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第45話 開戦

 闇はいいものも悪いものも隠す。けれど、おれの猫の目は誤魔化せない。城壁の上から周囲を眺めると——。いた。もういるんだ。カースが率いる獣人たちの連合軍が、王都を取り囲んでいる。 「日の出と共に開戦だ」  隣に立っていたサブライムがおれを見下ろした。 「革命組の獣人たちからの報告によると、それぞれの一族にカースの手下たちが入り込んで、子どもたちを人質にしていたらしい」 「え! じゃあ、みんな、脅されていたっていうこと?」 「純粋にカースの意志に賛同した種族もいるようだが……。その大半は、脅されていたということだ。老虎とエピタフが目覚ましい働きをしてくれている。カースに脅されていた種族は、この戦いには参戦しないだろう」 (老虎。エピタフ——) 「それでも、こうして集まる種族もいるんだね」 「そもそもおれたち王宮への不満を抱えている者たちは大勢いる。これは現実だ。おれは王としてその現実を受け止めるつもりだ」 「サブライム……」  サブライムは太陽の塔の時と同じ甲冑を身に着けていた。いつもとは様相が違っていても、サブライムは輝きを失わない王様だった。  もう戦いは避けられないということだ。でも、それでもおれはこんな戦いはしないでもらいたい。なんとか戦いを止められる方法はないものだろうか。 「話し合いで済む相手ではない。カースはお前が欲しいのだ。どんな卑劣な手を使っても、お前を奪いにくるだろう」 (この戦いはおれのせいじゃないか——) 「ねえ、サブライム。おれ、やっぱり……」   サブライムはおれの腰に腕を回したかと思うと、ぐるりんとおれを抱え上げた。 「だから! サブライム!!」 「凛空の匂いはいい。お前の匂いについて、ピスに話をしたら、そんな匂いは感じないと言うのだ。どうやら、これは真のつがいだけが感じる匂いらしい。お前もおれからいい匂いがするか?」 「いい匂いがするよ。サブライムからも。最初からずっと……」 「おれたちは真のつがいだ。おれたちはこうなる運命なのだ」 (おれたちは、真のつがい——)  嬉しかった。心が震えるって、こういうことなんだ。おれはサブライムが愛おしくてたまらない。この人とずっと一緒にいたい——。おれは心からそう願った。  けれど、そんな願いなど我儘に過ぎないこともわかっていた。おれは、サブライムの肩を押し返した。 「こんな時に、なに言っているんだよ……」  しかしサブライムは笑みを消し、真面目な顔で「こんな時だからだろう」と言った。 「——そうだね」 (そうかも知れない)  おれたちに明日があるのかわからない。きっと今日、全ての決着がつくのだ。おれの運命もサブライムの運命も。みんなの運命が今日、決まるのだ——。 「凛空。おれは絶対にこの地に平和を取り戻す。今、獣人たちにおれの声が届いていない。ここまできたら、無血で収まるとは思えない。しかし必ずおれの思い、わかってもらえると信じている」 「サブライム……。絶対にサブライムの思い、わかってくれるよ」 (わかり合えないこともあるけれど。おれはサブライムを信じたい)  じいさんが雄聖を信じた。  先生がシェイドを信じた。  老虎たちも、自分たちの仲間を信じた。  おれはその「信じる」という気持ち。それを信じたい。 「おれは信じたい。サブライムのこと。そして獣人たちのこと。彼らだって、こんな争いは望んでいるわけがないと思うんだ」 「おれたちで作るんだ。人間と獣人が手を取り合って平和に暮らす未来を」 「——うん!」  サブライムはおれをぎゅうっと抱きしめてくれた。空気が張り詰めていた。王都を覆う空気が。ぴりぴりと肌に突き刺すみたいだった。  おれたちは信じるしかないんだ。いつか相手に思いが届くことを願って。 *  蒼い月がうっすらと残っている西の空とは対照的に、東の稜線から、燃えているような真っ赤な太陽が顔を出す。決戦の夜明けがやってきたのだ。  周囲が明るくなるにつれ連合軍の全貌が露わになった。王都周囲を囲むように繁っていた木々は、いくつもなぎ倒され、そこにはたくさんの兵士たちの姿が見えた。  虎族や熊族がいないとはいえ、その数は想像を上回っていた。  サブライムは甲冑姿のまま馬に跨った。その後ろにはスティールを始めとした大臣たちがつき従う。彼は前線近くの作戦本部に身を置くということだ。  おれはピスと一緒にそれを見送った。おれが前線に行ったところで足手纏いになることも目に見えている。王宮でピスと、リグレットと一緒に大人しくしていることにしたのだ。  しかし。王宮の奥にいても、戦いの音が耳に届いていた。地を揺るがすような太鼓や銅鑼の音は、連合軍の士気を高めるためのものだろう。恐ろしさでしっぽがいつもの倍くらいに膨れ上がっていた。太陽は頭上にきている。戦況はどうなっているのだろうか——。 「サブライムは大丈夫なの?」  落ち着かないおれをよそに、そばに座っていたピスは至って冷静だ。いつもと変わりのない声色で答えた。 「連合軍の兵力は見たところ、ざっと6000を超えているのではないかと思われる」 「王宮軍は?」 「1000弱。そして主力であるエピタフを欠いている。獣人には、それぞれ特有の身体能力が備わっている。獣の力だ。それに対し、我々人間とは無力なものだ。知恵と技術とで応戦するしかない」  お茶を淹れていたリグレットが「人間って弱い生き物なのですね」と言った。  ここは中庭に面する王宮の一室だった。一人として無駄にできない兵力だと、ピスがすべての兵士たちを前線に送り出したため、王宮はおれたち三人と、数人の使用人たちがいるだけだった。 「そうだ。人間とは他の種族と比べると弱い。しかし知恵がある。だからこそ、こうして王政を担ってくることができた。どの種族にも得手不得手がある。それぞれの持ち味を活かした世界を構築する。それこそが、これからの未来——」 「それを、みんながわかってくれるといいんだけれど」  おれの言葉に、ピスは腕組をしたまま口元を緩めた。 「お前を育てたリガードは、それをいち早く成し得た男だ。お前を守ると決めたとき、彼は猫族と対話し、そして彼らと共存する道を選んだ。我々は、彼を見習わなくてはいけない」  ピスは腕組みをしたままじっと床を見つめていた。彼の胸中にはどんな思いが渦巻いているのだろうか。ピスとじいさんは旧友だと聞いた。ピスは、軽く息を吐くと言葉を続けた。 「リガードが兎族の長クレセントをつがいにしたいと言い出した時、私は反対した。そして、反対をするのが当然だと思っていた。それなのに、奴は周囲の意見などに耳も貸さず、クレセントを口説き落とした」 「エピタフのおばあさん」 「そうだ。クレセントはとても美しい獣人だった。エピタフと同じアルビノ種だった。真っ白な肌と銀色の髪。そして紅玉のような瞳を持つクレセントに、リガードは一瞬で心奪われた」 「エピタフも美人だもの」 「そうだな。あの子はクレセントによく似ている。リガードは、あの子が最愛の人に似すぎていて、見ているのが辛かったのだろう」 「辛かった……?」  おれの問いに、ピスは視線をおれに戻した。 「クレセントは、王都での暮らしに馴染まなかった。今よりも獣人を差別する風潮が強かった。王都の気候や、住まうところの環境の変化、精神的な重圧ですぐにからだが弱ってしまってね。エピタフの父親を産んだ後、しばらくして亡くなったのだ」 「そんな——」 「リガードは、クレセントを王都に連れてきたことを悔いていた。私はね。あの時、リガードを責めたのだ。お前がこんなことをしなければ、クレセントは死ぬことはなかったのではないか、とね。まったくもって無意味な行為だった。クレセントの死を一番に嘆き、そして重く受け止めていたのは彼自身だというのに。今でも後悔しているよ」  ピスはそう言ったかと思うと、すっくと立ちあがった。 「凛空。私はお前がサブライム様のつがいになることを望む。リガードの夢、人間と獣人の共存をお前に託したい」  彼はそれから優雅な仕草で、腰に下げていた剣を抜き取ったかと思うと、何度か振るった。そしてすぐに鞘に納めた。一瞬のことで、なにが起きたのかわからなかった。  ぱちんという音と伴に、天井からばたばたと人が落ちてきた。  床に倒れていたのは、鷹族の獣人だった。背中に羽を持っている。彼らの脇には、リグレットが先ほどお茶を注いでくれたカップがきれいに二つに割れて落ちていた。 「へ!?」 「ひい……!」  リグレットは顔を青くしておれに視線を向けた。おれも同じ気持ちだった。

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