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Epilogue Nine lives/Turning point again

 (わたくし)は、湖のほとりにある霧に包まれた廃城のそばに立っておりました。 「エリック・ブランダイスは国一番の騎士  国王の命令に従って、行先は海向こう  ひと月経った頃、恋人の元に知らせが届いた  エリック・ブランダイスは  真っ黒い烏を伴って  現れた悪魔に攫われた  真っ白な猫を道連れに  ひと月と一週間後、涙に明け暮れていた恋人の前に  エリック・ブランダイスが現れた  真っ黒い烏を伴って  樺の木皮の外套を羽織り  真っ白な猫を道連れに  恋人よ、私は行かねばなりません  真っ黒い烏を伴って  私は悪魔と契約をしてしまったから  真っ白な猫を道連れに  恋人よ、私は行かねばなりません  真っ黒い烏を伴って 『最後のキスを』と所望されても、私の唇は土の味  真っ白な猫を道連れに 『さようなら、さようなら愛しい恋人よ  私は行かねばなりません』  真っ黒い烏を伴って 『私は行かねばなりません  悪魔の奴隷となり、さまよい続けんがために』  真っ白な猫を道連れに」 「珍しいな、ましろがその格好でいるの。つかワンピースだけか? 薄着だな、寒くないか……おいおい、しかも裸足じゃないか!」 「精霊なのですから、全く平気ですわよ」  と、私は笑って返しました。私のマスター・アラタは私の歌を気にされてか、探検していたはずの廃墟から出て来られていたようです。私としたことが、声をかけられるまで全く気配に気づきませんでした。  その格好というのは、人型のことでございましょう。私はどういう格好にでも化けることは可能ですが、一番、何の力も考えも無しに成れる姿が少女の姿でございます。  腰まで伸びた白い髪をそのままに、風に吹かれていた私に、アラタはご自身で使われていたマフラーを外して私の首に巻いて下さいました。 「人の声で、歌いたかったものですから」 「いまのも“魔女の騎士”のバラッド?」 「そうですわ」 「悪魔、か。魔女って単語は使わないんだな……真っ白な猫ってもしかして、ましろのこと? ここに来たことがあるのか?」  まだ、湖のほとりに打ち捨てられたこの城が、城として立派にお役目を果たしていた、遠い昔の記憶を思い起しました。  目を閉じて深呼吸をすれば、かつての活気あふれる情景――人が行き交う足音、話し声や笑い声、馬や家畜、食べ物、その他諸々の混ざり合った雑多な匂い――が蘇ってまいります。  私は目を開け、アラタに微笑み返しました。いま、話す必要のあることではございませんし、いつかきっと、お話出来る時が来るでしょう。  アラタは私の意図を感じ取られたのか、それ以上聞いては来られませんでした。 「つかさ、バラッドって、どの歌聞いても何か救えねえというか、可哀想な話ばっかだよな」 「確かに多いですわね。よりもの悲しく、人の本性を抽象的に言い表す歌ほど好まれ生き残ったように思いますわ。  だからこそ、好まれ生き残らんがために、実際に起こった出来事から意図的に内容を変えたものもございますのよ。歌われる全てが、真実可哀想なお話だったとは限りませんの。  更に、歌い継がれ拡がる毎に、固有名詞が変わっていくものも多くありましたから」 「固有名詞、ってーと、土地の名前とか、人の名前とか? ああ、もしかして魔女が悪魔になってるのも、そうなのか?」 「その通り。ですから、バラッドの内容をそのまま鵜呑みにしてはなりません。昔ばなしとは、得てしてそういうものです」 「うーん」  アラタは頭をお掻きになりました。 「そりゃ、頭では理解してるんだけどさ。ましろが人間の格好した時の声って、見た目もだけど、いたいけな少女そのもの過ぎて、もの悲しさが倍増するっつーかなんつーか……聞いてて辛くなった」 「あらまあ」  私は、くすくすと笑ってしまいました。 「ところでアラタ、実験の方はいかがですの? 今回のこの遠征、メインはナオとの意思疎通可能な距離の、限界の判定実験でございましょう? ナオから何か、受け取られましたの?」 「いーや、やっぱ無理っぽい」 「お題は結局、何にされましたの?」 「『今日の夕飯のメニューは何が良いか』」  アラタは腕を組み、うーんと唸られました。 「就職予定先の業務命令だからこそ、車で三時間もかけてこんなめちゃくちゃ遠くの観光地まで来たけどさ。直とがっつり意思疎通ができてたのって、そもそも魔女の騎士の儀式直後だけだったんだから、たぶん距離の問題とかじゃ無いんだよな。いまはこう」  誰もいない、ご自身の横の空間をじっと見つめられます。 「ふわっと、直の気配が隣にいる感じがするだけなんだ。  ふわっと、つっても、寝ぼけていたら確実に、隣にいるって勘違いしそうなレベルの気配ではあるんだけどな。  いま、直が何を感じて何を言いたいのかまでは、残念ながらもう全然伝わってこない」 「そのように、研究室の方々にも説明されてましたわね」 「ああ、なのに、一度は出来たんだからまた何かのきっかけで成功するかもしれない、まずは実験を! ってごり押しだったからな。  実験、って言われて直が突然やる気出し始めたし。まあ、直がやりたいんだったら喜んでやるけどさ、わざわざネス湖指定とか、元々成功しないの見越して俺に観光気分味あわせて機嫌とろうって腹づもりだったんじゃねえの、って勘繰りたくなるよ。俺は直が一緒の方が断然機嫌良くなるのに」 「それではそもそも実験になりませんわ。それに、私はここにまた来られて嬉しゅうございましたわよ?」 「ん、ならまあ良いか。しっかし、研究者ってのは実験とか検証とかすんの、ほんと大好きだよな」 「しかも、アラタもその一員になるのですから本当に、世の中どう転ぶか分からないものですわねえ」 「それな」  アラタは大きく頷かれました。  魔女の騎士の契約を経て、アラタは三つの機関からスカウトを受けられました。  まずは国際魔法警備、それからスコットランド警察内の魔法警備隊。  このふたつは、アラタの魔法に対する耐性と身体能力、そしてウィー・フォークとの親和性を高く買ってのことのようです。声を掛けて来られたのは儀式後なので、“魔女の騎士”という特殊な立場を得たアラタを陣営に引き入れたい、という考えもあっての事でしょう。  そしてもうひとつ声をかけて来られたのが、儀式を主導した、ロンドンにある魔法大学文学部古書研究室。  決め手は意外にも、使い魔である私の存在でした。  私が誇れるものは、そう多くはございません。家事全般苦手ですので、サーヴァントとしてはお役に立てませんし、特筆すべき特技も持ち合わせていない。  あったのは、永く生きている間に身につけた処世術と、体術、知識くらいでした。  今回、古書研究室から求められたのがその、知識だったのでございます。  私は、バラッドや昔ばなしの時代を生きてまいりました。“魔女の騎士”、そしてその魔女とも交流したことがございます。  私の記憶にある出来事とバラッドや昔ばなしで語られる出来事を比較したり、表現された物事を裏付ける資料を私の記憶を辿って探す。  収集した情報の、補強や正確性の判断にうってつけだとみなされたのです。  また、廃れてしまった儀式や魔法、伝統の掘り起こしなども期待されているようです。流石にドルイド教については、栄えていた時代に生まれておりませんでしたので無理、というのは理解していただきましたが、とにかく可能な限り、時代の流れの途中で失われたものを復元する一助としたい、との説明も受けました。  もちろん、現代に生きる“魔女の騎士”のサンプルを出来る限り大学内で囲い込み、監視下に置きたいという考えもあるでしょう。 「秋から俺が、まさかロンドンの、しかも魔法大学の研究員として配属されるなんてな。全っ然、予想してなかった」 「アラタは、本当によろしゅうございましたの?」 「何が?」 「他者を守るために身体を動かす方が、性に合っているのでは? 研究員をお選びになって、本当に後悔はございませんの?」 「あー、まあね。でもさ、俺が一番守りたいのは直だよ。他の人守ってて直を守りに行けない、なんて状況に陥ったら嫌だ。  あと俺、やっぱ魔女や魔法のこと、知るのは好きなんだ。直のことが知りたくて、グラント家の書斎の本とか大学図書館の本とか、色々借りて読んでたんだけど、知れば知るほど面白くてさ。  しんどい内容も、偶にはあったりするよ? でもそういうのも全部直に……直を取り巻く環境に、周りの人達に全部全部繋がるんだと思えば、もっと知りたい、って気持ちが高まるだけで。  それにさ、直も一緒じゃないと嫌だ、つったら、直の方もあっさりロンドンの魔法大学病院に転勤決めてもらえただろ? プロジェクトチームを途中で抜けてもらうのは申し訳ないが、あんなことがあった後だしな。  監視があるにしても、結構俺の希望通りだよいまんとこ」  アラタは一旦言葉を切られ、私ににんまりと笑いかけられました。 「ま、肝心の業務内容に関しては、ましろ姉さんに完全、頼り切った状態になるから申し訳ないなーとは思ってる」 「そんな! 私はアラタの使い魔です、言わばアラタの一部、気兼ねする必要は全くございませんわ」  私は頭をゆっくりと左右に振りました。 「もし私がアラタの使い魔でないまま古書研究室に協力を要請されることがあっても、きっとお受けしておりませんし、そもそもお声がかかることもなかったでしょう。  それにアラタ、一年間は研究員と大学生の二足の草鞋でございましょう、まだまだこれからですわよ」 「ああ、うん、そうだったそうだった。俺、まだ半分学生だった……ましろ姉さんの足手纏いにならないように努めますんで、見捨てないでね」 「まあ」  アラタのお道化た仰り方に、私は少し怒った風な表情をいたしました。アラタは、くっ、と笑われます。 「とにかく、ましろのお陰だ、本当にありがとうな」 「私の方こそ、お役に立てることがあって、本当に光栄ですわ」  私は表情を緩め、廃墟となった城に視線を移しました。 「本当に……私の方こそ、吃驚(びっくり)しておりますの。  あなた方のそばにいたいと願っただけでしたのに、まさか私が見てきた、私なりの真実を誰かにお伝えできる機会に恵まれるなんて、想像もしておりませんでした」 「嬉しい?」 「ええ、とても嬉しゅうございますわ。私の中にだけ留まっていた物語を、誰かに伝えることができるのですから」 「それは良かった」  アラタは大きな掌で、私の頭を優しく撫でられました。 「そういや、ロンドンの大学つったら岬先生の留学先兼勤め先と同じなんだよな、確か。今度、連絡とって皆で一緒に挨拶に行こう。ましろはまだ会ったこと無いよな?」 「ええ。ミサキ先生とは、ナオと仲良くされるきっかけになった方でしたわね?」 「ああ。しかも魔女だったんだ、後から知ったんだが」 「では、尚更ご挨拶に伺わねばなりませんわね」 「決まりだな」  アラタは私の頭から手を離されました。 「さーて、そろそろ帰るか。夕飯、何にするかな……と、その前にましろ、ひとつ聞きたいことがある」  アラタは至極真面目な顔をなさいます。私は、居住まいを正しました。 「はい、何でございましょう?」 「ネッシーって、ほんとにいる?」  アラタは、腰を曲げ、目を眇めて湖を眺めるジェスチャーをなさいました。また、お道化ていらっしゃる様子。 「ご自身でお確かめなさいませ! いまのアラタならば、突然飛び込んで湖の中を探索しても、水中のウィー・フォークが加勢してくれると思いますわ、恐らく、きっと、ですけれども」 「へー、断定しないんだな?」 「ネッシー探索と魔女を助けることは、繋がっておりませんので。まあ、探索後に寒さで震えても、彼らがアラタの健康まで気を使ってくれることはない、ということだけは確かですわね。  そんなことよりアラタ、帰りも三時間かかりますわよ。出立いたしましょう」  私はその場で姿を猫に戻し、車の方へ歩き始めました。 「ましろ姉さん冷たいなー」  アラタは、私の後ろで楽し気に笑われます。  その笑い声と雰囲気はまさしく、私の歩みを止めたもの。懐かしさと共に、切なさを想起させるのです。  ああ、私の最高の友人だった騎士リック、魔女シーラ、カラスのガウ。  あなた方の笑い声、そして纏う気配はとても素敵で、魅力的だった。ずっとそばにいたいと願っていたくせに、他者よりも多くの命を持っていたのに、あなた方を選ぶ勇気が、あなた方と共に果てる覚悟が、当時の私にはありませんでした。  促されるがまま、戦いから、あなた方から、そして死から逃げ出してしまったことを後悔しない夜はなかった。  もう二度と、誰とも共にはいられないと思っていた。一緒にいたいと思える方々にも、再び会えることは無いだろうと思っていたのです。  私は幸せです。もう一度、あなた方と同じような、強く心惹かれる方々に出逢えました。  遠く過ぎた時を戻すことは叶わない。しかし私にも、これからを選ぶことができた。私は彼らを守り、守られ共に生きる道を、そして最期を迎える覚悟を決められたのです。  彼らと共に命尽きたなら、きっとまた、あなた方にもお目にかかれることでしょう。  その時まで、私はあなた方を、あなた方の物語を歌い継ぐのです。  ――――――――――――――――――――  受け持ちの授業を終え、廊下を歩いている最中だった。  唐突に、ぐにゃりと視界が歪む。先視(さきみ)が始まる予兆だ。  わたしは急いで手を伸ばし、辛うじて近くの壁に手をついた。そして、視界がイメージに支配される。  また、事件の未来視だ。いつも通りの酷い現場、沢山の人が倒れ伏し、それを嘆き、助けようと動く人々。 それから中央に倒れた人物を座って抱き抱える誰かが…… 「……っは、げほっ、けほっ」 「大丈夫ですか、先生」 「無事です? 発作か何か?」  わたしは壁に寄りかかったまま、学生達に取り囲まれていた。意識が飛んだのは一瞬だったようだ。先刻見た景色と、周りは大して変わっていない。  平気だから放って置いて大丈夫と返事をするが、彼らはそこら中に散らばった、わたしの教材や筆記用具を集めてくれた。  ハンカチまで差し出される。流石にそれは断り、自分のハンカチで口元を押さえた。  ああ、大騒ぎになってしまった。時間も場所もお構いなしに発動する魔法だからといって、まさかこんな衆人環視の中でやっちゃうなんて……  いいえ違う、待って、そうじゃない。いま、物凄く重大なものを視たはず。イメージを振り返り、一気に心拍数が上がる。  アングルのせいか、人数が多すぎてざっと見てしまっていた。いまのは、中央にいたのはまさか、 「……当麻君と、周央君!?」  多くの人々が倒れ伏す、瓦礫の山の中。  横たわったひとりの男性を抱き抱えていたのは周央君。  そして、片腕が力なく垂れ下がった状態で抱え上げられていたのは、当麻君だ。  どうして。彼らはあの運命から、逃れられたのではなかったの? ふたりが何かを変えた?  まさか、逃れられない程に、あの事件の強制力が強かったということ? 「先生、本当に大丈夫ですか?」 「……どうしよう、未来が」  身体から力が抜け、その場でしゃがみこんでしまった。学生達に差し出された手を取ることも、立ち上がることも出来ない。  どうしよう。  わたし達は未だに事件の解決の糸口を掴めていない。わたしと教授の未来も変わらないままだ。  ふたりはまだ、スコットランドにいるのだろうか。事件に巻き込まれる可能性があることをもう一度伝えなければ。  動悸が激しくなる。  待って、本当に? 本当に、わたしからふたりへ、伝えられる? 今度こそ、彼らの運命は変わらないかもしれないのに。動かし難い絶望を、未来を彼らに告げなくちゃならないの?  わたしは服の中にしまい込んでいた水晶のペンダントを取り出し、震える手で握り締めた。  女神よ、わたしはどうしたら良い?  ふたりが助かるには。  わたし達が、助かるには。  女神よ、どうか、助けて下さい。

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