32 / 55

第31話 古文書

「過去の奴らが、千年後の今のことを知る術はないだろう? つまり予言というものは当たり外れがあるとは思わないかね」 「でも、カースが蘇って、歌姫の魂も現れた。ここまでは事実なんでしょう」 「そうだね。予言とは、まったくの的外れではないということ。だが——全てがその通りになるかどうかも不確定だということ。なにせ今を生きているのは私たちだ。私たちの力で——」 「今を変える」  博士は「その通りさ」と得意顔で言った。 「しかしそのためには過去を知る必要があるね。なんの予備知識もない私たちと、過去の経験を持っているカースとでは、優位差が違ってくる。私たちはカースに負けないくらい過去を知る必要があるんだ。そのためには、改ざんされているとはいえ、王宮の古文書も含めて、複数の古文書を読み合わせる必要がある」  瞬きをして博士を見つめていると、博士は傍にあった林檎を手に取った。 「この林檎を見てみろ。どう思う?」  つやつやとした真っ赤な林檎だった。 「美味しそうな林檎だと思う」  博士は老虎に林檎を差し出す。すると、彼は顔をしかめた。 「うえ。おれは林檎なんて食わねえ。くそ不味そうだぜ」  おれを振り返った博士はにかっと笑った。 「ほらみろ。見た者の価値観によって、表現方法は変わってくる。だから、古文書の内容もそれが全てとは限らないのだ。本当だったら、もっとたくさんの古文書を読みたいところだが——致し方ない。ここには一冊しかないからね。まずはこの古文書をしっかりと解読したいのだ」  博士はきっぱりと言い切ると、おれを見据えた。 「私たちは、これから起こることを、自分の意思で容易に作り替えることができる。お前さんを救う道を模索しようじゃないか」  博士は眼鏡を光らせて笑った。スティールは肩を竦めて笑った。 「うちの博士は、頼もしいだろう?」 (確かにそうかも知れない。古文書とは、過去の出来事を記した書物だ。未来のことなんて、わかるはずがないんだから——)  妙に納得をしてしまった。 「さあ、こんなお喋りをしている暇はないよ。さっさと古文書を解析するんだ。手伝っておくれ」 「わかった。古文書の解析。手伝うよ。——でも。おれ、古代文字なんて読めないよ」 「そんなことは知っているさ! 古代文字をすらすら読むなんて、私にだって難しいことさ。この、自作のマッチングリストに、現代文字と古代字を対比させて記載しているから——」  博士はなにやら分厚い紙の束を取り出してきた。老虎たちはそれだけで顔をしかめている。革命組の組員たちは、力仕事は得意だけれど、細かい作業は嫌いなのだろう。きっと手伝ってくれる人がいないのだ。だから、おれが駆り出された。なんだかそんな気がしてきた。  博士は自ら作成したという言葉の突合表について説明を始める。なんだか難しい話はよくわからない。おれは目の前に出されている古文書の表紙をめくってみた。  王宮でエピタフから見せてもらった古文書とは比べ物にならないくらい、劣化が著しい状態だ。所々破けていて、丁寧に扱わないと、あっという間に壊れてしまいそうだった。  王宮で見た時は、さっぱりわからなかった古文書だったが、どういうことか今日のおれは絶好調。古文書の内容がすらすらと理解できた。 「月の神殿の場所は書いていないね。どこにあるんだろう?」  顔を上げると、そこにいたみんながおれを不思議そうな顔で見ていた。 「あれ? え?」 「——凛空。読めるのか?」  スティールが怪訝そうにおれの顔を見ていた。 「うん。読めるってほどでもないけれど。なんか、意味はわかるみたい」 「おおお」  博士は突合表の束を放り投げる。老虎たちの頭の上に、それが紙吹雪みたいに舞い落ちていった。しかし、そんなことはお構いなしだ。博士は椅子から飛び降りたかと思うと、おれのところに駆け寄ってきた。 (や、やめてくれ……。そのしっぽだけは——)  左右に揺れているふさふさのしっぽから視線を逸らすため、目を瞑る。 「凛空! お前って奴は! 素晴らしい。本当に古代文字が読めるのか? もしかして——。お前! 太陽の塔でなにがあった」 「なにって。色々だよ。歌姫の姿を見せられたり、歌姫の声が聞えたり」 「お前の中の歌姫の記憶が刺激されたのかもしれないね」  どうやらおれは、なんらかの理由で、古代文字が理解できるようになったらしい。 「これなら思ったよりも早く、いろいろなことが明らかになるぞ!」 「わかった」  スティールは博士の興奮の様子を見て、苦笑いを浮かべるばかりだ。 「じゃあ、さっそく一緒に見てくれ」  博士は嬉しそうに両手を叩く。彼のその表情は、「世界を救う」というよりは、「知的探求心」のほうが強いことを物語っているようだった。 「おれはこれから、王都や王都周囲の獣人連合軍の動向を探るため留守にする。また夜にでも集まろう。では解散——」  スティールの言葉に、組員たちは部屋から出て行った。ふと老虎と視線が合う。彼は美しい黄金色の目を細めておれを見ていた。 「無理すんなよな。ガキが」  言葉は悪いのに、そう言われても悪い気持ちにはならなかった。 「大丈夫。おれにだって、きっと——できることあるもんね」 「ふん」  老虎は立ち上がると、部屋を出て行こうとした。おれは慌てて、その後ろ姿に声をかけた。 「エピタフの面倒みてくれているの?」  彼は「け」と悪態をついた。 「あの兎野郎。大人しく寝てる分にはいいけどよ。目覚ましたら、ぎゃふんと言わせてやるぜ」 「優しくしてあげてよ」 「誰が。おれのほうが優しくしてもらいたいくらいだよ!」  老虎は乱暴に扉を閉めた。  エピタフはまだ寝ているということだ。先生は「大丈夫だ」と言っていたが。心配だった。しかしすぐに博士に腕を引かれた。 「さっそくだが。このページから目を通してくれないか。お前さんが読み上げたことを私が記録していこう」 「わかったよ」  おれは博士と一緒に古文書の解析を始めた。

ともだちにシェアしよう!