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「俺は夕食の用意をするからさ、スマホでもいじって待ってろよ」  台所に立ったタカハシが軽く声をかけてくる。 「ぼく、スマホ持ってないから、あんたの料理するとこ見ててもいい?」  そう返すと意外そうな顔をする。いまどきスマホを持っていない高校生が珍しいのだろう。  でも悟さんから貰う金からスマホ代などを支払えば、ぼくはカスミでも食っていかなきゃならなくなる。なにしろ三食の他に学校の集金なんかも含めて、なんでもそこから賄わなくちゃならないのだから贅沢はできない。おかげでスマホメインのクラス連絡網はぼくの上をスルーする。よほど大事なことは工藤が家電で伝えてくれるけど、よく考えれば工藤にとってはいちいち面倒な手間だ。 (――工藤か)  ぼくの思考は、ここで遠いあいつへと引き戻された。  でもぼくは、工藤のことがすっかり嫌いになったわけでも、どうでもよくなったわけでもない。  だってあいつは言ってくれたんだ。羽交い絞めに遭うようにしながら、「こんなこと気にするなよ」…って。  そんな言葉をあの状況で発してくれるやつなんて、他にいるだろうか? だからある意味、工藤はいまでもぼくにとって他には代えがたい貴重な存在であるには違いない。  だがいかんせん、あいつはぼくを誤解しすぎている。ぼくに期待をかけすぎている。だってぼくはそんなたいそうな人間じゃない。ぼくはもう基本、疲れきってしまっていて、これ以上自分になにかを課したりはちょっともしたくないのだ。  ぼくがいま欲しているのは、なにかしらぼくの能力を引き上げようとしてくれたり、まともな人間に戻そうとしてくれたりする正義ではなくて、このぼく、このどうしようもなく自堕落と不健全と不運にまみれたぼくをそのまま受け入れてくれる、そんな誰かなのだから。もっとも、タカハシがそれに妥当するのかどうかは、ぼくにもよく分からない。  タカハシはそれは見事な手捌(てさば)きで食材の下ごしらえを始めている。  お米を焚く、味噌汁を作る、例の冬瓜を豚肉と煮る、なんとアジを捌き始める。 「これに片栗粉まぶして」  ボールに入った片栗粉と三枚おろしにされたアジが、ついとぼくの前に差し出された。  うん。まあ。さっきからぼさっと立っているだけだしな。ちょっとは手伝わないとね。と、手を洗って、中学の家庭科でやったのをなんとか思い出しながら不器用な手つきで片栗粉をまぶした。その間もタカハシシェフはなにやらいい匂いのするソースを作っている。まじ、何者? ぼくはとことん感服した。 「ぼく、うちでもぜんぜん料理したことない」  コンロでソースを煮詰めているタカハシにアジを差し出しながら打ち明けた。 「だから、上手くまぶせなかったかも」  受け取りながらタカハシが微笑む。なんでも許容してくれそうな笑顔に、ぼくはこんなときだというのについ、ほうっと見惚(みと)れた。 「大丈夫。俺も適当適当。俺だって、休日しかやらないから」  ――ふうん。  もしかしたら足の悪いおばあさんを休ませるためなのかな。ここでもまたタカハシの心根の優しさに触れたような気がした。  タカハシが作ったのはアジの南蛮漬けだった。そしてそれは他のおかずと同じようにとてもおいしい。カリっとしてフワっとして甘くて辛くて。…ん? 実況が下手だな。ぼくはぜったいにグルメリポーターにはなれない。 「ちょっと俺の部屋で休んでいけよ」  夕食後、二人で食器の後片付けをしていると、タカハシが声をかける。  …もう。このドキドキをどう表現したらいいのかな。  エ~いいんですかぁ、なんかイケナイこと考えちゃうかもボクぅー、てなところよ。  でもあれだけ立派な恋人のいるタカハシだから、ぼくとイケナイことをする気なんか毛頭ないに違いない。  広い家屋の端にあるタカハシの部屋は六畳ほどで殺風景だった。  ベッドとわりと片付けられている古い学習机、エレキギター、音楽雑誌やら英単やら単行本があちこちに平済みにされた板の間。それだけ。うん。でもなんとなく、らしい感じがする。ああ、やっぱね、って思う。 「ごめん、座布団ないから適当に座って」  ぼくは指示通りベッドに寄りかかって床に腰をおろした。斜め前にタカハシが胡坐を組む。ペットボトルから緑茶を酌んでくれた。 「おまえ、やっぱりあまり食わないな」 「え?」 「メシさ、白米も器の半分だったろ。いつもあんなに少ないのか?」  返答に困った。だって、今日は自分としてはたくさん頑張った方なのだ。もちろん、おいしかったから余計に食べることができた。手料理なんて本当に久しぶりだったし、それがタカハシからのものだと思うといっそう食が進んだ。それでも、タカハシから見たら少なく感じたのだろう。 「でも、とてもおいしかった」  ぼくの言葉に、なにかを諦めたような小さな溜め息を漏らす。 「また食いに来い。宮代。おまえ、もう少し太った方がいい」  工藤は頑張れ、タカハシは太れ、か。まったく参っちゃうよ。ぼくってよほどこういう情味溢れる人たちの世話焼き遺伝子を刺激しちゃうのかしらん。たぶん、こんな人たちだからこそ生徒会会長になぞ立候補しようなんて思いきったことを考えついたんだろうな。

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