらそれだけで充分。そう言ってくれる人を大事にしなさい。 「周りの人は皆、私がラージェンを好きになるように、その心をつなぎとめていられるようにと願っていましたけれど、お兄さまだけは必ずしもラージェンを好きにならなければいけないとは言いませんでしたわ。ラージェンが私を蔑ろにして、傷つけることしかしないのなら愛する必要もないし、結婚だって無しにして良いのだと。私が私の幸せを見つけて、掴むのが何よりも大切なのだと。あの時からお兄さまは子供らしくも貴族らしくもないんですの。お兄さまはずっと、ずっと私の〝兄〟でしたわ。――でも、もういいんですの」  随分と長い時間を捧げさせてしまった。  兄の――アシェルのことが好きだと言うルイの手をとり、アシェルの手に重ねさせる。無意識にだろう、ルイがアシェルの手を握ったのを見て、フィアナは口元に笑みを浮かべた。 「もう、お兄さまにお兄さまの人生をお返ししてあげないと。今度はお兄さまが、御自身の幸せを掴む番ですわ」  だから、これで良い。このフィアナから〝兄〟を奪ってでも、ただのアシェルに会いたいのだと言ったルイを選んだのは間違いではなかった。  だって、たとえ覚えていなかったとしてもそれを幸せだと言い切ったのは他でもないアシェル自身なのだから。 「ロランヴィエル公。私はアルフレッド王から正式な書面をいただいたら国に帰らなければなりませんけれど、お兄さまのこと、お願いしますわね」  深く眠り続ける兄に、フィアナは頬を寄せる。甘えるその姿に、兄の指がほんの少しだけ、ピクリと動いた。

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