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   十五 「あんた、なに言ってんの…? 彼のはずがないだろ…?」  警官をきつく凝視したまま、ぼくは低く唸った。 「タカハシがこんなこと、するわけないだろ?」  猛烈な怒りが炎となって血液を(たぎ)らせ、体内をじりじりと焦がす。  タカハシを疑うなんて許せない。彼はぼくのとても大事な人、これ以上にないくらい、ぼくが愛してやまない人なのだから…! 「アホみたいな誤解、してんじゃねぇよ」 「じゃあ、誰なんですか?」  間髪いれずに警官が口を開いた。 「きみはまだ未成年ですし、我々としてはいま、保護者への連絡が必要な段階にあるわけです。ただ、きみには傷害を受けているという診断が下されていて、それが見知らぬ人間からなのか、それとも友人からなのか、万が一にも保護者からなのか、そのケースによって対応が迫られてくるわけです。被害者であるきみが犯人を言ってくれなければ、とりあえず我々としてはこれからきみの保護者に連絡を入れるしかないのですが、それでも大丈夫ですか?」  さすがにここまで理路整然と現状を説明されては、ぼくも二の句が継げない。  いまから悟さんに連絡がいくとしたらそれまでだ。あの恐怖に耐えきれずに、ぼくは近いうちに間違いなく死を選ぶだろう。  ぼくは選ばなくてはならない。  後か、先か。  死か、生か。  従順か、裏切りか。  誤魔化して後退するのか、真実を話して前に進むのか…。 (教えて。誰か)  ぼくには判断できない。なにが正しくて、なにが間違っているのかなど。  喉につかえているものは、ぼくの悟さんへの肉親としてのわずかばかりの慕情なのだろうか。それとももう得体のしれない、自分でも持て余しているようなぼくのなんらかの「こだわり」にとりつかれているせいなのか。 「でも。タカハシじゃない。タカハシにやられたんじゃない。それだけは、本当に…」  ぼくはかぶりを振りながら警官に理解を請うた。警官の視線が険しくなる。 「彼からは今朝がた、お話を伺っています。あなたの背中に傷があるのに気付いたのは夜中過ぎで、その前に恋人としてあなたを抱いた…つまり、そういうことをした、と、おっしゃっていましたよ」 「エッ?」  自分でも驚くほど大きな声を発していた。警官がうろんげに顔をしかめる。 「違うんですか?」  今度こそどう答えればいいのか分からなくて、ぼくは口を噤んだ。  なぜタカハシは、そんな嘘をついたのだろう…。  いや。ぼくの治療のために昨夜のセックスのことは医者にも話したらしいし、ここまできてそのことについて嘘をついてもしょうがないと彼が考えたのは、理解できる。 (でも、恋人って…?)  それはやはり、ぼくに気を遣ってのことだろうか。  つまり優しいタカハシのことだから、宮代に言い寄られてしかたなく抱きましたとは他人に言いにくくて、恋人という設定を善意で使ってくれたのだろうか。ぼくが恥をかかないように、タカハシが自分で恥をかぶってくれて…。 「どうなんです?」  警官が問い重ねる。ぼくはどう答えたものか戸惑った。でも、こんな誤解をされたままではいけない。 「彼はこうも言っていましたよ。自分がずいぶん乱暴にしてしまったので、骨折を悪化させてしまったかもしれない、と」  その言葉で、一気に血の気が引いた。  それじゃまるでタカハシが加害者みたいじゃないか。ぼくは警官にたいして目を剥き、夢中で弁解した。 「それは、違います! 昨夜のは、ぼくが抱いてって彼に頼んだことなんだから! 乱暴にしてって、ぼくが頼んだんです! もっと強く抱きしめてって、ぼくが、彼にお願いしたんです! タカハシへはぼくの完全な片想いだけど、でもどうしても彼に抱いてほしくて、ヤってって言って無理に抱いてもらったのは、ぼくなんです! それにぼくは、彼の恋人ではありません! ぼくがむりやり、恋人でもない彼にさせたんです! だから悪いのはぼくなんです! 彼じゃありません!」  ぼくの突発的な勢いに気圧されたのか、警官は唖然としてしばらく口ごもってから、「はあ…」と困ったように頷いて生返事をした。ぼくの熱意は彼の上を無為に通り過ぎたようだった。 「では話を元に戻しますが。それならばいったい、その背中の傷は誰からつけられたものなのですか?」  ぼくは再び口を閉ざした。いましがた饒舌にタカハシを庇ったぼくの舌は、急にどう言うべきかを見失って上顎へとへばりつく。  …ああ――どうしたらいい。  まさに、逡巡だった。  でもここで告げなれば、悟さんが呼ばれて、ぼくは悟さんの許に返される。それは嫌だ。それだけは。  それだけは、もう、絶対に耐えられない――――!  ぼくは決心した。  自分を真に救えるのは、自分以外にない。 「叔父です」  ようやく、出た。  この言葉が。  冷たい音となって。

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