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第27話 脱出

「なんと……!」  はったとして視線を向けると、そこにはサブライムがいた。彼の足元には血だまりができている。それでも彼は、そこにいた。 「凛空は……、返してもらおうか」 「まだ立ち上がるのか。しぶとい」  カースは切り落とされた腕を押さえつけて、サブライムを睨みつけた。 「腕一本で済むと思うな。お前には、ここで死んでもらう」 「死ぬだと? このおれがか? 戯言を」  カースは手を光らせたかと思うと、切り落とされた腕に触れる。するとどうだ——。彼の失われた腕が、めきめきと音を立てて、生えてきたのだ。 「腕が——」 「見よ。私はお前らとは違うのだ。残念だったな」  サブライムはギリギリと唇を噛み締めた。 「そうか。なら、何度でも切り落としてやろう」 「お前の体力が持つならな。人間とは軟な生き物だ。獣人よりも劣るというのに、我が物顔でこの世界を支配する。まったくもって愚かなる種族よ」 「なんとでも言え。おれは獣人たちと手を取り合う世界を作るのだ」 「理想はいくらでも語れる。歴代の王たちも同じことを口にした。だがどうだ。現実は変わらぬ。獣人たちは、地方に追いやられた。お前たち人間は身勝手この上ない生き物だ。神の粛清を受けたのにも関わらず。愚かなる歴史を繰り返そうとしているのだ。神の代わりに今度は私が。お前たちに粛清を下す」 「神にでもなったつもりか。カース。お前のほうが、よほど愚か」  カースは両手を広げて高笑いしたかと思うと、エピタフを磔にした時と同じ藤色の剣を具現化し、サブライムに切りかかった。先ほどと同じだ。剣を合わせれば合わせるほど、サブライムの剣は闇の力で重たくなる。しかし、サブライムは果敢に切りかかっていく。その度に、彼の傷口からは血が流れ落ちた。 「サブライム! もうやめて!」  塔は崩壊への道をたどっているのか——。足元がぐらついたかと思うと、床の石が崩れ始めた。  サブライムとカースのいる場所も同様にぐらついた。 「サブライム!」 「凛空——!」  サブライムが「ぐ」と唸って膝をついた。出血量が多すぎるのだ。 「クソ。邪魔ばかりはいる! ラリ! お前に任せているというのに、なんたること——」  カースの叫びに、この出来事は彼の想定外であると理解できた。 「凛空! 逃げるぞ!」  モデスティを押し退けて、駆け寄ってきたスティールに引き寄せられた。床がまるで液体みたいに波打っていて、サブライムのところにはたどり着けない。  サブライムはアフェクションに止められていた。おれたちは互いに手を伸ばすけれど、距離はどんどん開くばかりだった。 「サブライムー!」 「凛空! 凛空!」 「いけません。王。危険です」 「離せ。凛空を——」 (サブライム! サブライム! サブライム!) 「脱出する。塔は持たない。お前が早く退避しないと、みんなが死ぬぞ」 「でも! でもサブライムたちは……」 「騎士団長は優秀な男だ。彼に任せておけばいい。カースの目的はお前だ。お前が塔を離れれば、奴はおれたちを追ってくるに違いない。できるだけサブライムたちから、あいつを離したほうがいい」  スティールの言うことは最もだ。おれが囮になる。そうすればサブライムたちの脱出する好機が来るに違いない。 「さあ、行くぞ!」  スティールはおれのからだを軽々と抱え上げると、一気に走り出した。その瞬間、カースがおれたちの様子に気がついたようだ。 「待て! お前はおれの元に来るのだ!」 「凛空!」  サブライムの声も聞こえる。 (ごめん。サブライム。無事でいて。絶対に戻るから!) 「王! これ以上は危険です。塔から脱出します!」  アフェクションがサブライムの腕を引いていた。おれたちは、まるで反発する磁石のように、正反対の方向へと退避していったのだ。 「塔が崩れるぞ! 退却しろ!」  床に亀裂が入り足元がガラガラと崩れ始めた。塔が崩壊する——。 「みんな脱出だ。目的は果たしたぞ。急げ!」  革命組は建物の亀裂の合間から、次々に外に逃れていく。ここは地上から高い場所ではないのだろうか? 彼らは一体——。  瓦礫を登り切ると、そこには大きな乗り物が宙に浮いていた。大人が何人も乗り込めるような大型な浮遊物——まるで空を飛ぶ船だ。 「塔が崩れるぞ。これ以上ここにいると巻き込まれる。限界だ!」  まるで鳥が羽根を伸ばしたような形の浮遊物の甲板から、熊族の男が顔を出した。 「わかっている。おれたちで最後だ。出せ!」  甲板に飛び乗り、スティールが叫んだ瞬間。後ろから真っ黒な闇のような触手が伸びてきて、おれの足に絡みついた。 「音——! おれの元から逃るのか?」 「カース!」  浮き上がる浮遊体は大きくバランスを崩す。おれのからだをしっかりと抱き留めて、引き戻そうとしたスティールのからだも大きく持っていかれそうになる。それを他の仲間たちがみんなで捕まえて引き戻そうとした。 「諦めない。おれは諦めないぞ。……音!」  老虎が腰にぶら下がっていた短剣を引き抜くと、その触手に思い切り突き立てた。その瞬間、短剣がじゅわっと煙を立てた。 「痛っ」  老虎は思わず右手を離す。短剣が刺さった触手は、動きを鈍くし、そのままするすると塔の中に戻っていった。触手が外れた瞬間。バランスを戻した空飛ぶ船は一気に速度を上げて塔から離れた。  塔はまるでおもちゃの積み木が崩れるように、がらがらと崩れ落ちていく。天から石が降ってくるみたいだった。細長く天まで届きそうなそれは、あっけなく崩れ去った。 「サブライムは……」  この混乱の中、彼はうまく逃げることができたのだろうか。甲板の手すりにしがみついて、塔が崩れていく様を見つめていると、スティールが隣で言った。 「大丈夫だ。宮廷の騎士団をなめてもらっては困る。必ず王をここから連れ出すだろう」  騎士団長アフェクションの顔を思い出しながら、足元の光景をじっと見つめていると、「まるで神の怒りに触れたような出来事だな」 と、革命組の一人が言った。しかし、スティールは首を横に振る。 「神などいない。箱舟の時だって、神は人類に試練しか与えない。おれは神など信じるものか。おれたちは、自分たちの手で世界を変えなくてはいけない」  スティールの横顔は、サブライムのそれに似ていた。 (サブライム。無事でいて……)  彼に再会できるまで、おれはおれのやるべきことをする。そう決めたんだ。今は泣いている場合ではないのだ。おれは崩れゆく塔をまっすぐに見つめた。  しばしその結末に茫然と立ち尽くしていると、後ろで老虎が唸り声をあげていた。 「大丈夫か、老虎」  おれは、はったとして振り返る。するとそこには、エピタフが寝かされていた。 「エピタフ!!」  おれは慌てて彼に駆け寄った。エピタフの顔色は蒼白で、唇も紫色に変わっている。閉じられた瞼。意識が朦朧としているのか睫毛が震えていた。その隣では、老虎が腕を抑えて「クソ、痛てえ」と叫んでいた。  スティールに続いて、その手のひらを見つめる。そこは、火傷をしたようにただれていた。これが闇の力——。なんと禍々しい力だ。 「このバカ! 無茶して。あの剣、抜いただろう? 痛みが引くには、魔法での治療が必要だ。先生のところまで我慢しろ」 「仕方ねえだろう。あのまま置いてきたら、死んじまうところだったぜ。こいつ」  彼はそんな痛みに耐えながらも、エピタフを背負って脱出してくれたということだ。 (この人。本当はとってもいい人なのかも知れない)  騎士団はサブライムを救うことで精一杯だっただろう。おれは心からこの男に感謝した。  老虎は、自分の左手で右の手首を握り、激痛に耐えていた。この強靭な男が、ここまで悲鳴を上げるとは。  すると、甲板に寝かされていたエピタフの手が伸びてきてその傷に触れた。老虎の手は、黄金色の光に包まれた。 「……痛くねえ」  しばしそうしていたかと思うと、エピタフの手が力尽きたように床に落ちた。 「エピタフ!」  あちこちに血がこびりつき、負傷した両手、腹部からは出血が続いていた。 「スティール、早く。エピタフを治療して」 「わかっている。——おい、急いでアジトに戻る。先生に診せるんだ」  スティールは運転席らしき部屋に声をかける。 「わかってるよ!」  操縦席らしき場所から、飛行眼鏡をつけた男が叫ぶ。空飛ぶ船は一気に旋回し、速度を上げた。  塔の崩壊は続いていた。 (おれはなにもできなかった——。おれに力があれば。こんなことにはならなかったのに) 「凛空! お前も手伝え。早くしないと、エピタフが危ないぞ」 「……うん!」  甲板を離れ、おれはスティールの後を追った。  

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