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番外編 銀狐、温泉に入る 其の三

「──っ!」    昨夜から散々恥ずかしいことをしていたというのに、陽の元に晒される唇痕や紋様の方が、更に恥ずかしいような気になってしまう。  (こう)はさっと湯浴衣(ゆあみい)を纏ってから下穿きを脱ぐと、上衣ごと籠に突っ込んだ。不作法だがもうこうなったら早く温泉に入って、さっさとすることをして出てしまいたいという心境に駆られる。  晧は勢い良く湯殿へと続く引き戸を開けた。   「──……わぁ……!」    現れた景色に自然と感嘆の声が洩れる。  山の中腹にある宿の離れということもあり、綺麗な青空に浮かび上がるかのような山々の稜線が、まるで一枚の絵の様に存在していた。  この景色に誘われるかのように、晧は掛け湯をした後、良い香りのする木の大きな湯槽の縁に座る。  すると緩やかな風がふわりと吹き抜けて、さわさわとした木々の葉擦れの声を連れてきた。  先程の荒れた感情が、次第に落ち着いていくのを感じる。同時に思い浮かぶのは白霆(はくてい)のことだ。あれほど恥ずかしさのあまり戸惑っていた『一緒に温泉に入ること』が、今ではもう不思議なことに、白霆に早くここに来て欲しいなどど、勝手なことを思ってしまっている。この景色を、心地良い風を、この湯を、共に楽しみたいと。   「──晧」    その絶妙の間に声を掛けられて、晧はびくりと身体を震わせた。どくりどくりと心の臓が、五月蠅いほどに鳴り続けている。狐耳はぴんと立っているというのに、尻尾は正直だ。はたはたと揺れて、白霆が来てくれたと喜んでいる。  掛け湯の音が聞こえて、彼が晧の隣に座った。   「宿の者から聞いたのですが、ここから夕陽が沈む光景を見ることが出来るらしいですよ。きっと絶景でしょうね」    白霆の言葉に晧は想像する。  空が穏やかな薄い紫に滲み出るような金色を湛えながら、陽は輝いた稜線の向こうへと落ちていく。全てが黄金色に染まった景色を見る彼の横顔を、晧はよく知っていた。   (……見たい、な)    この湯殿で、豪奢で深い憂愁を秘めた色と光に染まる、白霆を。   「……その刻時になったら、もう一度入りにくるか白霆。無理そうなら明日でもいいし」    晧は隣にいる白霆に振り返りながらそう言った。  はた、と視線が合うが、きっと自分も白霆と同じ驚きの表情をしていただろう。  思えば当然のことだった。  温泉に入るのだから、湯に付けないように白霆の長い髪は、高く結ってからひとつに纏めている。  だから見えて当たり前なのだ。  綺麗な(うなじ)の線と首筋の線を、湯の雫がつつと流れて湯浴衣に消えていく光景など。   

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