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 ぼくは夢中でねだった。  自分で自分が止められない。突っ走っていると分かっていても、自分を制御できない。  ここまでくると自虐の極みといっていいな。わざわざ傷つくために恋をしてるようなものなんだから。 「そうだな。バスでの寝顔も、可愛かったしな」  タカハシが口元を緩める。 (だめだ。いまなら遅くない。やめとけ)  もう一人の自分が脳裏で聡く警告する。  こいつはお相手二桁の源氏の君。花魁を抱くお殿様。甲斐性もちの遊び人。つまりは格下女郎の相手じゃないってこと。そんなやつの僅かばかりの情けをここで受けたって、つらくなるだけだ。これ以上、自分で自分を追い詰めてどうするんだよ。 「じゃあ、してみようか?」  タカハシが意地の悪そうな微笑を深める。酷薄な笑いだった。  遊ばれているんだ。でもいい。だって好きになっちゃったんだもの。  斜めから覆いかぶさるようにして、タカハシが体を近付ける。距離に反比例するように、ぼくの体が強張った。  タカハシがぼくの背後にあるベッドに手をつく。ゆっくりと唇が重なる。目を閉じる。不思議な感触に、心臓が病的に拍動する。気を失いそうになったぼくは、両手を床に押さえつけて必死にふんばった。  しばらく唇の感触を味わったあとで、舌先が唇に割り込んでくる。どうしたらいいか分からないでいると、タカハシの手がグイとぼくの顎を掴んで、口を開けさせた。割り入ってくる厚い舌。強く、深く、重なる唇。味わうように舌が這い回る。息が苦しい。乱れた吐息が絡まりあう。…すごい、水音――。うわ、ヤバいな。なんかエロい。波のように寄せては引く快さに、体の芯が疼いて溶けてしまいそうで…。  なのに、そこでついとタカハシがキスをやめた。不思議そうにぼくを見つめるほんの十センチ先の瞳を、どうしたのだろうと思ってぼくも見つめ返した。 「まさか初めて?」  図星をさされて耳まで熱くなった。小説や漫画で読んだことはあるけど、本当に分かっちゃうものなんだ。ぼくは、こく…と頷いた。  途端にタカハシの表情が険しくなる。びっくりした。もしかして、怒らせたのだろうか。  初心者のくせに俺様の相手を所望するとは何事だ、みたいに、遊び慣れている相手じゃないと嫌みたいな、タカハシ流の流儀でもあるのかもしれない。  タカハシが体を離して、元の胡坐(あぐら)に戻る。その表情はでも、怒っているというよりはむしろなにかが腑に落ちないと不審がっている様子で、ぼくは次になにを言われるのかと落ち着かず、そわそわした。 「おまえ、バックはヤられてんのに、なんでキスは初めてなんだ?」  タカハシが低く唸る。耳を疑った。心臓が口から飛び出そうになった。 「あれ…。どうして、分かった――?」  声が擦れる。あまりに衝撃的過ぎて否定することも忘れた。タカハシが呆れたように、ハァ、と小さい息を吐く。 「そんなの、見てれば分かる。会うたびにケツつらそうに揺らして歩いてるんだからな」  うわ、と、声になりそうだった。そんなふうに分かってしまうものなのか。  確かに何十回だか何百回だか他人のバックをほっていたら、やられた相手がどんな様子になるのかぐらい分かるようになるのかもしれない。なんたってお相手が二桁の男だもの。 「おまえのステディは、キスをしないのか?」  こう重ねてくるから、ぼくはもう言い訳をあれこれ考えるのも億劫になり、これにのってしまえと頷いた。悟さんを自分の「ステディ」などと呼ぶのにはかなり抵抗があるけど、言われてみればその通りだもの。彼はぶち込むだけぶち込んでやりたい放題だけれど、ぼくにキスだの前戯だのを仕掛けたことは一度もない。二言目には「お前は人形なんだから」とぼくをダッチワイフ代わりにしているのだからさもありなん、だ。 「決まったやつがいるのに、俺を好きなんだ?」  畳みかけられて、チクリと胸が痛んだ。なんだか責め口調だったから。 (――いえ。彼から受けているのはレイプなんです)  そう声にできたら、どんなに楽だろう。どんなにか、すっきりするだろう。  でもそんなのを打ち明けたところでなんになる。それでタカハシの胸に去来するのは、なんだというのだろう?  …かわいそうだという同情? それとも、厄介なやつとかかわっちまったなという懊悩、だろうか?  どちらであれ、やっぱり言えない。真実は言えない。 「でも、本当に好きなんだよ。あんたが」  それだけを告げるのが精一杯だった。  顔を見ていられなくて俯く。惨めだった。  時計を見れば九時半近い。そろそろ帰らなきゃ。魔法がとけちゃう。  シャワーを浴びて、直腸洗浄して。バックに油を塗ってさ。  十一時には強姦されに悟さんの部屋に行かなければならない。それがぼくのお仕事。春をひさぐのが、ぼくの職業ですから。ついでにM役もね。 「もう帰るよ。今日はありがとう。ご馳走さま」  タカハシは駅まで送ってくれた。一度断ったけど、ついてきてくれた。それはとても嬉しかったけれど、歩いている間、ぼくたちはまったく口をきかなかった。気まずい雰囲気だった。

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