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「叔父さん」
警官が確かめるように繰り返す。メモにペンを走らせる。
「なにを使われたのかとか、分かりますか? どういう物なのか、とか…」
「鞭です。黒くて、固い…幅広の――」
告げ口みたい。せんせえ、悟くんがぼくをぶちましたぁって。だからぼくは被害者なのにものすごい罪悪感だ。あんたにこの気持ちが分かるかな、おまわりさん。苦虫を何百匹も噛み潰して、咀嚼しているようだよ。まだウゴウゴと蠢いている虫たちをさ。ぼくはたったいまも口の中で噛み砕いて飲み込んでいるんだ。でもぼくは自分を救うためにこの苦杯を飲むとしよう。反吐が出そうな、この苦杯を。
「いつ、どこで?」
「二回されました」
さようなら。
悟さん。
願わくば、もう二度と、あなたと会うことのないように――。
「そうですか。それぞれについてお聞かせください」
「一度は…」
そう。タカハシの家から帰ったその夜に。
「土曜の夜でした」
「ついこの間の?」
「はい」
「どこで?」
「彼のマンションの、彼の部屋で」
「つまり、あなたのおうちですね」
ぼくの思考が、一瞬止まる。
(――ぼくの、うち?)
そうか。あれでもぼくの家だったのか。
「はい」
「どのような状況だったのか教えていただけますか? できるだけ、詳しく」
警官と言葉を交わすにしたがって、心が氷のように冷たくなっていくのを感じた。冷たく、冷たく、凍ってゆく。これまでのわきたった思考が枯れ、死んでゆくのが分かる。
もう庇うまい。誤魔化すまい。悟さんも、ぼく自身も。
「彼のベッドの上で、セックスをしながら…」
「しながら? セックスをしながら鞭打たれたのですか?」
「はい。そうです」
「言いにくいかもしれませんが、もう少し、詳しく…」
それこそ言いにくそうに続ける。
「ぼくが四つ這いになって、彼はぼくの背後からぼくのアヌスに彼のペニスを入れていたんです。男同士では、そういうのをセックスって呼ぶんじゃないんですか?」
ぼくは警官の上に冷めた視線を置いた。警官が困惑したように頬に朱を刷く。
「それは、むりやり、でしたか?」
その質問に、今度はぼくの思考が躓いた。
…むりやり?
ああ、そうなのだろう。彼とのセックスの始まりは、間違いなくそうだった。
(でも、本当に、それだけだろうか?)
分からない…。
違うのかもしれない…。
だってぼくは「感じた」じゃないか。
そうだ、ぼくは感じていた。悟さんとのセックスは痛いばかりじゃなかった。それはほんのわずかの時間ではあったけれども、ぼくは彼のペニスによって快感を得、善がり、身悶えて。…事実、イっていたのだから。ぼくはそれほどまでに色魔なのだから。
(分からない)
あれがむりやりなのかどうかなんて。少なくとも「同意の上」ではなかったにしても。
「ぼくには判断できません」
仰天したように警官が目を瞠る。しばらくたって口を開く。
「では、二度目のこともお話いただけますか? いつ? やはり自宅で?」
「次の日の昼間です。たぶん三時ごろ。彼の職場の、低温室で」
「低温室?」
「寒い部屋です」
死ぬかと思うほど。
警官が絶句した。
吐き出すのはつらい。
つらいけれども、なんて軽くなるのだろう。まるで胃の中の消化しきれなかった、ただただ胸を苦しくさせるだけの食べ物を嘔吐するみたいに。
吐き出してしまえば、それだけぼくは軽くなる。嘘みたいに、こんな赤の他人の警官に話すだけなのに、信じられないくらいにぼくの心は楽になっていく。
ぼくの目から、堰をきったように涙がこぼれた。
次々と溢れ、横になっているから目尻から耳を濡らし、髪を伝って枕へと流れてゆく。
(ごめんなさい、悟さん…)
心の中でぼくは謝る。
ぼくばかりが軽くなってごめんなさい。
ぼくばかりが、こんなふうに楽になってごめんなさい。
ぼくばかりが救われようとして、ごめんなさい。
あなたはまだ苦しんでいるのに。やるせない憤怒と、ぼくにしかぶつけることのできない苦悩を抱えて、そんなふうに苦しんでいるあなたを、ぼくは母と同じように裏切り、見捨て、警察に差し出そうとしている。
「どうしたんですか?」
ぼくが泣き出したので不審に思ったのだろう。警官が怪訝そうな声をあげる。
「ぼくの気持ちなんか、あんたには分からない」
涙と共にわいてきた唾を飲み込み、目を閉じて答えた。これもまたれっきとした八つ当たりだろう。でも許してほしい。憐れな高校生のたわごとだと聞き逃してほしい。この涙は、ぼくの悟さんへのせめてもの謝罪。彼への鎮魂歌なのだから。
「ああ――、そうだね…」
警官は静かに頷いた。
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