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第6話 王様が舞う

(おれの名前を? じいさんが言っていた人って、この人のことだったの?)  おれは必死に王子様を見ようと視線を上げる。対峙していたスティールは憎々しげに王子様を睨みつけていた。 「歌姫を迎えに来るのがお前の役目だと? ふざけるな。皆が青ざめている顔が目に浮かぶようだ。お前は変わらないな。サブライム」  スティールの言葉に王子様——サブライムは口元を緩めて笑みを見せた。 「おれは変わらない。なにひとつな。お前はどうだ。変わったのか」 「おれは……。変わったさ。おれは強くなったんだ」 「そうか。本当に? 黒猫一匹に寄ってたかって。それが強い男のすることか」  スティールは舌打ちをした。 「おれたちは、カースが現れることを予測していた」 「予測していたからこそ、リガードがカースを足止めしている間に、横取り——。という算段だったのだろう? ずいぶんと姑息なことをする。昔のお前だったら、そんなことはしなかったはずだ」 「サブライム。お前たち王宮だって同じだろう? おれたちは変わらなければならない。おれも、お前も。背負うものができたのだから。昔のようにはいかないんだよ。おれたちは」  しかしサブライムは笑みを讃えたまま言い切った。 「いいや。背負うものができたとしても、変わるものではない。おれは変わらない。おれはおれの信念に従う。それだけの話。——さっさと立ち去れ。今日は歌姫に免じて見逃してやる。……おれはお前とは剣を交えたくない。スティール」  息が上がっていた。自分の呼吸する音がやけに大きく聞こえて、意識がはっきりとしなかった。気を抜くと、瞼が閉じてしまいそうだった。 「ふん、減らず口を叩くな。たった一人でなにができる」 「お前たちの相手など、おれ一人でも十分——だ!」  サブライムは再び弓を放った。それはスティールたちを威嚇するかのように、足元ぎりぎりの地面に突き刺さった。遠退きかけたおれの意識は、その音で現実に引き戻される。  スティールの後ろに控えていた人たちは、威嚇に後退していく。スティールは舌打ちをすると、老虎の名を呼んだ。 「任せておけ」  老虎はスティールの声を合図に両手を叩くと、サブライム目掛けて突進した。老虎の腕には服の切れ端が巻かれ、そして手には剣が握られている。サブライムは弓を背中に戻すと、腰に下げていた長剣を引き抜いて応戦した。  剣と剣が交わる音がする。甲高い音が、鬱蒼とした森に響き渡った。  老虎を押し退けたサブライムの元に、次から次へと周囲にいる人影が切りかかっていく。多勢に無勢という状況であるはずなのに、彼は軽々と身を交わしながら、相手を倒していった。その姿は優雅で、おれはつい見とれてしまった。  剣技の授業で、こんなに軽々と相手を屈服させる人を見たことがなかった。からだを起こし、その様子に見入っていると、不意に肩を掴まれてはっとする。驚いて振り返ると、そこにはスティールがいた。 「いいか。お前はサブライムと一緒に行くんじゃない」 「そんなこと言われても。おれ、なにがなんだかわからないよ……」  じいさんが言っていた人は誰なのだろうか。サブライムか。スティールか。困惑していた。 「猫の町は一体、どうなってしまったの? 貴方は、カースって人を知っているの?」  スティールは口を開く。 「カースは混沌を産む悪しき存在。お前を狙っている。リガードはお前を隠して育ててきた。お前はこの世界を救う歌姫の魂を宿した大事な存在なのだ」 (歌姫——?) 「そんなこと、急に言われても……」 「わからなくてもいい。けど、サブライムにはついていくな。お前はおれたちと一緒に来るんだ」 「おれは——」  目の前がちかちかしていた。 (惨劇が起きた理由は……。原因はおれだってこと?) (じいさんは、おれのために死ぬかも知れないってこと?) (なのに、おれは……。なにも知らずにここにいる) (いや。人違いかも知れない。そんなはずないじゃないか。だって、だって。おれは——)  ——おれは一体、何者なんだ?  眼の前が真っ暗になったその瞬間。  おれとスティールの間に蒼白い炎がぽっと現れた。最初は小さかった炎は、あっという間に大きく燃え上がって、おれとスティールを引き離した。 「これは……ッ!」 (魔法の炎! じいさん!?)  おれは慌てて、じいさんの姿を探した。しかし、じいさんの姿はどこにもない。 「じいさん! じいさん……!」  必死に周囲を見渡す。すると、老虎たちと剣を交えていたサブライムは「遅い!」と叫んだ。 (一体、誰に向かって言って……)   茂みをかき分けて人が現れる。 「まったく。人使いが荒いとは、このこと」  漆黒の森から、姿を現した男は真っ白だった。カースの闇とは対照的に見える。ゆったりと静かに姿を現した男は優雅に見える。彼の頭の上には雪白の兎の耳がついていた。 「兎族!?」  なんてことだ。今日一日で、いろいろな獣人を見た。人生で初めてだ。猫の町で育ったおれは、他の獣人と出会うのは生まれて初めてだったのに——。 (全然、感動する暇もないじゃないかー!)  銀白の外套を纏った兎族の獣人は、立ち尽くしているスティールに向かってゆっくりと歩み寄りながらも、サブライムに対しての不満を述べる。 「護衛をつけるように上申していたはずです。それなのに。貴方ときたら。皆に内緒で出立するなど言語道断の振る舞いです。私は昨晩遅くまで、そこにいる虎を狩るのに、職務をこなしていたのですよ。それなのに、少しの休息も与えてはいただけないということですね。王よ」 (サブライムが……王様!?)  おれは驚いてスティールを見た。しかし、彼は驚く様子もない。知っていたのだ。サブライムが王様だってこと。  サブライムは老虎と剣を交えながらも愉快そうに「いいではないか。おれとお前の仲だろう?」と笑った。  サブライムの身のこなしは、まるで舞踏でもしているようだった。相手にされていない様子に苛立ちを見せるのは老虎だ。  老虎は「ふざけるな! なにが王だ! おれは認めねぇ」と憤りを隠せない様子で剣を振るう。冷静ではないその太刀は乱れている。サブライムのほうが優位であるということは明らかだった。 「まあいいでしょう。こんなことは日常茶飯事。これも私の役目です」  兎族の獣人は呆れたように肩を竦めた。体格といい、数といい。スティールたちのほうが優位なはずだった。しかし彼らは、この小柄で痩躯な兎族の獣人の威圧的な雰囲気に気圧されているのだろう。  彼が前に進む度に、全員がじりじりと後ろに下がっていく。スティールは、仲間たちが戦意を喪失している様に、舌打ちをした。 「エピタフ……!」 「王の護衛は私の役目です。それに、歌姫の確保は王宮の最重要案件。カースと一戦交える可能性もある。王をお守りする役目を担えるのは、私しかいないではないですか」  自分の能力に余程自信があるのだろう。彼はスティールを見下したように目を細めた。 「お久しぶりですね。スティール。相変わらずこんなごっこ遊びみたいなことをしているのですか。もうお止めなさい。貴方のお仲間たちは、私が拘束しているのです。昨晩も何人か拘束させてもらいました。これ以上の犠牲は無意味。貴方の身勝手な行動で、どれだけの者が迷惑をこうむっていると思うのです。——貴方のお父様も然り」 「クソ。おれたちの仲間、絶対に取り戻してみせる! それに、親父のやっていることは、おれには関係がない」 「おや。そうですか。貴方のことで、随分と心痛めていらっしゃいますよ。あちら側に足を踏み入れぬように、お止めることができるのは、貴方しかいないと思っていましたが……。残念ですね」  エピタフは、妖艶な笑みを浮かべてからスティールを見据えた。 「さて。王は『歌姫に免じて見逃す』と仰っている。命令とあらばそういたしましょう。しかし私の気が変わるかも知れません。そうなる前にさっさと立ち去ったほうが賢明ではないでしょうか。私は気が立っているのです。こんな夜に、こんな田舎まで呼び出されて——」  スティールの仲間たちは、逃げ腰だ。彼に「退散しよう」と懇願しているような視線を向けていた。  スティールは組織の長らしく決断を下した。「退散!」と叫んだのだ。老虎は舌打ちをした。しかしスティールの命令には逆らえないのだろう。忌々しそうにサブライムに一瞥をくれてから、攻防に巻き込まれて倒れていた獣人を担ぎ上げた。彼らは一斉に森の中の闇に姿を消したのだった。

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