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第14話 ひとりぼっち
「私のところで凛空を預かれ、とでも?」
エピタフの表情は引き釣っていた。あからさまに「嫌だ」と言っている顔だ。
しかしサブライムは笑顔のまま「そういうことだ」と答えた。
(ああああ、王様って我儘!)
子どもの頃に絵本で読んだ。王様っていうのは自分の好きなことを言って、周囲を困らせる人。今まさに、絵本の世界が目の前で繰り広げられている。
「それでなくとも、貴方のお守りで苦労しているというのに。更に凛空を押しつけるというのですか?」
「そういうことだ」
エピタフは「嘆かわしい」とばかりに首を横に振った。
(そうだ。家来はいつもこういう反応を示すんだ)
サブライムを見てエピタフを見て……と視線を忙しく交互に動かしていると、エピタフに睨まれた。
(怖いんだもん。この人……)
首を竦めてじっと動きを止める。エピタフは軽くため息を吐いてからサブライムに言った。
「我が屋敷には、余計な使用人を置いておりません。凛空の面倒までみることはできません」
「大丈夫だ。エピタフの屋敷には選りすぐりの人材しかいないのだ。逆に安心ではないか」
「大丈夫! 自分でできるよ」
(雄聖に手伝ってもらっていたけどね)
大きく頷くと、またまたエピタフに睨まれた。
(あ……『できません』って言うところだった?)
狼狽えてしまう。どうしたらいいのかわからずに言葉に詰まっていると、サブライムは優しい声色で「明日また、エピタフと一緒に王宮においで」と言った。
「エピタフの屋敷周囲には、王宮の騎士団が護衛に入る。安心して、ゆっくり休むんだ」
結局。王であるサブライムの命に背くことはできないのだろう。エピタフは「では、凛空。行きましょうか」と言いながら、おれの腕を掴まえた。
「なんだ、もう行ってしまうのか?」
「もう夕暮れも近いのです。夜闇はいいことがありませんよ。我が家に行くのであれば、早いほうがいいでしょう。その古文書は、図書館にお返ししておいてください」
つんとしたエピタフは、さっさと廊下を歩き出した。サブライムと離れるのは、心細かった。
*
王様と言えば、この国一番の権力者だ。エピタフの態度はサブライムを怒らせないのだろうか。
おれはなんだか心配になった。長くて広い廊下を歩きながら、エピタフを見上げていると、彼は「なんです?」と首を傾げた。
「いや……。王様にあんなこと言って、いいのかなって」
「私の身を心配しているのですか?」
ジロリと見られるとつい首を引っ込めてしまう。
「余計なお世話……だよね」
エピタフはおれに一瞥をくれ、なにも言わずに、もふもふっとした垂れた耳をぴんぴんと跳ねさせた。
彼に連れられて王宮を出ると、そこには馬車が待っていた。獣と人間が交わって生まれた獣人の他に、純血種として動物としての形を保っている種も多くいる。おれは猫の獣人だけど、猫の形のままの同族もいるというわけだ。
ただ、人間の血が混じっていない純血種は、おれたちみたいに言語を操ったりはしない。同じ系統種族でも意思疎通を図ることは難しいというわけだ。
でも時々——。純血種に生まれていたら、どんな人生を辿っていたのだろうか、と思うことはある。人間や獣人たちに飼われて、擁護されて。しがらみなど感じることなく、生きていけたのだろうか。
「凛空」
彼はおれを馬車に乗るように促した。 大人が二人ずつ並んで座れるようなふかふかの椅子が、向かい合って設置されていた。小窓には、上品そうなつやつやした布が括りつけてある。
「エピタフは国一の魔法使いだって聞いたから。なんだか意外だね。馬車で行き来するの?」
エピタフと向かい合うように腰を下ろす。彼は大して興味もない様子で、窓の外に視線を向けていた。
「魔法とは、そう易々と使うものではありません。使ったなりの対価が伴うということです。魔法使いは、職務以外で魔法を使用することを禁じられているのです」
彼はそれっきり押し黙った。これ以上は話したくない、という意思表示に違いない。おれは諦めて、大人しく窓の外を眺めた。
(確かに。じいさんもそうだったな……)
馬車の中はとても重い空気が漂っていた。どうしたらいいのかわからなくて、車窓に視線を向けた。
王都を見るのは初めてだった。煉瓦が敷き詰められている路地の両脇に、背の高い家が並んでいた。おれの住んでいた町とは違い、夕暮れ時だというのに、たくさんの人が行き交っている。人間だけじゃなかった。様々な種類の獣人たちも見受けられる。
(あれは犬族。こっちは狐族か。ああ、鳥族もいる。やっぱり獣人って、色々な人たちがいるんだ)
しかし行き交う人々は、互いに目を合わせることもなければ、挨拶を交わすこともない。こんなに華やかな街なのに、どこか素っ気ないような雰囲気が漂っていた。
(なんだか疲れたな……)
自分は独りぼっちになってしまった気持ちになった。どこを見ても、おれと同じ猫族は見当たらない。
おれの人生は昨日を境に、一変してしまった——ということを、ひしひしと感じたのだ。
(みんな無事かな。あの町に帰れるのかな……)
しばらくの間、視線を忙しく動かしているとエピタフと視線がぶつかった。つい、彼がいることを忘れてしまっていたのだ。
おれの悪い癖だ。動くものを見ると、つい夢中になってしまうということ。それをエピタフに見つかったのだ。
「貴方は歌姫としての振る舞いを覚える前に、自分の獣の部分をコントロールする訓練が必要ですね」
厳しい瞳の色でエピタフはおれを見ていた。
「人間たちは獣人たちの能力を恐れています。獣の能力を有した獣人が本気を出したら、とても敵いませんからね。ですから、人間たちは彼らを労働力として使いながら、力で押さえつけているのです」
猫の町しか知らないおれは、まるで世間知らずだ。平和というものは、まるでまやかしじゃないか。この町にいる人たちは、人間も獣人も、みんな暗い顔をしている。こんなに華やかで便利なところなのに。幸せそうな人が一人も見当たらなかった。
「——それでも地元の暮らしよりは裕福でいられる。王都にやってくる獣人は後を絶ちません。王都の人口は膨れ上がっています。人が増えるということは、悪いことも増えるものです」
彼は窓の外に視線を移す。
「近頃は地下組織の活動が活発です。カース対策だけでも手一杯であるというのに、革命組と名乗る不埒な輩のおかげで、国防はひどく脅かされています。——あの夜。貴方を連れて行こうと現れた一味が、その革命組です」
(スティールが革命組……?)
「彼らは闇夜に紛れて活動していますから。夜は一人で外に出てはいけません。貴方のような田舎者は、たちまち厄介ごとに巻き込まれますよ」
彼は軽くため息を吐いた。
エピタフは人間たちに囲まれて、たった一人の獣人として王宮にいるのだ。彼は兎族の仲間と一緒にいられなくて、寂しくはないのだろうか?
「エピタフのお婆さんは兎族だったんでしょう? 兎族の人たちは、どこに住んでいるの?」
「兎族は昔から王家にお仕えする一族です。北部に一族が住む集落がありますが、私は王都で生まれ育ちましたから。足を運んだことはありません」
「淋しくない?」
「兎族が王都にまったくいないわけではありません。我が家にも一人、兎族の子がいます。ですが、私は血にこだわりません。同族であれなんであれ、私たちは個人対個人の付き合いではありませんか。凛空は人を種族で区別するのですか?」
なんだかどっきりとした。そんなつもりはなかったのだが。エピタフは険しい表情のままおれを見据えていた。
「一つだけ言っておきます。この世にいる存在は、どれも唯一無二です。所属が一緒だからと言って、一緒ではないということです。私は貴方を『猫族の凛空』とは見ていません」
「それは——」
「猫族の凛空。歌姫である凛空——。これから貴方はそういう目で見られていく。しかし、自分を見失ってはいけません。貴方は貴方という、たった一人の存在なのですから」
(これって。どこかで聞いたことがあるような……)
おれはじいさんを思い出した。じいさんも同じようなことを言っていた。この人はじいさんの孫なのだ。なんだかそう思ったら、エピタフの言葉が胸に沁み込んできた。
厳しい物言いの中に、優しさが込められている気がしてならなかった。まるでじいさんと話をしているような感覚に陥りながら、おれは黙り込んだ。
がたがたと揺れていた馬車が速度を落とす。鼠色の石造りの塀に囲まれた敷地に馬車は滑り込んだ。
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