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第7話 誕生日おめでとう

 緊迫していた気持ちが少し緩んだら、力が抜けたようだ。おれはその場に座り込んでしまったのだ。 「凛空。平気か?」  サブライムは、おれの元に歩み寄り、手を差し出した。すらっと伸びた指が、美しく見えた。おれはそっとサブライムを見上げた。 「王様……なの?」  彼は笑みを見せる。 「そうだ。おれはこの国の王サブライム」  「でも。王様って言ったら。この国で一番偉い人で……」 「偉いとか、偉くないとかの意味がわからない。おれは、ただ王という立場にあるだけの話だ。お前はそんなちっぽけなことに拘るな。おれのことはサブライムと呼べばいい」 「——でも……」  後ろに立っていたエピタフは、紅玉のような瞳でおれたちを見ていた。 「こっちはエピタフ。魔法省の大臣だ。愛想がないがな。悪い奴ではない」 (王様に、大臣!? ——一体。これは……)  状況が飲み込めずに困惑していると、エピタフが冷たい声色で言った。 「私は、彼が歌姫だとは到底思えません。こんな……。甘ったれで、泣き虫で」  明らかに敵意があった。おれは怖くなって、思わずサブライムの腕を握った。サブライムはおれを引き寄せてから、頭を撫でてくれる。大きな手。そして温かかった。 「おい、エピタフ。凛空が怖がっているではないか。凛空は自分の運命を聞かされていないのだ。突然、こんな目に遭わされて。泣きたくなる気持ちもわからなくはない。ほら、見ろ。耳も垂れて、しっぽも丸まっているではないか」 「猫のくせに。兎が恐ろしいとでも?」  エピタフの瞳に見据えられると、なんだかぶるぶるとからだが震えた。 (この人。怖い。もしかしたら、スティールって人と一緒に行ったほうが良かったのだろうか。いやいや。あっちには虎がいる。あの虎も怖いもん。どっちも怖い。やっぱり、おれはここにいたい——)  サブライムは、おれの頭をゆっくりと撫でながら、優しい声色で言った。 「大丈夫だ。安心しろ。きついことばかり言う奴だが、心根は優しいのだ。魔法の力だって、国一だぞ」 「魔法の力——」  そうだ。彼の使う魔法の炎はじいさんと同じ色だった。おれは、サブライムの腕を飛び出し、エピタフに掴みかかった。 「ねえ、魔法がすごいんでしょう? だったら。じいさんを助けて! じいさんを……!」  必死にすがるおれを、エピタフは表情一つ変えることなく、静かに見下ろしている。それでも、おれは止めなかった。 「じいさんは、カースって奴と一人で戦っているんだ! 町のみんなも。黒鳥にいじめられていたし。怪我をしている人もたくさんいるはずだ。それに——雄聖。雄聖も死んでしまった——!」  なにを言っているのか自分でもわからなかった。けれど、この人たちなら、おれの町を救ってくれる。そう思ったのだ。けれど。エピタフは小さく首を横に振った。 「どういう……こと?」  それに答えたのはサブライムだった。 「我々はこの町を救うために来たのではない。お前をリガードから譲り受けることが目的なのだ。カースがここまで追ってこないということは、彼がカースの足止めに成功しているということ。彼を思えばこそ、我々は少しでも早くこの場を離れるべきなのだ」 「そんな……、だって。さっきは、スティールたちを非難していたじゃない。じいさんが足止めしている隙に横取りしてって……」  涙がこぼれる。 「そうだ。おれたちもあいつらと同じなんだ。おれたちは、リガードを見殺しにする決断をして、ここに来ているのだから」 「なんだよ! 王様なのに! 国一の魔法使いなのに! なんで? カースをやっつけられないの? ねえ!」  エピタフはおれをまっすぐに見据えた。 「カースは底なしの闇です。彼を封印できるのは貴方だけなのです。今は、その唯一の希望である貴方を王都に連れ帰る。それが私たちの最優先事項。そのためなら、どんな犠牲でも払う。それが王宮の決定なのです」  エピタフはおれの手を払い退けた。おれは均衡を崩し、その場にうずくまってしまった。  助けてはくれないのだ。彼らは。じいさんを。助けない。なにも変わらない。状況は、なにも変わらなかった。 「じいさんは死なない。じいさんは——」  すると、エピタフは「いい加減になさい!」と一喝した。おれの思考は停止した。泣くことも、話すこともできなくなった。エピタフはその瞳でおれをまっすぐに見据えていた。 「あの人は死期が迫っていました。例えカースを撃退したとしても、契約に則り、伯爵や大公に全てを持っていかれるだけの話です。貴方を守り、命を散らす。それがあの人の願いなのです」 (なんで、なんで知ったように、そんなことを言うんだよ!)  サブライムは腰を落とし、おれのそばに座り込んだ。 「お前が乗ってきた馬——オベロン大公。それから鳩——ハルファス伯爵は、悪魔だ。魔法使いは悪魔と契約をする。自分の命が続く限り、悪魔たちは主に使え、利益をもたらす。しかし主が死、若しくは死に近い状況に陥った時。悪魔たちは途端に本性を現し、主の魂を食らいつくす。リガードの最後の戦いだ。カースにやられるか、悪魔に魂を持っていかれるか。どちらにせよ、年老いた魔法使いの行きつく先は無——。なら、あいつの好きにさせてやってもいいじゃないか」 「そんな——。そんな。嘘だ。嘘だよね。ねえ、嘘だって言って。これは夢なんでしょう? 明日はおれの誕生日で。雄聖が作ってくれたケーキで、じいさんと三人でお祝いするんだ。典礼祭もあるし。忙しいんだから。こんな夢、見ている場合じゃない。ねえ、そうでしょう?」  瞳からたくさん涙がこぼれた。現実を理解しているのに、理解したくない自分がいる。 「泣くな。凛空。おれがいる。これから、お前を守るのはおれだ」  涙がとめどなく流れていく。 (ああ——)  しっかりとおれを抱きとめてくれるサブライムの腕に縋って、おれは泣き続けていた。 「運命から目を背け、人に助けを乞うばかりで、自らはなにもしない。こんな者のために、皆が命を懸けたというのに。それを弁えずに、ただ喚くだけ。なんて浅はか。歌姫とは思えません。私は認めません」  エピタフの言葉は辛辣だ。けれど、それは全くの正論だった。みんなおれのせいなんだ。おれのせいで、町は焼かれたのに。おれは自分が可哀そう過ぎて、周囲のことまで配慮することができていない。おれは必死に涙を堪えるように息を潜めた。 「リガードは一族の恥の上塗りをしたのではないでしょうか。歌姫を見誤ったという」  しかし、今まで黙っていたサブライムが強い口調で彼を窘めた。 「黙れ。いくらお前でも言っていいことと悪いことがあるぞ。エピタフ」  サブライムの声には、有無を言わせぬ力がこもっている。さすがのエピタフも口を閉ざした。 「凛空は歌姫だ。おれはそう確信している。ピスやリガードが見誤るわけがないのだ」  サブライムは声色を和らげてから、おれを見下ろした。 「——凛空。確かにお前を奪うためにカースがやって来た。そして、この町は焼かれた。これは変えようもない事実だ。お前には、背負うべき宿命がある。周囲を犠牲にしてでも、成し遂げなければならないことが待っている。だが、それは。結果的には世界に平和をもたらすことになるだろう。  堪えろ。お前のために犠牲になった者たちの思いを抱えて、それでもお前は、前を向いて歩むことしかできないということ。それを受け入れるしかないのだ。ただ——」  サブライムはそこでおれの腰に腕を回してからぎゅっと抱き寄せてくれた。サブライムの熱に触れると、なんだか心が落ち着いた。 「今晩はいい。もういいんだ。凛空。泣きたい時は泣くのがいい。思い切り泣けば、また前を向ける」 (おれは……悲しいんだ)  我慢していた気持ちが、再び溢れてきた。おれはサブライムにすがって泣いた。その間、彼はゆっくりとおれの頭を撫でてくれていた。 「凛空……誕生日おめでとう」  サブライムの声は心地いい。疲弊したおれの意識は限界を迎えた。おれはサブライムの腕の中で意識を手放したのだった。

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